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エホバの偉大さは探りがたいものみの塔 2004 | 1月15日
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エホバの偉大さは探りがたい
「エホバは大いなる方,大いに賛美されるべき方。その偉大さは探りがたい」。―詩編 145:3。
1,2 ダビデはどんな人でしたか。神との関係において自分をどうみなしていましたか。
詩編 145編の作者は歴史上よく知られた人です。少年時代には,武装した巨人に立ち向かって討ち倒したことがあります。戦士たる王となってからも,多くの敵を打ち負かしました。その人の名はダビデ,古代イスラエルの2代目の王です。死後もその評判は残り,今日でも多くの人がダビデについて何らかのことを知っています。
2 ダビデは功績を上げたにもかかわらず,自分自身に関して謙遜な見方をしていました。エホバについてこう歌っています。「わたしがあなたの指の業であるあなたの天を,あなたの定められた月や星を見るとき,死すべき人間が何者なのであなたはこれを思いに留められるのですか。地の人の子が何者なのでこれを顧みられるのですか」。(詩編 8:3,4)またダビデは,自分は大いなる者であると考えるのではなく,敵するすべての者からエホバが救い出してくださったことを認め,神についてこう述べています。「あなたはその救いの盾をわたしに下さいます。あなたの謙遜さがわたしを大いなる者とします」。(サムエル第二 22:1,2,36)罪ある者に憐れみを示してくださるのはエホバの謙遜さの表われであり,ダビデは神の過分のご親切に感謝していました。
『王なる神をわたしは高めます』
3 (イ)イスラエルの王権について,ダビデはどう考えていましたか。(ロ)ダビデはエホバを賛美することをどれほど強く願っていましたか。
3 ダビデは神から任命された王でしたが,イスラエルの真の王はエホバであると考えていました。こう述べています。「すべてのものの頭として自らを高めておられる方,エホバよ,王国も,あなたのものです」。(歴代第一 29:11)神が支配者であられることの価値をダビデは心から認めていました。それでこう歌っています。「王なるわたしの神よ,わたしはあなたを高めます。定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたのみ名をほめたたえます。わたしは一日じゅうあなたをほめたたえ,定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたのみ名を賛美します」。(詩編 145:1,2)エホバ神を終日,とこしえにわたって賛美することを,ダビデは願っていたのです。
4 詩編 145編は,どんな虚偽の主張を暴いていますか。
4 神は利己的な支配者で,被造物に自由を与えることを拒んでいる,とサタンは主張していますが,詩編 145編はその主張に対する強力な答えとなっています。(創世記 3:1-5)またこの詩は,神に従う者は神への愛ゆえにではなく,ただそれによって得られるもののためにそうしている,というサタンの偽りを暴いています。(ヨブ 1:9-11; 2:4,5)今日の真のクリスチャンもダビデのように,悪魔の虚偽の非難に対する答えを提出しています。神の王国による支配のもとで永遠に生きるという希望を大切にしていますが,それは,とこしえにエホバを賛美したいと願っているからです。幾百万もの人たちは今すでにその賛美を始めています。イエスの贖いの犠牲に信仰を働かせることにより,また献身してバプテスマを受けた崇拝者として愛の動機で従順にエホバに仕えることにより,そうしているのです。―ローマ 5:8。ヨハネ第一 5:3。
5,6 エホバをほめたたえて賛美するどんな機会がありますか。
5 考えてみてください。わたしたちには,神の僕としてエホバをほめたたえて賛美する多くの機会があります。例えば,み言葉 聖書を読んで深く感動したときに,祈りで賛美することができます。ご自分の民への神の接し方に感銘を受けたときや,驚嘆すべき創造物の何らかの点に感激したときにも,賛美や感謝を言い表わすことができます。また,クリスチャンの集会や個人的な会話で仲間の信者と神の目的について語り合うことによっても,エホバ神をほめたたえることができます。要するに,神の王国のためになされる「りっぱな業」すべてはエホバへの賛美となるのです。―マタイ 5:16。
