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  • あなたの祈りはあなたについて何を物語っていますか
    ものみの塔 2009 | 11月15日
    • あなたの祈りはあなたについて何を物語っていますか

      「祈りを聞かれる方よ,あなたのもとに,すべての肉なる者は来るのです」。―詩 65:2。

      1,2 エホバの僕が確信を抱いて,祈りのうちにエホバに頼れるのは,なぜですか。

      エホバはご自分の忠実な僕たちの請願を決して無視されません。わたしたちは,『エホバは聞いてくださる』と確信できます。幾百万人というエホバの証人が同時に神に祈ったとしても,“話し中”で伝えられなかったという人はいないのです。

      2 詩編作者ダビデは,自分の懇願を神は聞いてくださるという確信を抱いて,「祈りを聞かれる方よ,あなたのもとに,すべての肉なる者は来るのです」と歌いました。(詩 65:2)ダビデがエホバの忠節な崇拝者だったので,その祈りは聞き入れられました。わたしたちはこう自問できるかもしれません。『わたしの祈願は,自分がエホバに依り頼んでいて,清い崇拝を主要な関心事としている,ということを示しているだろうか。わたしの祈りは自分について何を物語っているだろうか』。

      エホバに謙遜な態度で近づく

      3,4 (イ)わたしたちは祈りのうちに神に近づく際,どんな態度を示すべきですか。(ロ)重大な罪のことで『不安の念を起こさせる考え』に悩まされているとしたら,どうすべきですか。

      3 わたしたちは,祈りを聞き入れていただきたいなら,神に謙遜な態度で近づかなければなりません。(詩 138:6)ダビデがしたように,エホバに,『わたしを調べてください』とお願いするべきです。ダビデはこう言いました。「神よ,わたしをくまなく探り,わたしの心を知ってください。わたしを調べて,不安の念を起こさせるわたしの考えを知ってください。わたしのうちに苦痛の道があるかどうかを見て,わたしを定めのない時に至る道に導き入れてください」。(詩 139:23,24)わたしたちも,祈るだけでなく,神に調べていただくようにし,み言葉の助言に従いましょう。エホバはわたしたちを「定めのない時に至る道」に導き入れることができ,永遠の命へと至る道を歩んでゆけるよう助けてくださるのです。

      4 もしも自分が重大な罪のことで『不安の念を起こさせる考え』に悩まされているとしたら,どうでしょうか。(詩編 32:1-5を読む。)良心の呵責を抑えようとするなら,木が夏の厳しい暑さの中で水分を失うのと同じように,活力がなくなってしまうかもしれません。ダビデは,犯した罪のゆえに喜びを失い,もしかしたら病気になったのかもしれません。しかし,神に告白した結果,本当に安堵を覚えました。「自分の反抗を赦され」,エホバから許していただけた,と感じた時のダビデの喜びを想像してみてください。罪を神に告白すれば安堵が得られ,クリスチャンの長老たちからの援助も,過ちを犯した人にとって霊的な健康を回復する助けになります。―箴 28:13。ヤコ 5:13-16。

      神に祈願し,感謝する

      5 エホバに祈願するとは,どうすることですか。

      5 もし何かのことでひどく思い煩っているなら,パウロのこの助言を当てはめるとよいでしょう。すなわち,「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい」という助言です。(フィリ 4:6)祈願とは,謙遜な態度で懇願することです。わたしたちは,危険に直面した時や迫害に遭っている時には特に,エホバに助けと導きを嘆願すべきでしょう。

      6,7 祈りに感謝を含めるべきなのはなぜですか。

      6 しかし,何かが必要な時にだけ祈るとしたら,それは自分の動機について何を明らかにしているでしょうか。わたしたちは自分の請願を神に知っていただく際,「感謝をささげつつ」そうすべきである,とパウロは言いました。わたしたちが,次のようにダビデと同様の気持ちを言い表わすのは,全く当然のことです。「エホバよ,偉大さと力強さと麗しさと卓越性と尊厳とは,あなたのものです。天と地にあるものは皆あなたのものだからです。すべてのものの頭として自らを高めておられる方,エホバよ,王国も,あなたのものです。……私たちの神よ,私たちはあなたに感謝し,あなたの麗しいみ名を賛美しております」。―代一 29:11-13。

