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    ものみの塔 1993 | 12月15日
    • エホバに依り頼みなさい

      「心をつくしてエホバに依り頼め」― 箴言 3:5。

      1 箴言 3章5節は一人の若者にどのように感銘を与えましたか。そのことはどのように長期的な結果をもたらしましたか。

      長い経験を持つある宣教者は次のように書いています。『「なんじ心をつくして主に依り頼め。おのれの悟りによることなかれ」。ある家を訪問していた時のこと,わたしは,壁に掛けられた額の中のこの聖句に注意を奪われました。その日は一日中,この言葉を考えてばかりいました。自分は心をつくしてエホバに依り頼めるだろうか,とわたしは自問しました』。その時この人は21歳でした。そして,90歳になった今も,オーストラリアのパースで長老として忠実に奉仕しており,セイロン(現在のスリランカ),ビルマ(現在のミャンマー),マラヤ,タイ,インド,パキスタンなど,宣教者の新しい畑を開拓した厳しい26年間を含め,心をつくしてエホバに依り頼んだために豊かにされた人生を回顧することができます。a

      2 箴言 3章5節はわたしたちのどんな確信を強めるはずですか。

      2 「心をつくしてエホバに依り頼め」。「新世界訳」による箴言 3章5節のこの言葉は,山のような障害を克服できるまでにエホバがわたしたちの信仰を強めてくださることを確信し,エホバに心をこめて自分の人生をささげ続けるよう,わたしたちすべてを動かすはずです。(マタイ 17:20)ではこれから,箴言 3章5節をその前後関係から調べてみましょう。

      父親が与えるような教え

      3 (イ)箴言の最初の9章からどんな励ましが得られますか。(ロ)箴言 3章1,2節に細心の注意を払うべきなのはなぜですか。

      3 聖書に収められている箴言の書の最初の9章は,父親が与えるような教え,つまり,天において子としての立場を,あるいは地上の楽園で「神の子供の栄光ある自由」を享受することを待ち望む人すべてに対するエホバからの賢明な助言で光り輝いています。(ローマ 8:18-21,23)そこには,親が息子や娘たちを育てるに当たって用いることのできる賢明な助言があります。際立っているのは箴言 3章の忠告で,「我が子よ,わたしの律法を忘れてはならない。あなたの心がわたしのおきてを守り行なうように」という警告で始まっています。サタンの邪悪な世の終わりの日がその終末に向かっている今,わたしたちはエホバの諭しにこれまでに増して細心の注意を払いたいものです。その道は長く見えたかもしれませんが,「長い日々と命の年と平和があなたに加えられる」という約束が,耐え忍ぶすべての人に差し伸べられています。それは,エホバの新しい体制におけるとこしえの命のことです。―箴言 3:1,2。

      4,5 (イ)ヨハネ 5章19,20節では,どんな幸福な関係が描かれていますか。(ロ)申命記 11章18-21節の助言はどのように現代にも当てはまりますか。

      4 父親と息子の間の幸福な関係は極めて貴重なものとなり得ます。わたしたちの創造者エホバ神はそうなるように取り決められたのです。キリスト・イエスはご自身とエホバとの親密な関係についてこう言われました。「子は,自分からは何一つ行なうことができず,ただ父がしておられて,自分が目にする事柄を行なえるにすぎません。何であれその方のなさること,それを子もまた同じように行なうのです。父は子に愛情を持っておられ,ご自身のなさる事をみな子に示されるからです」。(ヨハネ 5:19,20)エホバは,同様の親密さが,ご自身と地上のご自分の家族全体の間,また人間の父親と子供たちとの間にも存在することを意図されました。

      5 古代イスラエルでは,信頼し合う家族関係を築くことが励まされました。その際エホバは,父親たちに次のような助言をお与えになりました。「あなた方は,これらわたしの言葉を自分の心と魂に置き,それをしるしとして手に結び,それをあなた方の目の間の額帯としなければならない。あなた方はまたそれを自分の子に教えて,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さなければならない。またそれを,あなたの家の戸口の柱と門に書き記すように。これは,エホバが父祖たちに与えることを誓われた地においてあなた方の命の日,そしてあなた方の子らの命の日が多くなり,地を覆う天の日数のようになるためである」。(申命記 11:18-21)実際,わたしたちの偉大な教訓者エホバ神の霊感によるみ言葉は,神と両親およびその子供たち,また,神とクリスチャン会衆内で神に奉仕する他の人々すべてを親密に結び合わせる働きをします。―イザヤ 30:20,21。