6 現代におけるそのようなりっぱな業には,貧困にあえぐ国々の各地でエホバの民が行なっている崇拝の場所の建設が含まれます。そうした建設の大半は,他の国の仲間の信者による財政的な支援によって成し遂げられてきました。王国会館建設に参加するために自発的に現地へ出かけて行って援助するクリスチャンもいます。とはいえ,あらゆるりっぱな業のうち最も重要なのは,神の王国の良いたよりを宣べ伝えてエホバを賛美することです。(マタイ 24:14)詩編 145編の後の節から分かるとおり,ダビデは神による支配を大切なものとみなし,神の王権をほめたたえています。(詩編 145:11,12)あなたも,神の愛ある支配の仕方を大切なものとみなしていますか。そして,いつも神の王国について他の人に語っておられますか。
神の偉大さの実例
7 エホバを賛美すべき大切な理由を挙げてください。
7 詩編 145編3節には,エホバを賛美すべき大切な理由が述べられています。ダビデはこう歌っています。「エホバは大いなる方,大いに賛美されるべき方。その偉大さは探りがたい」。エホバの偉大さには限度がありません。人間はそれを探り尽くすことも,すっかり理解したり測ったりすることもできません。とはいえ,ここでエホバの探りがたい偉大さの実例を幾つか考えるのは有益でしょう。
8 エホバの偉大さと力について宇宙は何を明らかにしていますか。
8 明るい町中を離れて,雲一つない夜空を見上げたときのことを思い出してください。真っ暗な天空に輝く膨大な数の星を見て,息をのんだのではありませんか。それらすべての天体を創造された偉大なエホバを賛美したいと思ったのではないでしょうか。しかし,目に見えたのは,地球を含む銀河系の星々のごく一部にすぎません。さらに1,000億以上の銀河があると考えられており,そのうち望遠鏡を使わずに見ることができるのは三つだけです。広大な宇宙を構成する無数の星や銀河はまさに,エホバの創造する力と探りがたい偉大さの証です。―イザヤ 40:26。
9,10 (イ)イエス・キリストに関連して,エホバの偉大さのどんな面が表われていますか。(ロ)イエスの復活はわたしたちの信仰にどんな影響を与えますか。
9 エホバの偉大さの他の面として,イエス・キリストにかかわる面も考えてみましょう。神の偉大さは,み子を創造し,計り知れない長大な年月にわたってご自分の「優れた働き手」としてお用いになったことにも示されています。(箴言 8:22-31)また,エホバの愛の偉大さは,人類のための贖いの犠牲として独り子をお与えになったときに明示されました。(マタイ 20:28。ヨハネ 3:16。ヨハネ第一 2:1,2)そして,復活したイエスにエホバは栄光ある不朽の霊の体をお授けになりましたが,その体も人間の理解できるところをはるかに超えています。―ペテロ第一 3:18。
10 イエスの復活にも,エホバの探りがたい偉大さの幾つもの目覚ましい面が関係しています。神は,見えないものと見えるものの創造に要した仕事に関するイエスの記憶を回復させたに違いありません。(コロサイ 1:15,16)創造されたものの中には,他の霊の被造物,宇宙,産出的な地,そして地球上のありとあらゆる生物が含まれます。エホバは,み子が人間となる前に目撃した天と地の生命の全歴史に関する知識を回復させただけでなく,イエスが完全な人間として経験した事柄も付け加えられました。このように,エホバの探りがたい偉大さは,イエスの復活にもはっきり示されています。さらに,その偉大な行ないは,他の者たちの復活も可能であることの保証となっています。また,神はご自分の完全な記憶にとどめておられる無数の死者を生き返らせることがおできになる,という信仰を強めるものともなります。―ヨハネ 5:28,29。使徒 17:31。
くすしいみ業と力強い行ない
11 西暦33年のペンテコステの日に,エホバはどんな偉大な業を開始されましたか。
11 イエスの復活の後も,エホバは偉大なくすしいみ業をたくさん行なわれました。(詩編 40:5)西暦33年のペンテコステの日にエホバは,聖霊によって油そそがれたキリストの弟子たちで成る「神のイスラエル」という新しい国民を誕生させました。(ガラテア 6:16)この新しい霊的国民は力強く拡大し,当時知られていた世界中に広がりました。イエスの使徒たちの死後,背教の結果としてキリスト教世界が姿を現わしましたが,エホバはご自分の目的を確実に成就するためにくすしいみ業を引き続き行なってゆかれました。