      7 イエスは,様々な機会に食物について,また主の晩さんの時にもパンとぶどう酒について,神に感謝しました。(マタ 15:36。マル 14:22,23)わたしたちは,そのようなものに対する感謝の気持ちを表わすほかに,「人の子らへの……くすしいみ業」,「義にかなった司法上の定め」,また聖書という形で今入手できるみ言葉つまり音信についても,「エホバに感謝する」べきです。―詩 107:15; 119:62,105。

      他の人たちのために祈る

      8,9 仲間のクリスチャンのために祈るべきなのはなぜですか。

      8 わたしたちは確かに自分のために祈りますが,他の人たちのことも ― 名前を知らないクリスチャンたちのことをも ― 祈りに含めるべきです。使徒パウロは,コロサイにいる信者すべてを知っていたわけではないかもしれませんが,こう書きました。「わたしたちは,あなた方のために祈る際いつもわたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。それは,キリスト・イエスに関するあなた方の信仰と……あなた方が聖なる者たちすべてに対して抱く愛とについて聞いたからです」。(コロ 1:3,4)パウロはまた,テサロニケにいるクリスチャンのためにも祈りました。(テサ二 1:11,12)そのような祈りは,自分自身について,また信仰のうちにある兄弟姉妹を自分がどう見ているかについて,多くのことを物語ります。

      9 わたしたちが,油そそがれたクリスチャンのため,またその仲間である「ほかの羊」のために祈ることは,神の組織のことを心にかけている証拠です。(ヨハ 10:16)パウロは仲間の崇拝者たちに,『自分が話す能力を与えられて,良いたよりの神聖な奥義を知らせることができるよう』祈ってほしい,と言いました。(エフェ 6:17-20)わたしたちも個人的に,他のクリスチャンのためにそのように祈っているでしょうか。

      10 他の人のために祈るなら,自分自身にどんな影響があるでしょうか。

      10 他の人のために祈ると,その人に対する自分の態度が変化する場合もあります。その人のことが特に好きではなくても当人のために祈るなら,その人に対して愛の欠けた態度は取れないはずです。(ヨハ一 4:20,21)そのような祈りは建設的であり,兄弟たちとの一致を促進します。そのうえ,そうした祈りは,自分がキリストのような愛を抱いていることを示すものともなります。(ヨハ 13:34,35)愛は神の霊の実の一面です。わたしたちは個人として聖霊を祈り求め,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制という,聖霊の実を示せるようエホバに助けを願い求めているでしょうか。(ルカ 11:13。ガラ 5:22,23)そうであれば,わたしたちの言動は,自分が霊によって歩み,霊によって生きていることを示すものとなるでしょう。―ガラテア 5:16,25を読む。

      11 他の人に『わたしのために祈ってください』とお願いするのはふさわしいことである,となぜ言えますか。

      11 わたしたちは,もし自分の子どもが学校の試験でカンニングをしたいという気持ちに駆られていることが分かったなら,その子のために祈るべきであり,子どもが正直に行動して何も間違ったことをしないよう,聖書に基づく助けをも与えるべきでしょう。パウロはコリントのクリスチャンに,「わたしたちは,あなた方が何ら悪を行なわないようにと神に祈ります」と伝えました。(コリ二 13:7)そのような謙遜な祈りは,エホバに喜ばれるものであり,その人の誠実さを物語ります。(箴言 15:8を読む。)わたしたちは他の人に,『わたしのために祈ってください』とお願いすることができます。使徒パウロもそうしました。こう書いています。「わたしたちのために祈りつづけてください。わたしたちは正直な良心を抱いていると信じています。すべてのことにおいて正直に行動したいと願っているからです」。―ヘブ 13:18。

