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  • 「独りぼっちではありませんでした」
    ものみの塔(研究用)2025 | 2月
    • 父が亡くなって間もなく,パラワン州コロン島で特別開拓奉仕を始めることになりました。

      独りで難しい奉仕に取り組む

      コロンに着いた時,21歳でした。都会育ちの私は,電気や水道が整備されていないこと,そして車やバイクがほとんど走っていないことにとても驚きました。地元の兄弟たちは何人かいましたが,一緒に奉仕できる開拓者がいなくて1人で奉仕することもありました。最初の1カ月は寂しくて,家族や友達に会いたくてたまりませんでした。夜,星空を眺めていると,涙が込み上げてきたものです。ここでの奉仕をやめて,もう帰りたいと思いました。

      そんな時はエホバに気持ちを全部伝えるようにしました。そして,以前聖書や出版物で読んだ,元気をもらえる言葉を思い出すようにしました。特に力になっていたのは詩編 19編14節です。その聖句から,エホバのしていることや魅力的なところをじっくり考えると,エホバが喜んでくれて,「私の岩,私の救い主」になってくださることが分かりました。「ものみの塔」の「あなたは決して独りではありません」aという記事も力になりました。その記事を何度も読みました。独りぼっちでいる時はエホバと2人きりになれる,かけがえのない時間だと気付きました。祈ったり聖書を学んだりじっくり考えたりすることができます。

      コロンに着いて間もなく,長老に任命されました。長老は私1人だったので,集会のたくさんの部分を担当しました。毎週の神権宣教学校,奉仕会,会衆の書籍研究,「ものみの塔」研究などです。公開講演も毎週しました。寂しく感じている時間はありませんでした。

      コロンでの伝道はやりがいがありました。聖書を学んでいた人の中にはバプテスマを受けた人もいます。でも,楽しかったことばかりではありません。伝道区域まで半日歩かなければいけないこともありました。しかも,行く先で泊まれる場所があるかどうかも分かりませんでした。会衆の区域には小さな島もたくさんあったので,荒れ狂う海の中をモーターボートで渡っていかないといけないこともありました。ちなみに私は全然泳げません。そういう大変な中でも,エホバが守り支えてくれるのを感じました。そうやって,エホバはもっと大変な次の奉仕に私を備えさせてくれていたんだと思います。

  • 「独りぼっちではありませんでした」
    ものみの塔(研究用)2025 | 2月
    • 小さい家族,忙しい暮らし

      私とアデル

      1978年にコロンを離れる前,私はアデルというかわいらしくて働き者の姉妹と知り合いました。アデルはサミュエルとシャーリーという2人の子供を育てながら,開拓奉仕をしていました。高齢の母親のお世話もしていました。1981年5月,私はフィリピンに戻り,アデルと結婚しました。その後2人で正規開拓奉仕をし,家族の面倒を見ました。

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