      6 どうすれば神と人との前に恵みを得ることができますか。

      6 神の民の老いた者や若い者に対する,父親が与えるような賢明な助言は,箴言 3章3節と4節で次のように続きます。「愛ある親切と真実があなたから離れることのないように。それをあなたののどに結べ。それをあなたの心の書き板に書き記して,神と地の人の目に恵みと良い洞察力を得よ」。エホバ神ご自身,愛ある親切と真実を示す面で卓越しておられます。詩編 25編10節にあるとおり,「エホバのすべての道筋は愛ある親切と真実」なのです。わたしたちもエホバに倣い,それらの特質と,そこに備わっている保護となる力を心に留め,それを貴重なネックレスのように尊び,消え去らないよう自分の心に刻み込むべきです。そうするなら,熱烈にこう祈ることができます。「エホバよ……あなたの愛ある親切とあなたの真実が,絶えずわたしを保護するものとなりますように」― 詩編 40:11。

      永続する信頼

      7 エホバはどのような点で,ご自分が信頼に値することを示してこられましたか。

      7 ウェブスター大学生用新辞典 第9版は信頼(依り頼むこと)という語を,「だれか,または何かに備わっている特性,能力,力,あるいは真実さに対する保証された信用」と定義しています。エホバの特性はエホバの愛ある親切にしっかり根ざしています。ですからわたしたちは,神が約束された事柄を果たす能力を持っておられることを,何の疑いも抱かずに確信することができます。エホバという名前自体,その方が目的を持つ偉大な方であることを明らかにしているからです。(出エジプト記 3:14; 6:2-8)エホバは創造者なので,力と活動力の源であられます。(イザヤ 40:26,29)エホバは真理を体現しておられます。『神は偽ることができない』からです。(ヘブライ 6:18)ですからわたしたちは,わたしたちの神であり,すべての真理の偉大な源であるエホバに,つまりご自分を信頼する者たちを保護し,ご自分の壮大な目的すべてを輝かしい成功へと導く全能の力を持つ方に全幅の信頼を置くよう励まされています。―詩編 91:1,2。イザヤ 55:8-11。

      8,9 残念なことに,世界に信頼が欠けているのはなぜですか。エホバの民はどのようにそれとは対照的ですか。

      8 残念なことに,わたしたちの周囲の堕落した世界では信頼が欠けています。むしろ,至るところに貪欲と腐敗が見られます。ワールド・プレス・レビュー誌の1993年5月号の表紙は,次のような言葉で飾られました。「腐敗ブーム ― 新世界秩序における不正な金。腐敗を作り出す産業は,ブラジルからドイツ,アメリカ合衆国からアルゼンチン,スペインからペルー,イタリアからメキシコ,バチカンからロシアにまで広がっている」。人間のいわゆる新世界秩序は実際には憎しみや貪欲や不信に基づいているので,人間の災いをエスカレートさせる結果を刈り取っているにすぎません。

      9 エホバの証人は政治国家とは対照的に,「エホバをその神とする国民」であることを喜んでいます。彼らだけが本当に,「我らは神を信頼す」と言うことができるのです。エホバの証人はだれもが,喜びをもって,「わたしは神と共にあってそのみ言葉を賛美します。……わたしは神に信頼を置きました。わたしは恐れません」と言うことができます。―詩編 33:12; 56:4,11。

      10 忠誠を保つよう多くの若いクリスチャンを強めてきたものは何ですか。

      10 幾千もの年若い証人たちが殴打され,投獄されているアジアのある国では,非常に大勢の人たちがエホバへの信頼ゆえに耐え忍ぶことができました。ある晩のこと刑務所で,ひどい拷問を受けていた一人の若い証人は,自分はもうこれ以上耐えられないと感じました。しかし別の若者が暗がりの中をこっそりと彼のところにやって来て,「あきらめないでください。わたしは妥協してしまったので,それ以後,思いの平安が全くありません」と小声で言いました。最初の若者はこれを聞いて堅く立つ決意を新たにしました。忠誠を破らせるためにサタンがどんな努力を払おうと,それを克服できるようエホバが助けてくださるということに,わたしたちは全幅の信頼を寄せることができます。―エレミヤ 7:3-7; 17:1-8; 38:6-13,15-17。

      11 わたしたちはどのように,エホバを信頼するよう奮い立たされますか。

      11 第一のおきての一部は,『あなたは心をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』となっています。(マルコ 12:30)わたしたちが神の言葉について黙想するとき,自分が学んでいる壮大な真理は心に深くしみこみ,自分のすべてをすばらしい神,主権者なる主エホバへの奉仕のために費やしたいという気持ちになります。わたしたちの心は,エホバに対する感謝,つまりエホバがわたしたちに教えてくださったこと,行なってくださったこと,さらにはこれから行なってくださることに対して抱く感謝にあふれ,神の救いに全き信頼を寄せるよう奮い立たされます。―イザヤ 12:2。