      祈りはさらに多くのことを物語る

      12 わたしたちの祈りの中で,どんなことが際立っているべきですか。

      12 わたしたちの祈りは,自分が幸福で熱心なエホバの証人であることを物語っているでしょうか。祈願は,神のご意志がなされること,王国の音信が宣べ伝えられること,エホバの主権が立証され,み名が神聖にされることが中心となっているでしょうか。それらのことは,わたしたちの祈りの中で際立っているべきです。イエスの模範的な祈りに示されているとおりであり,その祈りの始めはこうなっています。「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」。―マタ 6:9,10。

      13,14 わたしたちの祈りは,自分自身についてどんなことを明らかにしますか。

      13 神への祈りは,自分自身の動機,関心事,願望を明らかにします。エホバはわたしたちの内なる人をご存じです。箴言 17章3節には,「るつぼは銀のため,炉は金のため。しかしエホバは心を調べる方」とあります。神はわたしたちの心に何があるかを見ておられます。(サム一 16:7)わたしたちが集会,宣教奉仕,霊的兄弟姉妹についてどう感じているか,ご存じです。わたしたちがキリストの『兄弟たち』のことをどう思っているか,知っておられます。(マタ 25:40)わたしたちが本当に願って祈り求めているのか,それとも,お決まりの文句を繰り返しているだけなのかも,分かっておられます。イエスはこう言いました。「祈る際には,諸国の人々がするように同じことを何度も繰り返し言ってはなりません。彼らは言葉を多くすれば聞かれると思っているのです」。―マタ 6:7。

      14 祈りの中で用いる表現は,自分自身が神にどれほど頼っているかをも明らかにします。ダビデはこう言いました。『あなた[エホバ]はわたしのための避難所となり,敵の面前にある強固な塔となってくださいました。わたしは定めのない時にわたってあなたの天幕の客となり,あなたの翼の隠れ場に避難します』。(詩 61:3,4)神が比喩的な意味で『わたしたちの上にご自分の天幕を広げてくださる』ので,わたしたちは安全に守られ,神の保護と世話を受けます。(啓 7:15)信仰の試練に遭っている時,『神はわたしの側にいてくださる』という確信を抱いて,祈りのうちにエホバに近づけるというのは,なんと心強いことでしょう。―詩編 118:5-9を読む。

      15,16 祈りは,奉仕の特権をとらえたいという気持ちについて,どんなことを識別する助けになりますか。

      15 エホバに自分の動機に関して誠実に祈ることは,動機が正しいかどうかを識別する助けになります。例えば,神の民の間で監督としての立場で仕えたいという切なる願いは,本当に,助けになりたい,また王国の関心事のために力を尽くしたいという謙虚なものでしょうか。それとも,「第一の地位」に就きたいとか,他の人々に対して『威張れる』と思ってのことでしょうか。エホバの民の間ではそうであってはなりません。(ヨハネ第三 9,10; ルカ 22:24-27を読む。)もし間違った願望を抱いているとしたら,エホバ神に誠実に祈る過程でその間違いに気づくので,それが根づいてしまわないうちに改めることができます。

      16 クリスチャンで妻である人は,夫が奉仕の僕として仕え,ゆくゆくは監督つまり長老として仕えるようになることを切に願っているかもしれません。そして,個人的な祈りの中で言い表わす願いに調和して,自分自身,模範的な振る舞いをするよう努めるかもしれません。これは重要です。その兄弟の家族の話すことや行なうことは,兄弟が会衆内でどう見られるかに影響するからです。

      他の人々を代表して公の祈りをささげる

      17 私的な祈りをする際,自分一人になることが望ましいのはなぜですか。

      17 イエスはしばしば,み父に自分だけで祈るために群衆のいる所から退きました。(マタ 14:13。ルカ 5:16; 6:12)わたしたちも,同じように自分一人になる必要があります。平穏な場所で静かに祈れば,エホバに喜ばれる決定,霊的に自分の最善の益となる決定を下せるでしょう。とはいえ,イエスは人々の前でも祈りました。それで,そのような祈りをどのようにふさわしくささげられるかを考えるのは良いことです。