12 世界の主要言語すべての聖書があることは何の証ですか。
12 例えば,聖書の正典が保存され,後に今日の世界の主要言語すべてに翻訳されました。多くの場合,聖書の翻訳は困難な状況下で,サタンの手先からの死の脅しを受けつつ遂行されました。実際,探りがたいほど偉大な神エホバのご意志でなかったなら,2,000もの言語への聖書翻訳など成し遂げられなかったでしょう。
13 1914年以降,王国の目的に関連して,エホバの偉大さはどのように明らかになっていますか。
13 エホバの偉大さは,王国の目的に関連しても明らかになっています。例えば,1914年にエホバはみ子イエス・キリストを天の王として即位させました。その後まもなく,イエスはサタンと悪霊たちに対して行動を起こしました。その者たちは天から追放されて地の近辺に拘束されており,底知れぬ深みに入れられるのを待っています。(啓示 12:9-12; 20:1-3)それ以降,イエスの油そそがれた追随者たちの経験する迫害は激しさを増してきました。しかしエホバは,現代におけるキリストの見えない臨在の間ずっと,それら追随者たちを支えておられます。―マタイ 24:3。啓示 12:17。
14 エホバは1919年に,どんなくすしいみ業を行なわれましたか。その結果,何が成し遂げられましたか。
14 エホバは1919年に,ご自分の偉大さを実証するもう一つのくすしいみ業を行なわれ,霊的な無活動状態に陥っていた,イエスの油そそがれた追随者たちは元気を取り戻しました。(啓示 11:3-11)その年以降,油そそがれた者たちは,設立された天の王国の良いたよりを熱心に宣べ伝えてきました。そして,14万4,000人という数を満たすため,他の油そそがれた者たちも集められてきました。(啓示 14:1-3)さらにエホバは,キリストの油そそがれた追随者たちを用いて,義にかなった人間社会である「新しい地」の基礎を据えました。(啓示 21:1)では,忠実な油そそがれた者がみな天に行った後,この「新しい地」はどうなるのでしょうか。
15 油そそがれたクリスチャンはどんな業の先頭に立ってきましたか。どんな結果になっていますか。
15 本誌の1935年8月1日号と15日号には,啓示 7章に出てくる「大群衆」に関する重要な記事が掲載されました。油そそがれたクリスチャンは,すべての国民,部族,民,国語から来たそれら仲間の崇拝者たちを見つけだして自分たちとの交わりに導き入れることに,熱心に取りかかりました。この「大群衆」は,「新しい地」の恒久的な成員としてパラダイスでとこしえに生きるという見込みを持っており,迫り来る「大患難」を生き残ります。(啓示 7:9-14)油そそがれたクリスチャンが先頭に立って進めている王国を宣べ伝えて弟子を作る業により,現在600万人を超える人々が,地上の楽園で終わりのない命を得るという希望を抱いています。サタンとその腐敗した世からの反対にもかかわらず,そのような増加が生じています。その誉れを受けるべきなのはだれでしょうか。(ヨハネ第一 5:19)聖霊を用いてこのすべてを成し遂げることができる方は,エホバ以外におられません。―イザヤ 60:22。ゼカリヤ 4:6。
エホバの栄光に満ちた光輝と尊厳
16 人間が,『エホバの尊厳の栄光に満ちた光輝』を文字どおりの意味で見ることができないのはなぜですか。
16 どんな種類のものであれ,エホバの「くすしいみ業」と「力強い行ない」が忘れられることは決してありません。ダビデはこう書いています。「代は代へとあなたのみ業をほめつづけ,彼らはあなたの力強い行ないを告げます。あなたの尊厳の栄光に満ちた光輝と,あなたのくすしいみ業に関する事柄をわたしは自分の思いに留めます。そして,彼らはあなたの畏怖の念を起こさせる事柄の力について語り,あなたの偉大さについては,わたしがそれを告げ知らせます」。(詩編 145:4-6)とはいえ,「神は霊であられる」ゆえに人間の目には見えないのですから,ダビデはエホバの栄光に満ちた光輝についてどれほどのことを知り得たのでしょうか。―ヨハネ 1:18; 4:24。
17,18 ダビデはどのようにして,『エホバの尊厳の栄光に満ちた光輝』に対する認識を深めることができましたか。
