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エホバの神殿で崇拝できるのは素晴らしいことものみの塔(研究用)2023 | 10月
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幕屋
6. 幕屋はどのように使われていましたか。
6 ユダヤ人が行っていた崇拝。パウロは,モーセが紀元前1512年に立てた幕屋を基に話を進めています。(「ユダヤ人が行っていた崇拝とクリスチャンの崇拝」の図表を参照。)その幕屋はテントのような造りになっていて,イスラエル人は移動するたびにそれを持ち運んでいました。エルサレムに神殿が建設されるまで,500年近く使われていました。(出 25:8,9。民 9:22)イスラエル人は「会見の天幕」に集まって,エホバを崇拝したり犠牲を捧げたりしていました。(出 29:43-46)でも幕屋は,クリスチャンが行うことになっていたはるかに優れた崇拝を表していました。
7. エホバの偉大な神殿はいつ存在するようになりましたか。
7 クリスチャンの崇拝。幕屋は「天にあるものの影」で,エホバの偉大な神殿,つまり崇拝の取り決めを表していました。パウロは,「この天幕[つまり,幕屋]は今あるものを表して[いる]」と言いました。(ヘブ 8:5; 9:9)このことから,パウロが「ヘブライ人のクリスチャンへの手紙」を書いた時点で,この取り決めはすでに存在していたことが分かります。この神殿は,西暦29年に存在するようになりました。その年にイエスはバプテスマを受け,聖なる力によって選ばれ,エホバの「偉大な大祭司」となりました。c (ヘブ 4:14。使徒 10:37,38)
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エホバの神殿で崇拝できるのは素晴らしいことものみの塔(研究用)2023 | 10月
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祭壇と犠牲
10. 銅の祭壇で捧げられていた犠牲は何を表していましたか。
10 ユダヤ人が行っていた崇拝。幕屋の入り口の前には,エホバに動物の犠牲を捧げるための銅の祭壇がありました。(出 27:1,2; 40:29)でも,こうした犠牲を捧げても罪を完全に取り去ることはできなかったので,繰り返し捧げる必要がありました。(ヘブ 10:1-4)この犠牲は,人類の罪を完全に取り去るために一度限り捧げられることになっていた犠牲を表すものでした。
11. イエスはどんな祭壇で自分を犠牲として捧げましたか。(ヘブライ 10:5-7,10)
11 クリスチャンの崇拝。イエスは,エホバから地上に遣わされたのは人間としての命を人類のための贖いとして捧げるためだ,ということを知っていました。(マタ 20:28)それでバプテスマの時に,エホバが望まれることを行うために自分を差し出しました。(ヨハ 6:38。ガラ 1:4)イエスは,エホバの「望まれること」を表す“祭壇”で自分を犠牲にしました。エホバはイエスが人間としての完全な命を差し出すことを望んでおられました。イエスの命は,イエスに信仰を持つ人全ての罪を永久に取り去るために「一度限り」捧げられました。(ヘブライ 10:5-7,10を読む。)では次に,幕屋の中に注目してみましょう。
聖所と至聖所
12. 聖所と至聖所にはそれぞれ誰が入ることができましたか。
12 ユダヤ人が行っていた崇拝。幕屋と後にエルサレムに建てられた神殿には似たような特徴がありました。「聖所」と「至聖所」があり,刺しゅうされた幕で仕切られていました。(ヘブ 9:2-5。出 26:31-33)聖所の中には,金のランプ台,香の祭壇,供えのパンの食卓がありました。「選ばれた祭司」だけが,神聖な務めを行うために聖所に入ることができました。(民 3:3,7,10)至聖所には,金がかぶせられた契約の箱が置かれていました。それはエホバの臨在を表すものでした。(出 25:21,22)毎年の贖罪の日に,大祭司だけが幕の向こう側にある至聖所に入ることができました。(レビ 16:2,17)大祭司は動物の血を持っていき,自分と国民全体の罪のために贖罪を行いました。やがてエホバは聖なる力によって,幕屋のこうした特徴が何を表しているかを明らかにしました。(ヘブ 9:6-8)e
13. 聖所と至聖所はそれぞれ何を表していますか。
13 クリスチャンの崇拝。イエスの弟子のうち14万4000人だけが,聖なる力によって選ばれ,イエスと一緒に天で祭司として働きます。これらの人たちは,神によって選ばれた神の養子です。(啓 1:6; 14:1)幕屋の聖所は,天に行く人たちが地上にいる間に持つことのできるエホバとの特別な関係を表しています。(ロマ 8:15-17)至聖所は,エホバが住んでいる天を表しています。聖所と至聖所を隔てていた「幕」は,イエスの人間としての体を表しています。人間の体のままでは,偉大な大祭司として働くために天に入ることはできませんでした。イエスは人類のために人間としての体を犠牲にすることによって,選ばれたクリスチャン全てが天で生きられるようにしました。選ばれたクリスチャンたちも,天での命を受けるためには人間としての体を捨てる必要があります。(ヘブ 10:19,20。コリ一 15:50)イエスは復活した後,至聖所に入りました。そして最終的に,選ばれたクリスチャン全てがそこに入ることになります。
14. ヘブライ 9章12,24-26節によると,エホバの神殿の取り決めが優れていると言えるのはどうしてですか。
14 贖いの犠牲とイエス・キリストの祭司職に基づく清い崇拝を行うためのエホバの取り決めは,本当に優れています。イスラエルの大祭司は,動物の犠牲の血を携えて人が作った至聖所に入りましたが,イエスは最も聖なる場所である「天そのもの」に入り,エホバの前に出ました。そして,私たちの「罪を取り除くために」,イエスは完全な人間としての命の価値をエホバに差し出しました。(ヘブライ 9:12,24-26を読む。)イエスの犠牲のおかげで,私たちの罪は完全に許されます。では次に,天に行く希望を持つ人も地上で生きる希望を持つ人も,全ての人がエホバの神殿で崇拝を行えることについて考えましょう。
庭
15. 幕屋の庭では誰が奉仕していましたか。
15 ユダヤ人が行っていた崇拝。幕屋の庭は,囲われた広い場所で,そこでは祭司たちが奉仕を行っていました。全焼の犠牲を捧げるための大きな銅の祭壇や,銅の水盤も置かれていました。この水盤は,祭司たちが神聖な奉仕を捧げるために身を清めるためのものでした。(出 30:17-20; 40:6-8)でも,後に建てられた神殿には外側の庭もあり,そこでは祭司ではない人たちもエホバを崇拝することができました。
16. エホバの神殿のそれぞれの庭で誰が奉仕していますか。
16 クリスチャンの崇拝。天に行くクリスチャンのうち地上に残っている人たちは,イエスと一緒に祭司として奉仕する前に,エホバの神殿の内側の庭で忠実に奉仕します。大きな水盤は,それらの兄弟たちを含め,全てのクリスチャンにとって大切なことを思い起こさせます。それは,道徳面でも崇拝の面でも清い状態でいなければならない,ということです。では,天に行くクリスチャンを忠実に支えている「大群衆」はどこでエホバを崇拝するのでしょうか。使徒ヨハネは,大群衆が「王座……の前に立って……神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をして」いるのを見ました。地上で生きる希望を持つ大群衆は,外側の庭で奉仕しています。(啓 7:9,13-15)私たちには,エホバの取り決めの下で清い崇拝を行えるという素晴らしい機会があります。このことに本当に感謝できるのではないでしょうか。
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