      18 兄弟たちは,会衆を代表して公の祈りをささげる際,どんなことを心に留めるべきですか。

      18 わたしたちの集会では,忠節な男子が会衆を代表して公の祈りをささげます。(テモ一 2:8)信仰の仲間は,そのような祈りの結びに,「そうなりますように」という意味で「アーメン」と言えるようであるべきです。しかし,そのためには,言われた事柄に同意していなければなりません。イエスの模範的な祈りには,当惑させるようなところも,ぶっきらぼうなところもありません。(ルカ 11:2-4)イエスはまた,聴衆一人一人の必要や問題すべてを並べ立てたりしませんでした。個人の関心事は,私的な祈りに含めるべきであり,公の祈りにはふさわしくありません。また,一群の人々を代表して祈る際には,内密の事柄を含めないようにすべきです。

      19 公の祈りがささげられている時には,どのように振る舞うべきですか。

      19 だれかがわたしたちを代表して公の祈りをささげている時,わたしたちは神への恭しい「恐れ」を示さなければなりません。(ペテ一 2:17)ある行為は,時と場所によっては良いとしても,クリスチャンの集会ではふさわしくないかもしれません。(伝 3:1)例えば,そのような祈りがささげられる時に,皆で腕を組み合ったり手を取り合ったりするようだれかが促すのは,どうでしょうか。そのようにすると,出席していてもわたしたちと同じ信念を持っているわけではない人を含め一部の人々は,嫌な気持ちになるかもしれず,祈りに集中できないかもしれません。公の祈りがささげられている時に,そっと手をつなぐ夫婦もいるかもしれませんが,もし抱き合うとしたら,それを目にした人はつまずくかもしれません。『その夫婦は,エホバに対する恭しい気持ちを抱くよりも,自分たちのロマンチックな関係に心を向けている』と思うか,そのような印象を受けることでしょう。ですから,神に対して深い敬意を払って,「すべての事を神の栄光のためにし」,他の人を集中できなくさせたり,当惑させたり,つまずかせたりするようなことは慎みましょう。―コリ一 10:31,32。コリ二 6:3。

      何を祈り求めるか

      20 ローマ 8章26,27節をあなたはどのように説明しますか。

      20 時には,私的な祈りをするさい何と言ったらよいか分からないこともあるでしょう。パウロはこう書いています。『祈るべきときに何を祈り求めればよいのかをわたしたちは知りませんが,聖霊そのものがことばとならないうめきと共にわたしたちのために願い出てくれます。それでも,心を探る神は,霊の意味するところが何かを知っておられます』。(ロマ 8:26,27)エホバは多くの祈りが聖書中に記録されるようになさいました。霊感によるそれらの請願をわたしたちの述べたいと思う願いとして受け入れ,それをかなえてくださいます。神はわたしたちのことを知っておられ,ご自分の霊に聖書筆者を通して語らせた事柄の意味もご存じです。霊がわたしたちのために「願い出てくれる」つまり執り成しをしてくれると,エホバはわたしたちの祈願を聞き入れてくださるのです。とはいえ,わたしたちは神の言葉に一層精通するようになるにつれて,祈り求めるべき事柄が容易に思い浮かぶようになることでしょう。

      21 次の記事では何を調べますか。

      21 すでに学んだとおり,わたしたちの祈りは確かに自分について多くのことを物語ります。例えば,エホバにどれほど引き寄せられているか,み言葉をどれほどよく知っているかを明らかにする場合があります。(ヤコ 4:8)次の記事では,聖書中に記録されている幾つかの祈りや祈りのこもった表現を調べましょう。聖書をそのように調べると,祈りのうちに神に近づく点で,どんな益を受けられるでしょうか。

  • 聖書を研究して祈りの質を向上させる
    ものみの塔 2009 | 11月15日
    • 聖書を研究して祈りの質を向上させる

      「ああ,エホバよ,どうか,あなたの耳がこの僕の祈り……に注意深くありますように」。―ネヘ 1:11。

      1,2 聖書中に記されている祈りを幾つか取り上げて考えることが有益なのはなぜですか。

      祈りと聖書研究は,真の崇拝の肝要な特色です。(テサ一 5:17。テモ二 3:16,17)もちろん,聖書は祈祷書ではありません。ですが,詩編の中の多くの祈りをはじめ,相当の数の祈りが収められています。