17 ダビデは神を見ることはできませんでしたが,エホバの尊厳に対する認識を深める方法が幾つかありました。例えば,世界的な洪水による邪悪な世の滅びなど,神の力強い行ないに関する聖書の記録を読むことができました。ダビデは,神がイスラエル人をエジプトでの束縛から救出された時にエジプトの偽りの神々がどのように辱められたか,ということにも注目したはずです。そうした出来事は,エホバの尊厳と偉大さの証となっています。
18 ダビデは,聖書を読むだけでなく,その内容を黙想することによっても,神の尊厳に対する認識を深めたに違いありません。例えば,エホバがイスラエルに律法をお与えになった時の出来事を黙想したことでしょう。その時,雷と稲妻が生じ,厚い雲がかかり,角笛の非常に大きな音がしました。シナイ山は揺れ動き,煙に包まれました。ふもとに集合したイスラエル人は,火と雲のただ中から「十の言葉」が語られるのも聞きました。エホバが,代表者であるみ使いを通して語りかけておられたのです。(申命記 4:32-36; 5:22-24; 10:4。出エジプト記 19:16-20。使徒 7:38,53)エホバの荘厳さがなんと明らかに示されたのでしょう。神の言葉を愛する人は,この記述を黙想するとき,『エホバの尊厳の栄光に満ちた光輝』に感動せずにはいられないでしょう。もちろん,今日のわたしたちは聖書全巻を持っており,その中にはエホバの偉大さを銘記させる栄光に満ちた幻が幾つも収められています。―エゼキエル 1:26-28。ダニエル 7:9,10。啓示 4章。
19 どうすればエホバの尊厳に対する認識が強まりますか。
19 さらにダビデは,神がイスラエル人にお与えになった律法を研究することによっても,神の尊厳に感銘を受けたことでしょう。(申命記 17:18-20。詩編 19:7-11)イスラエル国民はエホバの律法に従うことによって尊厳あるものとなり,他のすべての民から分けられました。(申命記 4:6-8)ダビデと同様わたしたちも,聖書を定期的に読み,その内容を深く黙想し,勤勉に研究するなら,エホバの尊厳に対する認識を強めることができます。
神の道徳的特質はまさに大いなるもの!
20,21 (イ)詩編 145編7-9節は,どんな特質と関連してエホバの偉大さを強調していますか。(ロ)ここで述べられている神の特質は,神を愛するすべての者にどんな影響を及ぼしますか。
20 すでに見たとおり,詩編 145編の最初の六つの節には,神の探りがたい偉大さと結びついた事柄のゆえにエホバを賛美するもっともな理由が挙げられています。7節から9節では,神の道徳的特質に注意が向けられ,神の偉大さが強調されています。ダビデはこう歌います。「彼らはあなたの豊かな善良さに関する言葉をほとばしらせ,あなたの義のゆえに喜び叫びます。エホバは慈しみと憐れみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切の大いなる方です。エホバはすべてのものに対して善良であり,その憐れみはそのすべてのみ業の上にあります」。
21 ここでダビデはまず,エホバの善良さと義を際立たせています。この二つは悪魔サタンが異議を唱えた特質です。これらの特質は,神を愛してその支配権に服するすべての者にどんな影響を及ぼすでしょうか。エホバの善良さと義にかなった支配の仕方のゆえに,神の崇拝者たちは大きな喜びを感じ,賛美をほとばしらせずにはいられなくなります。さらに,エホバの善良さは「すべてのものに対して」差し伸べられているので,さらに多くの人が悔い改めて,手遅れにならないうちに真の神の崇拝者になるでしょう。―使徒 14:15-17。
22 エホバはご自分の僕たちをどのように扱われますか。
22 ダビデは他の特質も高く評価していました。それらの特質は,神ご自身が,『モーセの顔の前を過ぎ行きつつ,「エホバ,エホバ,憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる神」と宣明された』時に際立たせておられました。(出エジプト記 34:6)それでダビデも,「エホバは慈しみと憐れみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切の大いなる方です」と宣明することができました。エホバは探りがたいほど偉大な方ですが,ご自分の僕である人間を慈しみ深く扱って,その者たちに尊厳をお与えになります。エホバは憐れみに富んでおられ,悔い改めた罪人をイエスの贖いの犠牲に基づいて快く許されます。また,エホバは怒ることに遅い方でもあり,義の新しい世に入る妨げとなる弱点を克服する機会を僕たちにお与えになります。―ペテロ第二 3:9,13,14。