      12 多くのクリスチャンは長い年月の間に,どのようにエホバへの信頼を示してきましたか。

      12 この信頼は長い年月の間に培われてゆくものです。ものみの塔協会のブルックリン本部で1927年4月以降50年余りも忠実に奉仕してきた一人の謙遜なエホバの証人は,次のように書きました。『その月末には封筒にはいった5㌦の手当を受け取りました。封筒には,箴言 3章5,6節の……聖句がしるされた美しいカードもはいっていました。エホバに依り頼む十分の理由があったのです。本部に来てまもなく,地上における王国のすべての事柄を忠実に管理する「忠実で思慮深い奴隷」がエホバによって用いられていることを理解できるようになったからです。―マタイ 24:45-47』。b このクリスチャンの心は金銭に対する愛ではなく,『天にある決して尽きることのない宝』を得ることに向けられていました。今日でも同様です。世界中にものみの塔協会のベテル・ホームがありますが,国によっては奉仕者たちが一種の法的な清貧の誓いを立てて働いています。その数は数千人に上ります。彼らはエホバが日々の必要物を備えてくださるということを信頼しているのです。―ルカ 12:29-31,33,34。

      エホバに頼りなさい

      13,14 (イ)分別のある助言は,どこにしかありませんか。(ロ)迫害を切り抜けるためには何を避けなければなりませんか。

      13 わたしたちの天の父は,「自分の理解に頼ってはならない」とわたしたちを訓戒しています。(箴言 3:5)世のカウンセラーや心理学者たちは,エホバが示しておられるような知恵と理解に近づくことを決して望めません。「その理解については語り尽くすことができない」のです。(詩編 147:5)世の著名な人たちの知恵や自分自身の無知な感情に頼るのではなく,エホバと,み言葉と,クリスチャン会衆の長老たちに頼って,分別のある助言を得るようにしましょう。―詩編 55:22。コリント第一 2:5。

      14 急速に近づきつつある厳しい試練の日には,人間の知恵や目立つ立場はわたしたちにとって何の役にも立ちません。(イザヤ 29:14。コリント第一 2:14)日本では第二次世界大戦の期間中,神の民を牧していた,有能であっても高慢な一人の牧者が自分自身の理解に頼ることを選びました。彼は圧力を加えられて背教者へと転じ,群れの羊の大半も迫害のもとで活動を中止しました。不潔な独房で厳しい扱いを受けながらもそれを勇敢に切り抜けた忠節な日本人の一姉妹は,「忠実を保ったのは,特別の能力があるわけではない,目立たない人々でした。確かに,私たちはだれでも,常に心からエホバに依り頼んでいなければなりません」と述べました。c

      15 エホバを喜ばせたいなら,どんな敬虔な特質が不可欠ですか。

      15 自分自身の理解よりもエホバに依り頼むことには謙遜さが関係しています。エホバを喜ばせることを望む人すべてにとって,この特質は何と重要なのでしょう。わたしたちの神でさえ,全宇宙の主権者なる主でありながら,ご自分の理知ある創造物を扱う際に謙遜さをお示しになるのです。わたしたちはそのことを感謝することができます。「神はご自分を低くして天と地をご覧になり,立場の低い者をまさしく塵の中から立ち上がらせておられる」のです。(詩編 113:6,7)神はご自分の大いなる憐れみから,人類に対する最大の贈り物,つまりご自分の愛するみ子キリスト・イエスの貴い贖いの犠牲に基づいてわたしたちの弱さを許してくださいます。この過分のご親切を,わたしたちは本当に感謝すべきです。

      16 兄弟たちはどのように,会衆内の特権をとらえることができますか。

      16 イエスご自身,次のことをわたしたちに思い起こさせておられます。「だれでも自分を高める者は低くされ,だれでも自分を低くする者は高められるのです」。(マタイ 23:12)バプテスマを受けた兄弟たちは謙遜な態度で,クリスチャン会衆内における責任をとらえるようにすべきです。しかし,監督たちは自分たちの任命を地位の象徴とみなすのではなく,「わたしの父はずっと今まで働いてこられました。ですからわたしも働きつづけるのです」と言われたイエスのように,謙虚に,感謝の気持ちをこめ,熱心に業を行なう機会とみなすべきです。―ヨハネ 5:17。ペテロ第一 5:2,3。