      2 聖書を読んで研究していると,自分の状況にぴったりの祈りがあることに気づくかもしれません。実際,聖書中に記されている,祈りのこもった考えを自分の祈りに織り込むと,祈りの質は向上します。では,助けを求める嘆願が聞き入れられた人たちから,またその祈りの内容から,どんなことを学べるでしょうか。

      神の導きを求めてそれに従う

      3,4 アブラハムの僕はどんな任務をゆだねられましたか。エホバの行なわれた事柄からどんなことを学べますか。

      3 聖書を研究すると,神の導きを常に祈り求めるべきことがはっきり分かります。族長アブラハムが,イサクの妻となる,神を恐れる女性を連れて来させるために,エリエゼルと思われる最年長の僕をメソポタミアへ遣わした時にどんなことがあったか,考えてみてください。その僕は,ある井戸で女たちが水を汲む時間に,こう祈りました。「エホバ,……ぜひともこうなりますように。つまり,若い女で,『どうかあなたの水がめを下ろして飲ませてください』とわたしが言うときに,『お飲みください。そしてあなたのらくだにも水を上げましょう』と言う者,その者をあなたの僕,イサクのためにぜひ選び定めてくださいますように。そのようにして,わたしの主人に忠節な愛をお示しになったことを,わたしに知らせてくださいますように」。―創 24:12-14。

      4 アブラハムの僕の祈りは聞き入れられ,リベカがその僕のらくだたちに水を飲ませました。リベカはすぐにその僕に伴ってカナンへ行き,イサクの愛する妻となりました。もちろん,今日だれも,神から特別なしるしを与えてもらえると期待することはできません。とはいえ,祈るとともに,神の霊による指導に従う決意でいるなら,神は人生を導いてくださいます。―ガラ 5:18。

      祈りは思い煩いを軽減する助けになる

      5,6 ヤコブがエサウに会おうとしている時にささげた祈りは,どんな点が注目に値しますか。

      5 祈ることにより,思い煩いが軽減される場合もあります。ヤコブは兄エサウと双子でしたが,そのエサウから危害を加えられることを恐れて,こう祈りました。「エホバ,……私は,あなたがこの僕にお示しくださったすべての愛ある親切と忠実さとには値しない者です。……お願い致します。わたしの兄弟の手から,エサウの手から私を救い出してください。わたしは彼を恐れているのです。やって来て,きっとわたしを,母も子もともに襲うのではないかと。ですがあなたご自身は,『わたしは必ずあなたに良いことがあるようにし,あなたの胤を海の砂の粒のようにする。それは多くて数えつくせない』と言われたのです」。―創 32:9-12。

      6 ヤコブは用心のための措置も講じましたが,祈りが聞き入れられ,エサウと和解することができました。(創 33:1-4)その請願を注意深く読めば,ヤコブが単に助けを願い求めたのではないことが分かります。約束の胤に対する信仰を表明し,神の愛ある親切に対する感謝の気持ちを言い表わしています。あなたにも何らかの『内なる恐れ』がありますか。(コリ二 7:5)もしそうなら,ヤコブの懇願から,祈れば思い煩いが軽減される場合もあることが分かるでしょう。とはいえ,祈りには,願い事だけでなく信仰の表明も含まれるべきです。

      知恵を祈り求める

      7 モーセがエホバの道を知るために祈ったのはなぜですか。

      7 エホバに喜ばれたいと思うと,知恵を祈り求めようという気持ちになるはずです。モーセは神の道を知るために祈りました。こう願い求めています。「ご覧ください,あなた[エホバ]は,『この民を[エジプトから]導き上れ』とわたしに言っておられます……。ですから今,どうか,もしわたしがあなたの目に恵みを得ているのでしたら,あなたの道をどうかわたしに分からせてください。わたしが……あなたの目に恵みを得るためです」。(出 33:12,13)神はその祈りにこたえて,モーセに,ご自分の道に関する一層の知識 ― モーセがエホバの民の間で指導の任に当たるのに必要な知識 ― をお与えになりました。