23 次の記事では,どんな貴重な特質を取り上げますか。
23 ダビデは,神の愛ある親切,つまり忠節な愛をほめたたえています。実のところ,詩編 145編の残りの部分は,エホバがこの特質をどのように表わしておられるか,忠節な僕たちが神の愛ある親切にどのようにこたえ応じるか,という点を示しています。それらの点は次の記事で取り上げます。
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エホバは忠節な愛の大いなる方ものみの塔 2004 | 1月15日
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エホバは忠節な愛の大いなる方
「エホバは……愛ある親切の大いなる方」。―詩編 145:8。
1 神の愛はどれほど広範に及びますか。
「神は愛」。(ヨハネ第一 4:8)この心温まる言葉は,エホバの支配の仕方が愛に基づくものであることを保証しています。実のところ,神に従わない人間も,神が愛をこめて備えてくださる太陽や雨の恩恵にあずかっています。(マタイ 5:44,45)人類世界に対する神の愛のおかげで,神に敵対する者たちも悔い改めて神に頼り,命を得ることができます。(ヨハネ 3:16)とはいえエホバは,矯正不能なまでに邪悪な者たちを間もなく一掃し,神を愛する人々が義の新しい世で永遠の命を楽しめるようにされます。―詩編 37:9-11,29。ペテロ第二 3:13。
2 神に献身した者たちに対して,エホバは愛のどんな特別な面を示されますか。
2 エホバは真の崇拝者たちに対する愛を,高貴かつ永続的な仕方で示されます。そのような愛を表わすヘブライ語は,「愛ある親切」あるいは「忠節な愛」と訳されています。古代イスラエルのダビデ王は神の愛ある親切を高く評価していました。そして,自らの体験に基づき,また神が他の人々を扱われた仕方を黙想して,「エホバは……愛ある親切[あるいは「忠節な愛」]の大いなる方」と確信をこめて歌うことができました。―詩編 145:8。
神の忠節な者たちを見分ける
3,4 (イ)詩編 145編に基づき,エホバの忠節な者たちをどのように見分けられますか。(ロ)忠節な者たちはどのように神を「ほめたたえ」ますか。
3 預言者サムエルの母ハンナはエホバ神について,「その忠節な者たちの足を神は守られます」と言いました。(サムエル第一 2:9)そのような「忠節な者たち」とはだれですか。ダビデ王が答えています。エホバの驚嘆すべき特質を称賛した後,「あなたの忠節な者たちはあなたをほめたたえます」と述べています。(詩編 145:10)人間はどのようにして神をほめたたえることができるのでしょうか。おもに,神を賛美し,神のことを良く言うことによってそうします。
4 エホバの忠節な者たちとは,自分の口を用いてエホバのことを良く言う人々です。社交的な集まりでもクリスチャンの集会でも,しばしば話題になるのは何でしょうか。何といってもエホバの王国でしょう。神の忠節な僕たちは,次のように歌ったダビデと同じ気持ちを抱いています。「彼らはあなた[エホバ]の王権の栄光について語り,あなたの力強さについて話します」。―詩編 145:11。
5 忠節な者たちが神のことを良く言うときにエホバがそれに注目されると,どうして言えますか。
5 忠節な者たちが神を賛美するとき,エホバはそれに注目されますか。そのとおりです。その人々が何を述べているかに注意を向けられます。わたしたちの時代の真の崇拝に関する預言の中で,マラキはこう書いています。「その時,エホバを恐れる者たちが互いに,各々その友に語り,エホバは注意して聴いておられた。そして,エホバを恐れる者のため,またそのみ名を思う者たちのために,覚えの書がそのみ前で記されるようになった」。(マラキ 3:16)忠節な者たちが神のことを良く言うとき,エホバはそれを大いに喜び,その人々のことを覚えておかれます。
6 神の忠節な者たちは,どんな活動によって見分けられますか。