      17 わたしたちは皆,何を認識すべきですか。それはどんな活動につながりますか。

      17 わたしたちは,自分がエホバの目から見れば塵にすぎないということを常に謙遜な態度で認識し,それを祈りに表わすようにしたいものです。そうであるからこそ,「エホバの愛ある親切は,定めのない時から定めのない時に至るまで,神を恐れる者たちに向けられ,その義は,子らの子らに」及ぶということを,本当に喜ぶことができます。(詩編 103:14,17)ですから,わたしたちは皆,神の言葉の熱心な研究生であるべきです。個人研究と家族研究,および会衆の集会に費やされる時間は,毎週わたしたちの最も貴重な時間の一部とならなければなりません。このようにしてわたしたちは,「最も聖なる方についての知識」を築き上げます。それが「理解なの」です。―箴言 9:10。

      「あなたのすべての道において……」

      18,19 箴言 3章6節をどのように自分の生活に当てはめることができますか。そうすればどんな結果になりますか。

      18 箴言 3章6節は理解の神聖な源であるエホバにわたしたちの注意を向け,次にこう述べています。「あなたのすべての道において神を認めよ。そうすれば,神ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる」。エホバを認めるということは,いつも祈りによって神のそばにいることと関係があります。わたしたちがどこにいようと,どんな状況が生じようと,わたしたちは祈りによって神に直接近づくことができます。毎日の仕事に出る時,野外奉仕の準備をする時,家から家に神の王国をふれ告げる時,わたしたちはエホバが自分たちの活動を祝福してくださるよう,絶えず祈ることができます。ですからわたしたちは,神がご自分を恐れるエノクやノア,それにヨシュアやダニエルのような忠実なイスラエル人に対して行なわれたように,『わたしたちの道筋をまっすぐにしてくださる』との確信を抱いて,『神と共に歩む』という計り知れないほどの特権と喜びを得ることができるのです。―創世記 5:22; 6:9。申命記 8:6。ヨシュア 22:5。ダニエル 6:23。ヤコブ 4:8,10もご覧ください。

      19 自分の請願をエホバに知っていただくとき,わたしたちは『一切の考えに勝る神の平和が,わたしたちの心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださる』ということを確信できます。(フィリピ 4:7)喜ばしい顔色に表われるこの神の平和があれば,わたしたちが伝道活動に携わっている時に会う家の人たちは,わたしたちの音信を好ましく感じることがあります。(コロサイ 4:5,6)さらにこの神の平和は,次の話に示されているように,今日の世界に広く見られるストレスや不正に苦しんでいるような人たちを元気づけることができます。d

      20,21 (イ)ナチの恐怖政治の間,エホバの証人の忠誠はどのように他の人たちを励ましましたか。(ロ)エホバの声はどんな決意をわたしたちのうちに呼び起こすはずですか。

      20 ユダヤ人大虐殺を奇跡によるかのようにして生き延びた生来のユダヤ人,マックス・リーブスターは,ナチの皆殺し収容所への旅について,次のように説明しています。「囚人は,数多くの二人用の小室に仕切られた客車に閉じ込められました。その小室の一つにほうり込まれた私の前には,目元のやさしそうな囚人がいました。彼は神の律法を守ったがゆえに囚人となったのであり,人の血を流すよりは,死を免れそうにもない刑務所に行くことを選んだ人だったのです。彼はエホバの証人のひとりでした。彼の子供たちは彼からひき離され,妻はすでに処刑されていました。彼は自分も妻と同じ結末を迎えるであろうことを知っていました。汽車で運ばれて行ったその14日間に私の祈りはかなえられました。私が永遠の命の希望を見いだしたのは,死へのこの旅路においてだったからです」。

      21 この兄弟は,当人の言葉によればアウシュビッツの「ししの穴」を経験してバプテスマを受けた後,一人のエホバの証人と結婚しました。その女性自身それまで投獄されており,彼女の父親もダハウの強制収容所で苦しみを経験していました。その父親は収容所にいる時,自分の妻と年若い娘も逮捕されたことを知りました。その時の気持ちを父親はこう述べています。「心配でたまりませんでした。するとある日,シャワーの列に並んでいた時,箴言 3章5節と6節……を引用する声を耳にしたのです。……それは天からの声のように響きました。それは落ち着きを取り戻すのに私がまさに必要としていたものでした」。その声は実際には別の囚人がその聖句を引用する声でしたが,この出来事は,神の言葉がわたしたちにどんな力を及ぼすかを強調しています。(ヘブライ 4:12)今日でもエホバの声が,「心をつくしてエホバに依り頼め」という1994年の年句の言葉をとおして,力強くわたしたちに語りかけることができますように。