      8 列王第一 3章7-14節の記述を黙想すると,どのように益を受けることができますか。

      8 ダビデも,「エホバよ,あなたの道をわたしに知らせてください」と祈りました。(詩 25:4)ダビデの子ソロモンは,イスラエルで王としての務めを果たすために必要な知恵を神に懇願しました。その祈りはエホバに喜ばれ,ソロモンは,願い求めたものだけでなく,富と栄光も与えられました。(列王第一 3:7-14を読む。)もしあなたが自分には重すぎるように思える奉仕の特権を与えられたとしたら,知恵を祈り求め,謙遜な態度を示すのは良いことです。そうすれば,神はあなたが知識を得て,愛あるふさわしい態度で責任を果たすのに必要な知恵を働かせることができるように助けてくださいます。

      心から祈る

      9,10 ソロモンが神殿の奉献式の祈りの中で心に関連して述べている事柄は,どんな点が重要だと思いますか。

      9 祈りは,聞いていただくためには,心からのものでなければなりません。列王第一 8章に記録されているとおり,西暦前1026年,エホバの神殿の奉献式のためにエルサレムに集合した群衆の前で,ソロモンは心のこもった祈りをささげています。至聖所に契約の箱が安置されて神殿にエホバの雲が満ちたあと,神を賛美したのです。

      10 その祈りを研究し,ソロモンが心に関連して述べている事柄に注目しましょう。ソロモンは,エホバだけが人の心を知っておられる,ということを認めました。(王一 8:38,39)同じその祈りは,罪を犯しても『心をつくして神に立ち返る』人には希望がある,ということを示しています。また,神の民は,たとえ敵にとりこにされたとしても,心がエホバと全く一致しているなら,嘆願を聞いていただけることになっていました。(王一 8:48,58,61)ですから,確かに,祈りは心からのものでなければならないのです。

      詩編は祈りの質をどのように向上させるか

      11,12 当分は神の聖なる所へ行けなかったあるレビ人の,祈りのこもった表現から,どんなことを学びましたか。

      11 詩編を研究すれば,祈りの質を向上させることができ,神からの答えを待つように助けられます。例えば,流刑にされたレビ人の辛抱について考えてみてください。当分エホバの聖なる所には行けませんでしたが,こう歌いました。「わたしの魂よ,なぜお前は絶望しているのか。なぜお前はわたしの内で騒ぎ立つのか。神を待ち望め。わたしは,わたし自身の大いなる救い,わたしの神として,なおもこの方をたたえるからだ」。―詩 42:5,11; 43:5。

      12 そのレビ人から,どんなことを学べるでしょうか。もしもあなたが義のために投獄されて,当分は信仰の仲間と一緒に崇拝の場所で過ごせないとしたら,神があなたのために行動してくださる時を辛抱強く待ってください。(詩 37:5)神への奉仕でかつて味わった喜びを思い巡らすとともに,神の民と再び活発に交われるようにしてくださる『神を待ち望む』間,忍耐力を祈り求めましょう。

      信仰のうちに祈る

      13 ヤコブ 1章5-8節の勧めどおり信仰のうちに祈るべきなのはなぜですか。

      13 あなたの今の状況がどうであれ,常に信仰のうちに祈ってください。忠誠の試みに直面しているのであれば,弟子ヤコブの助言に従いましょう。祈りのうちにエホバに頼ってください。試練に対処するのに必要な知恵を神が与えてくださることを疑ってはなりません。(ヤコブ 1:5-8を読む。)あなたが何か不安を抱えているとしたら,神はそのことをご存じであり,ご自分の霊によってあなたを導き,慰めることがおできになります。ですから,『疑うことなく』全き信仰のうちに神に心を打ち明け,神の霊の導きとみ言葉の助言を受け入れてください。