6 エホバの忠節な僕たちは,真の神の崇拝者でない人々に語るときに示す勇気や積極性によっても見分けられます。神の忠節な者たちは,「[神の]力強い行ないと,その王権の光輝に満ちた栄光とを人の子らに知らせる」のです。(詩編 145:12)あなたは,エホバの王権について他の人に語る機会を求め,それを十分に活用しておられますか。間もなく消え去る人間の諸政府とは異なり,神の王権はとこしえのものです。(テモテ第一 1:17)人々がエホバの永遠の王権について学び,それを支持する立場を取ることは急を要します。「あなたの王権は定めのないすべての時にわたる王権,あなたの統治権は代々限りなく続きます」とダビデは歌っています。―詩編 145:13。
7,8 どんなことが1914年に生じましたか。神がみ子の王国を通して今や統治しておられることの,どんな証拠がありますか。
7 エホバの王権について語る理由は,1914年以降,増し加わっています。その年に神は,ダビデの子イエス・キリストを王とする天のメシア王国を設立されました。そのようにして,ダビデの王権を定めのない時までも堅く立てるという約束を果たされたのです。―サムエル第二 7:12,13。ルカ 1:32,33。
8 み子イエス・キリストの王国を通してエホバが今や統治しておられることの証拠は,イエスの臨在のしるしの継続的な成就という形で見られます。そのしるしの最も顕著な特徴となるのは,神の忠節な者たちすべてが行なうとイエスが予告された業です。イエスはこう言われました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:3-14)神の忠節な者たちは熱意をこめてこの預言を成就しており,その結果,いま600万人を超える男女子どもが,この二度と繰り返されることのない壮大な業に携わっています。エホバの王国に反対する者たちすべてには,間もなく終わりが来るでしょう。―啓示 11:15,18。
エホバの主権から恩恵を受ける
9,10 エホバと人間の支配者たちとはどのように対照的ですか。
9 わたしたち献身したクリスチャンは,主権者なる主エホバとの関係のゆえに多くの恩恵を受けています。(詩編 71:5; 116:12)例えば,神を恐れ,義を実践するので,神の是認を享受し,霊的な意味で神に近づくことができます。(使徒 10:34,35。ヤコブ 4:8)それとは対照的に,人間の支配者たちはたいてい,軍事指導者,裕福な実業家,スポーツ選手,芸能人などの著名人との親交で知られています。アフリカの新聞「ソウェタン」によると,ある有名な政治家は自国内の極貧地域についてこう語りました。「我々の大半がそのような地域に行きたくないと思うのも無理はない。そのような状況が存在していることなど忘れてしまいたいのだ。良心が痛むし,高級車を乗り回しているのがきまり悪く思えてしまう」。
10 もちろん,人間の支配者たちの中にも,自国民の幸福を誠実に気遣う人がいます。しかし,そうした人たちの中でとりわけ高潔な人も,自国民を親しく知ってはいません。では,自分の支配下にある人すべてを深く思いやり,困った時にはすぐに個人的な助けを差し伸べるような支配者がいるでしょうか。確かにいます。ダビデはこう書いています。「エホバは倒れてゆくすべての者を支え,かがんでいるすべての者を立ち上がらせておられます」。―詩編 145:14。
11 神の忠節な者たちはどんな試練に遭いますか。どんな助けがありますか。
11 エホバ神の忠節な者たちも,自らの不完全さのため,また「邪悪な者」サタンの配下にある世界で生活しているために,多くの試練や災いに遭います。(ヨハネ第一 5:19。詩編 34:19)クリスチャンは迫害も経験します。慢性的な病気や死別によって,つらい思いをする人もいます。エホバの忠節な者が,自分の失敗のゆえに落胆して『かがむ』こともあります。しかし,どんな試練が臨むとしても,エホバは各人に慰めと霊的な力を与える用意を常に整えておられます。王イエス・キリストも,忠節な臣民に対して,同様の愛ある関心を抱いておられます。―詩編 72:12-14。
季節ごとの食物に満ち足りる
12,13 エホバは,「すべての生きているもの」の必要をどのように充足させておられますか。
12 エホバは,大いなる愛ある親切により,僕たちの必要とするものすべてを供給しておられます。それには,滋養豊かな食物で満ち足らせることも含まれます。ダビデ王はこう書いています。「すべてのものの目は望みを抱いてあなた[エホバ]を見つめます。そして,あなたは彼らに食物をその季節ごとに与えておられるのです。あなたはみ手を開いて,すべての生きているものの願いを満たしておられます」。(詩編 145:15,16)災いが生じたときでも,エホバは事態を操作して,忠節な者たちが「その日のためのパン」を得られるようにすることができます。―ルカ 11:3; 12:29,30。