      [脚注]

      a 「ものみの塔」誌,1974年3月15日号,184-189ページに掲載されている,クロード・S・グッドマンの語った,「心をつくしてエホバにより頼む」という題の記事をご覧ください。

      b 「ものみの塔」誌,1968年10月15日号,629-632ページにある,「意を決してエホバを賛美する」と題するハリー・ピーターソンの語った経験をご覧ください。

      c 「ものみの塔」誌,1988年5月1日号,21-25ページに掲載された「エホバはご自分のしもべを見捨てられない」と題する,石井マツエの語った経験をご覧ください。

      d 「ものみの塔」誌,1979年1月1日号,21-25ページに掲載された「救出! 感謝していることを行ないで示す」と題するマックス・リーブスターの語った経験もご覧ください。

  • 敬虔な恐れを培う
    ものみの塔 1993 | 12月15日
    • 敬虔な恐れを培う

      「エホバを恐れ,悪から遠ざかれ」― 箴言 3:7。

      1 箴言はだれのために書かれましたか。

      聖書の箴言の書は霊的諭しの宝庫です。エホバはまず第一に,ご自分の予型的国民であるイスラエルを教えるためにこの手引き書を備えられました。今日この書は,クリスチャンからなる神の聖なる国民に対する金言となっています。彼らは「事物の諸体制の終わりに臨んでいる」のです。―コリント第一 10:11。箴言 1:1-5。ペテロ第一 2:9。

      2 今日,箴言 3章7節の警告が非常に時宜にかなっているのはなぜですか。

      2 箴言 3章7節には次のように記されています。「自分の目から見て賢い者となってはならない。エホバを恐れ,悪から遠ざかれ」。わたしたちの最初の親の時代から,つまり「善悪を知る」ことを餌にして蛇がエバを誘惑した時からずっと,単なる人間の知恵は人類の必要にこたえることができませんでした。(創世記 3:4,5。コリント第一 3:19,20)歴史上この20世紀ほど ― 人類が無神論的で進化論的な考えの実を刈り取り,人種差別,暴力,ありとあらゆる不道徳行為によって苦しめられているこの「終わりの日」ほど,そのことが明らかになった時代はありません。(テモテ第二 3:1-5,13。ペテロ第二 3:3,4)これは“新世界無秩序”であり,国連も世の分裂した諸宗教も解決することができません。

      3 現代に関するどんな進展が預言されていますか。

      3 神の預言の言葉は,悪霊の勢力が「人の住む全地の王たちのもとに」出て行ったことを教えています。それは,「ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に」,「全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるため」です。(啓示 16:14,16)間もなくエホバからの恐れがそれらの王たち,つまり支配者たちを包みます。それはヨシュアとイスラエル人がカナン人に裁きを執行するために来た時,カナン人に臨んだような怖れとなります。(ヨシュア 2:9-11)しかし今日,「全能者なる神の憤りの怒り」の表現として,『諸国民を討ち,鉄の杖で彼らを牧する』のは,ヨシュアによって予表されていた「王の王また主の主」であるキリスト・イエスです。―啓示 19:15,16。

      4,5 救いを見いだすのはだれですか。なぜですか。

      4 その時に救いを見いだすのはだれですか。救出されるのは怖れにとらわれた者たちではなく,エホバに対する恭しい恐れを培ってきた人たちすべてです。それらの人たちは自分の目から見て賢い者となるのではなく,『悪から遠ざかり』ます。謙遜な態度で自分の思いを良い事柄で養い,悪い事柄が自分の考えから締め出されるようにします。彼らは「全地を裁く方」であられる主権者なる主エホバに対する健全な敬意を抱いています。エホバは堕落したソドムの住民を全滅させたように,悪に執着する者たちすべてを処刑しようとしておられます。(創世記 18:25)実際,神ご自身の民にとって,「エホバへの恐れは命の井戸であり,それは人を死のわなから遠ざける」のです。―箴言 14:27。

      5 神の裁きが行なわれるこの時代に,少しでも神の不興を買うことを恐れ,自分をエホバに全くささげる人たちは,「[エホバへの恐れが]へそのいやしとなり,あなたの骨の潤いとなるように」という,比喩的に表現されている箴言 3章8節の真理を理解するようになります。

      エホバを敬う

      6 どんな事柄は,箴言 3章9節に留意するようわたしたちを動かすはずですか。

      6 エホバに対する感謝に満ちた恐れは,エホバへの強い愛と相まって,箴言 3章9節にある次の言葉に留意するようわたしたちを動かすはずです。「あなたの貴重なものと,あなたのすべての産物の初物とをもってエホバを敬え」。わたしたちは自分たちの捧げ物をもってエホバを敬うよう圧力をかけられているのではありません。それは,古代イスラエルにおける犠牲に関し,出エジプト記 35章29節から申命記 23章23節までの間で12回ほど指摘されているとおり,自発的なものであるべきです。エホバへのそうした初物は,わたしたちが神から受けてきた善良さと愛ある親切に対して,わたしたちがささげ得る最善の贈り物であるべきです。(詩編 23:6)それらは,「王国と神の義をいつも第一に求め(る)」わたしたちの決意を反映するはずです。(マタイ 6:33)では,わたしたちの貴重なものをもってエホバを敬うことからどんな結果が生じますか。「そうすれば,あなたの貯蔵所は満ちて有り余り,あなたの搾りおけは新しいぶどう酒であふれるであろう」― 箴言 3:10。

