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親衛隊は証言を受けるものみの塔 2013 | 2月15日
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パウロは立ち止まって,カストラ・プラエトリアを見つめたかもしれません。それは赤レンガ塀のある大きな要塞で,狭間胸壁と塔があり,皇帝の護衛を行なっていた親衛隊と都市警察の兵舎でした。そこには,親衛隊の12の歩兵隊bと,都市警察の幾つかの歩兵隊がいたと思われます。騎兵隊もその中に含まれていました。カストラ・プラエトリアは皇帝の権威の象徴でした。親衛隊はローマの属州の囚人に対する責任も負っていたので,ユリウスは囚人たちを引き連れていました。ローマ市の主要な四つの門の一つを通って市内に入ります。数か月にわたる危険な旅の末,ようやく囚人たちを目的地に連れて来ることができたのです。―使徒 27:1-3,43,44。
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親衛隊は証言を受けるものみの塔 2013 | 2月15日
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囚人はまず護衛の長に引き渡された,と考える人もいます。もしそうだとすれば,パウロはおそらく,皇帝に次ぐ地位にいたと思われる親衛隊の司令官アフラニウス・ブルスのもとに連れて行かれたことでしょう。c
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親衛隊は証言を受けるものみの塔 2013 | 2月15日
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今日のカストラ・プラエトリアの塀
ブルスはこの件をネロに提出するに先立ち,司法上の務めの一環として,使徒パウロを宮殿か親衛隊の兵舎で尋問したようです。パウロは,「小なる者にも大なる者にも証し」するこの貴重な機会を逃すことはありませんでした。(使徒 26:19-23)ブルスの評価がどのようなものであったにせよ,パウロは親衛隊の兵舎の監獄に収容されずに済みます。d
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親衛隊は証言を受けるものみの塔 2013 | 2月15日
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宮殿の警護に当たる親衛隊は,毎日第8時に交替しました。パウロの監視をしていた兵士も一定の間隔で交替しました。
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