      14,15 ハンナは信仰のうちに祈り,行動した,と言えるのはなぜですか。

      14 レビ人エルカナの妻二人のうちハンナは,信仰のうちに祈り,行動しました。子どものいないハンナは,エルカナのもう一人の妻で幾人かの子どもを生んでいたペニンナからあざけられました。その後,幕屋に行った時,エホバに,『わたしが男の子を生むことができたなら,その子をあなたにささげます』と誓いました。祈っているあいだ唇が震えていたので,大祭司エリはそれを見て,酔っているのだと思いました。しかしエリは,そうではないことを知ると,「イスラエルの神が……その請願をかなえてくださるように」と言いました。ハンナは,どんな結果になるか正確には知りませんでしたが,自分の祈りは聞き入れられるという信仰を抱いていました。それで,『その顔はもはや自分のことを気遣っているようではありませんでした』。もう悲しそうではなく,ふさぎ込んでもいなかったのです。―サム一 1:9-18。

      15 サムエルが生まれて乳離れした後,ハンナはサムエルをエホバに差し出し,幕屋での神聖な奉仕にささげました。(サム一 1:19-28)その時のハンナの祈りについてじっくりと黙想するなら,あなたの祈りの質はより一層向上するとともに,次の点を理解するよう助けられることでしょう。すなわち,たとえ何かの問題に悩まされ,悲しい思いをしていても,『エホバが聞き入れてくださる』という信仰のうちに祈れば,乗り越えられる,ということです。―サム一 2:1-10。

      16,17 ネヘミヤが信仰のうちに祈り,行動した結果,どんなことが起きましたか。

      16 西暦前5世紀の,廉直な人ネヘミヤも,信仰のうちに祈り,行動しました。こう願い求めています。「ああ,エホバよ,どうか,あなたの耳がこの僕の祈りと,あなたのみ名を恐れることを喜ぶあなたの僕たちの祈りに注意深くありますように。そして,どうか,今日,この僕にぜひ功を奏させ,この人の前で哀れみを受けさせてください」。「この人」とは,ネヘミヤが献酌官として仕えていたペルシャの王アルタクセルクセスです。―ネヘ 1:11。

      17 ネヘミヤは,バビロンでの捕囚から解放されたユダヤ人が『大変な窮状と恥辱のうちにあり,エルサレムの城壁は崩されたままである』ことを知った後,数日間,信仰のうちに祈りました。(ネヘ 1:3,4)その祈りはネヘミヤの期待を超えて聞き入れられました。ネヘミヤはアルタクセルクセス王から,城壁再建のためにエルサレムへ行くことを許されたのです。(ネヘ 2:1-8)しばらくして,城壁は修理されました。ネヘミヤの祈りが聞き入れられたのは,祈りが真の崇拝に焦点を合わせ,信仰のうちにささげられたものだったからです。あなたの祈りもそうでしょうか。

      賛美と感謝を忘れてはならない

      18,19 エホバの僕が神に賛美と感謝をささげるべきなのはなぜですか。

      18 祈りの中でエホバに賛美と感謝をささげることを忘れてはなりません。そうすべき非常に多くの理由があるのです。例えば,ダビデは熱烈にエホバの王権をほめたたえました。(詩編 145:10-13を読む。)あなたの祈りには,エホバの王国を告げ知らせる特権の素晴らしさに対する認識が表われていますか。詩編作者の言葉は,クリスチャンの集会や大会に対する感謝の気持ちを,心のこもった祈りの中で神に言い表わす点でも,助けになることでしょう。―詩 27:4; 122:1。

      19 神との貴重な関係を感謝しているなら,次のような考えをもって心から祈ろうという気持ちになることでしょう。「エホバよ,わたしはもろもろの民の中であなたをたたえ,国たみの中であなたに調べを奏でます。あなたの愛ある親切は大きく,天に達し,その真実は空に達するからです。神よ,あなたが天の上に高められますように。あなたの栄光が全地の上にあるように」。(詩 57:9-11)なんと心温まる歌でしょう。詩編のそのような感動的な言葉を考えると,自分の祈りは以前とは違ったものとなり,質も向上するのではないでしょうか。