      7 わたしたちはエホバにどんな初物をささげるべきですか。それはどんな結果を生みますか。

      7 エホバがわたしたちを祝福してくださる主要な方法は霊的なものです。(マラキ 3:10)したがって,わたしたちが神にささげる初物は,主として霊的なものでなければなりません。わたしたちは自分の時間やエネルギーや活力を神のご意志を行なうために用いなければなりません。そうした活動がイエスにとって力を付与する「食物」となったのと同じように,今度は自分がそれによって養われることになります。(ヨハネ 4:34)わたしたちの霊的な貯蔵所は満たされ,新しいぶどう酒によって象徴されているわたしたちの喜びはあふれることになります。さらにわたしたちは,信頼感を抱いて日ごとの十分な量の物質的な食物を祈り求めながら,世界的な王国の業を支援するため,自分の収入の中からいつも寛大に寄付をすることができます。(マタイ 6:11)物質の資産を含め,わたしたちが持つすべてのものは,わたしたちの愛ある天の父から来るのです。天の父はわたしたちがそれら貴重なものをご自分に対する賛美にどの程度用いるかに応じて,さらに祝福を注いでくださいます。―箴言 11:4。コリント第一 4:7。

      愛の戒め

      8,9 戒めと懲らしめをどうみなすべきですか。

      8 箴言 3章11節と12節は,敬虔な家族内にも,またエホバと地上の愛する霊的な子供たちとの間にも存在する父と子の幸福な関係に再度言及し,こう述べています。「我が子よ,エホバの懲らしめを退けてはならない。その戒めを憎悪してはならない。エホバは,父がその楽しみとする子を戒めるように,ご自分の愛する者を戒められるからである」。世の人々は戒めを嫌います。エホバの民は戒めを喜んで受けるべきです。使徒パウロは箴言から上記の言葉を引用し,こう述べました。「我が子よ,エホバからの懲らしめを軽く見てはならず,また神に正されるとき,弱り果ててもならない。エホバは自分の愛する者を懲らしめられるからである。……確かに,どんな懲らしめも当座は喜ばしいものに思えず,かえってつらいことに思えます。しかし後には,それによって訓練された人に,平和な実,すなわち義を生み出すのです」― ヘブライ 12:5,6,11。

      9 実際,戒めと懲らしめは,親やクリスチャン会衆からのものであろうと,あるいは個人研究をする時に聖句を黙想して得たものであろうと,わたしたち一人一人にとって必要な訓練の一部です。懲らしめに留意するということは,わたしたちにとって生死を決する問題なのです。箴言 4章1節と13節にも記されているとおりです。「子らよ,父の懲らしめに聴き従って注意を払い,理解を得るようにせよ。懲らしめをとらえよ。それを放してはならない。それを守れ。それはあなたの命だからである」。

      最大の幸福

      10,11 箴言 3章13-18節の喜ばしい言葉には,どんな様々な面がありますか。

      10 その後に続く言葉は何と美しいのでしょう。まさに『喜ばしく,真実の正確な言葉』です。(伝道の書 12:10)霊感によるこのソロモンの言葉は,真の幸福について説明しています。それはわたしたちが自分の心に刻み込むべき言葉なのです。こう記されています。

      11 「知恵を見いだした人,識別力を得る人は幸いだ。それを利得として得ることは銀を利得として得ることに勝り,それを産物として得ることは金そのものにも勝るからである。それはさんごよりも貴重であり,あなたの他のすべての喜びもこれに及ばない。長い日々がその右の手にあり,その左の手には富と栄光がある。その道は快い道,その通り道はみな平安である。それはこれをとらえる者たちには命の木であり,これをしっかりととらえている者たちは幸いな者と呼ばれる」― 箴言 3:13-18。

      12 知恵と識別力はどのようにわたしたちを益するはずですか。

      12 知恵。この言葉は箴言の書の中で何度も用いられており,全部で46回出てきます。「エホバへの恐れは知恵の始め」です。これは神の言葉に基づいた敬虔で実際的な知恵であり,これにより神の民は,サタンの世の荒れ狂う危険な嵐の中にあっても,安全な進路を進むことができます。(箴言 9:10)箴言の中で19回言及されている識別力は,知恵を補足するものであり,わたしたちがサタンの計略と戦うための助けになります。この大敵対者には,ずる賢い行為を実行に移す際の,幾千年にもおよぶ経験があります。しかしわたしたちには,教師として経験よりもずっと価値のあるものがあります。それは敬虔な識別力,つまり正邪を区別し,行くべき正しい道を選ぶ能力です。エホバがみ言葉を通してわたしたちに教えておられるのはそれなのです。―箴言 2:10-13。エフェソス 6:11。

      13 経済面で困難な時代にわたしたちを保護するものは何ですか。それはどのように保護となりますか。

      13 今日の世界における経済の混乱は,次に挙げるエゼキエル 7章19節の預言が成就する前兆です。「彼らは自分たちの銀をちまたに捨てる。彼らの金は憎悪すべきものとなる。その銀も金も,エホバの憤怒の日に彼らを救い出すことはできない」。地上の物質の富すべてをもってしても,知恵と識別力に備わっている救いの力には全く及びません。賢王ソロモンは別の時に,「金が身の守りであるように,知恵も身の守り……である。しかし知識の利点は,知恵がそれを所有する者たちを生きつづけさせることにある」と述べました。(伝道の書 7:12)今日,エホバの快い道を歩み,知恵をもって「長い日々」,つまりイエスの贖いの犠牲に信仰を働かせるすべての人に対する神の賜物である永遠の命を選ぶ人は皆,本当に幸福です。―箴言 3:16。ヨハネ 3:16; 17:3。

      真の知恵を培う

      14 エホバは模範となる知恵をどのように示してこられましたか。

      14 神の像に造られたわたしたち人間が,知恵と識別力,つまりエホバご自身が創造というすばらしい業を行なう際にお示しになった特質を培うよう努力するのはふさわしいことです。「エホバは知恵をもって自ら地の基を据えられた。識別力をもって天を固く定められた」。(箴言 3:19,20)神は何かあいまいで説明のつかない進化の過程ではなく,創造という直接的な行為を通して,それぞれ「その種類にしたがって」,また賢明な目的のために,生き物を造ってゆかれました。(創世記 1:25)最後に,動物よりもはるかに優れた知力と能力を持つ人間が生み出された時,み使いである神の子たちの喝采は,天全体に鳴り響き,こだましたに違いありません。(ヨブ 38:1,4,7と比較してください。)エホバの識別力に富んだ先見,エホバの知恵,そしてエホバの愛は,その方が生み出した地上にあるすべてのものの中にはっきり見ることができます。―詩編 104:24。

      15 (イ)知恵を培うだけでは不十分なのはなぜですか。(ロ)箴言 3章25,26節は,どんな確信をわたしたちのうちに呼び覚ますはずですか。

      15 わたしたちはエホバの知恵や識別力などの特質を培うにとどまらず,それらをしっかりと保ち,み言葉の研究を決して怠らないようにする必要もあります。エホバはこのように訓戒しておられます。「我が子よ,それらがあなたの目から離れて行くことのないように。実際的な知恵と思考力を守れ。そうすれば,それはあなたの魂にとっての命となり,あなたののどにとっての麗しさとなるであろう」。(箴言 3:21,22)このようにしてわたしたちは,サタンの世に突如として臨む「突然の滅び」の日が盗人のように近づいている間も,安全と思いの平安を保って歩むことができます。(テサロニケ第一 5:2,3)大患難の最中,「突然の怖ろしいことも,邪悪な者たちを襲うあらしも,それが到来しようとしているからといって,あなたは恐れる必要はない。エホバご自身が実際にあなたの確信となってくださり,あなたの足を必ず捕らわれから守ってくださるからである」。―箴言 3:23-26。

      善を行なうことに対する愛

      16 宣教での熱意に加え,クリスチャンにはどんな行動が求められますか。

      16 今は,あらゆる国民に対する証しのため王国のこの良いたよりを宣べ伝える業に熱意を示すべき時代です。しかしこの証しの業は,箴言 3章27節と28節に描かれているとおり,クリスチャンの他の活動によって支えられなければなりません。「あなたの手に善を行なう力があるのに,それを受けるべき人から控えてはならない。あなたのもとに何かがあるのに,仲間の者に,『行って,また来なさい。明日,与えよう』と言ってはならない」。(ヤコブ 2:14-17と比較してください。)世界が広範にわたって貧困や飢きんで身動きが取れなくなっているため,わたしたちが仲間たちを,特に霊的な兄弟たちを助けるための緊急な呼びかけがなされてきました。エホバの証人はどのようにこたえ応じてきましたか。

      17-19 (イ)1993年中には,緊急に生じたどんな必要が満たされましたか。それに対してどんな反応がありましたか。(ロ)困難に直面している兄弟たちが「全く勝利を収めている」ことを何が実証していますか。