      恭しく嘆願する

      20 マリアは,神への専心の思いをどのように言い表わしましたか。

      20 あなたの祈りには,神に対する恭しい気持ちがはっきり表われているべきです。マリアは自分がメシアの母になることを知ってから程なくして,あることを述べましたが,その恭しい言葉はハンナが幼いサムエルを幕屋での奉仕に差し出した時に述べた言葉と似ています。マリアが神に対して恭しい気持ちを抱いていたことは,「わたしの魂はエホバを大いなるものとし,わたしの霊は自分の救い主なる神のゆえに喜びにあふれます」という言葉から明らかです。(ルカ 1:46,47)あなたも祈りの中で同様の感情を言い表わすなら,祈りの質はさらに良いものとなるでしょう。敬虔なマリアが,メシアであるイエスの母となるように選ばれたのも,うなずけます。

      21 イエスの祈りには,恭しさと信仰がどのようにはっきり表われていましたか。

      21 イエスは,全き信仰のうちに恭しい態度で祈りました。例えば,ラザロを復活させる前に,『目を天のほうに向けて,こう言いました。「父よ,わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。もっとも,常に聞いてくださることを知っておりました」』。(ヨハ 11:41,42)あなたの祈りも,そのように恭しさと信仰のはっきり表われたものとなっていますか。イエスの恭しい模範的な祈りを研究すると,祈りは次の事柄に特に重点を置いたものであるべきことが分かります。すなわち,エホバのお名前が神聖なものとされること,神の王国が来ること,そして神のご意志が成し遂げられることです。(マタ 6:9,10)自分の祈りについて考えてみてください。エホバの王国,ご意志の遂行,聖なるみ名の聖化に対する鋭い関心が反映されているでしょうか。そうであるべきです。

      22 良いたよりを宣明するための勇気をエホバが与えてくださる,となぜ確信できますか。

      22 また,迫害その他の試練があるため,祈りにはしばしば,勇気をもってエホバに仕えるための助けを求める嘆願が含まれます。使徒のペテロとヨハネは,サンヘドリンから『イエスの名によって教える』のをやめるよう命じられても,勇気ある態度を示し,やめることを拒否しました。(使徒 4:18-20)そして釈放されると,信仰の仲間に,何があったのかを話しました。それで,その場にいた人たちは,み言葉を大胆に語る点での助けを求めて,皆で神に請願しました。その祈りが聞き入れられたのは,本当に胸の躍ることだったに違いありません。皆が『聖霊に満たされ,神の言葉を大胆に語った』のです。(使徒 4:24-31を読む。)その結果,大勢の人がエホバの崇拝者になりました。あなたも,祈るなら,強められて良いたよりを大胆に宣明することができます。

      祈りの質を向上させてゆく

      23,24 (イ)聖書を研究すれば祈りの質は向上する,ということを示す他の例を挙げてください。(ロ)自分の祈りの質を向上させるために,どんなことができますか。

      23 聖書を読んで研究すれば祈りの質は向上する,ということを示す例は,ほかにも沢山あります。例えばヨナのように,祈りの中で,「救いはエホバのものである」という点を認めることができます。(ヨナ 2:1-10)もしも重大な罪のことで苦悩していて,長老たちに助けを求めているのであれば,祈りのこもったダビデの感情を思うことにより,自分も今は悔い改めているということを個人的な祈りの中で言い表わせるかもしれません。(詩 51:1-12)ある祈りの中では,エレミヤがしたようにエホバを賛美することもできます。(エレ 32:16-19)結婚相手を探している人は,個人的に懇願するとともに,エズラ 9章にある祈りを研究すれば,結婚相手を「主にある者」に限ることによって神に従う,という決意を強めることができます。―コリ一 7:39。エズ 9:6,10-15。

      24 聖書を読み,研究し,調査してゆきましょう。自分の祈りに含められる点を探してください。聖書中の考えを,祈願に,また感謝や賛美の祈りに織り込むことができるでしょう。聖書を研究して自分の祈りの質を向上させるにつれ,エホバ神に一層近づいてゆけるに違いありません。

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