      17 一例を取り上げましょう。昨年,旧ユーゴスラビアから緊急な援助の要請がありました。近隣諸国の仲間の兄弟たちはすばらしい反応を示しました。その冬の寒さの厳しい月々に,幾つかの救援輸送隊が戦闘地域に入り込み,困窮していた証人たちに,最新の出版物,暖かい衣料,食料品,医薬品などを運ぶことができたのです。あるとき,兄弟たちは15㌧の救援物資を運び込むための許可を申請しましたが,許可が与えられた時にはそれが30㌧にもなっていました。オーストリアの証人たちはさらに3台のトラックを急行させました。目的地に着いた物資は全部で25㌧でした。このように霊的なものと物質的なものをたくさん受け取って,兄弟たちは本当に喜びました。

      18 それらのものを受け取った人たちはどのような反応を示したでしょうか。今年の初め,一人の長老はこのように書きました。「サラエボの兄弟姉妹たちは元気にやっています。そして,一番大切なのは,今なおわたしたちが,この気違いじみた戦争を耐えるだけの霊的な強さを保っているということです。食糧事情は大変悪い状態にありました。皆さんがわたしたちのために払ってくださった努力に対してエホバが祝福と報いを与えてくださいますように。当局はエホバの証人の模範的な生き方と権威に対する敬意のゆえに,証人たちに敬意を抱いています。わたしたちは皆さんが持って来てくださった霊的食物にも感謝しています」。―詩編 145:18と比較してください。

      19 危険にさらされたこれらの兄弟たちは,野外宣教を熱心に行なうことによっても感謝を示してきました。近所の人たちが大勢やってきて,家庭聖書研究を申し込みました。5㌧の救援用食糧が運び込まれたトゥズラ市では,その月に40人の伝道者が会衆内の9人の開拓者をよく支え,各人が平均して25時間の奉仕時間を報告しました。イエスの死の記念式の出席者は243人という驚異的な数に上りました。確かに,これら親愛なる兄弟たちは,「わたしたちを愛してくださった方によって……全く勝利を収めているのです」。―ローマ 8:37。

      20 旧ソ連では,どのように「均等を図ること」が行なわれましたか。

      20 また,旧ソ連に運び込まれた救援用食糧と暖かい衣料の大輸送隊によって証明された寛大な精神は,旧ソ連の兄弟たちの熱意に見合うものでした。例えば,モスクワでは,記念式の出席者は昨年の3,500人に対して今年は7,549人でした。その同じ期間に,同市の会衆の数は12から16に増えました。旧ソ連全体(バルト諸国を除く)では,会衆の数は14%,王国伝道者は25%,開拓者は74%増加しました。何という熱意と自己犠牲の精神なのでしょう。これで思い出されるのは,「均等を図ること」が行なわれた1世紀の例です。霊的な資産と物質的な資産を所有していたクリスチャンは,恵まれない場所の人々に寛大に贈り物をしましたが,困窮していた人々の熱意は,寄付をした人たちに喜びと励ましを与えたのです。―コリント第二 8:14。

      悪を憎め

      21 箴言 3章の結びの言葉で,賢い者と愚鈍な者がどのように対照されていますか。

      21 箴言 3章は次に一連の対照を示し,このような訓戒で締めくくっています。「暴虐の者をうらやんではならない。また,そのいずれの道をも選んではならない。ねじくれた人はエホバにとって忌むべきものであり,神の親密さは廉直な者たちと共にあるからである。エホバののろいは邪悪な者の家にあり,義なる者たちの住まいを神は祝福される。あざける者たちに関することであれば,神ご自身があざ笑う。しかし,柔和な者たちには恵みを示してくださる。賢い者たちは誉れを得ることになり,愚鈍な者たちは不名誉を高めているのである」― 箴言 3:29-35。

      22 (イ)わたしたちはどうすれば,愚かな者たちが迎える結末を避けることができますか。(ロ)賢い人は何を憎み,何を培いますか。どんな報いが与えられますか。

      22 どうすれば愚か者の中に数えられずにすむでしょうか。わたしたちは悪を憎むこと,そうです,エホバが忌み嫌うもの,つまりこの暴力的で血の罪を負う世のねじくれた道をすべて忌み嫌うことを学ばなければなりません。(箴言 6:16-19もご覧ください。)それとは逆に,わたしたちは善いこと,つまり廉直さや義や柔和を培い,謙遜とエホバへの恐れをもって「富と栄光と命」に到達できるようにしなければなりません。(箴言 22:4)この報いは,「心をつくしてエホバに依り頼め」という訓戒を忠節に当てはめるすべての人に与えられるのです。

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