13 ダビデは,「すべての生きているもの」が満ち足りる,と述べています。これには動物も含まれます。陸上の草木や海中に生えるものなど地球の豊かな植物がなかったなら,水生動物や鳥や陸生動物が呼吸する酸素も口にする食物もないでしょう。(詩編 104:14)エホバは,そうした必要すべてが満たされるよう取り計らっておられます。
14,15 今日,霊的食物はどのように供給されていますか。
14 動物とは異なり,人間には霊的な必要もあります。(マタイ 5:3)エホバは,忠節な者たちの霊的必要をなんと見事に満たしておられるのでしょう。イエスは亡くなる前に,「忠実で思慮深い奴隷」がイエスの追随者たちに『時に応じた[霊的]食物』を供給すると約束されました。(マタイ 24:45)今日,油そそがれた14万4,000人の残りの者が,その奴隷級を構成しています。その残りの者を通して,エホバは豊かな霊的食物を確かに供給してこられました。
15 例えば,現在のエホバの民の多くは,自分の言語に翻訳された明瞭で正確な聖書から益を得ています。「新世界訳聖書」はまさにすばらしい祝福です。さらに,300以上の言語で,聖書研究の手引きが続々と発行されています。このような霊的食物すべては全地の真の崇拝者たちにとって祝福となっています。このすべてに関する誉れを受けるべきなのはどなたですか。エホバ神です。エホバは,大いなる愛ある親切により,奴隷級が『季節ごとの食物』を供給できるようにしてこられました。そのような備えを通して,現代の霊的パラダイスの中にいる「すべての生きているものの願い」が満たされています。また,エホバの僕たちは,地が間もなく物理的なパラダイスに変えられるのを見るという希望のゆえに,大いに歓んでいます。―ルカ 23:42,43。
16,17 (イ)ちょうどよい季節に与えられる霊的食物のどんな実例がありますか。(ロ)詩編 145編は,サタンが提起した最大の論争に関する神の忠節な者たちの気持ちをどのように言い表わしていますか。
16 ちょうどよい季節に与えられる霊的食物の顕著な実例を考えてみましょう。1939年,ヨーロッパで第二次世界大戦が始まりました。同じ年の11月1日号の「ものみの塔」誌には,「中立」と題する記事が掲載されました。そこで提供された明快な情報のおかげで,世界中のエホバの証人は,交戦国の活動に関して厳正中立を保つ必要性を理解しました。そのため証人たちには,6年にわたるその戦いの両陣営の政府による憤りが臨みました。禁令や迫害を受けたにもかかわらず,神の忠節な者たちは王国の良いたよりを宣べ伝え続けました。そして,1939年から1946年までの間に157%もの驚くような増加を遂げる,という祝福を受けました。さらに,その人々の残した戦時下での忠誠の際立った記録は,今でも人々が真の宗教を見分ける助けとなっています。―イザヤ 2:2-4。
17 エホバが供給される霊的食物は時宜にかなっているだけでなく,深い満足も与えます。第二次世界大戦中,諸国家が激戦を繰り広げていたころ,エホバの民は自らの救いよりはるかに重要な事柄に焦点を合わせるよう助けられました。エホバの助けを受け,宇宙全体を包含する最大の論争はエホバの主権の正しさに関するものである,ということを理解したのです。エホバの主権の正しさを立証し,悪魔が偽り者であることを証明することに,自らの忠節によってわずかとはいえ貢献できたことを考えると,個々のエホバの証人は深い満足を覚えるのではないでしょうか。(箴言 27:11)エホバとその支配の仕方について中傷するサタンとは異なり,エホバの忠節な者たちは,『エホバはそのすべての道において義にかなっておられる』と公に宣明し続けます。―詩編 145:17。
18 時宜にかない,深い満足も与える霊的食物に関して,最近のどんな実例がありますか。
18 時宜にかなった,満足を与える霊的食物のもう一つの実例は,2002年から2003年にかけて世界の幾百もの場所で開かれた「王国を熱心にふれ告げる人々」地域大会で発表された,「エホバに近づきなさい」という本です。「忠実で思慮深い奴隷」が作成してエホバの証人が発行したこの本は,エホバ神の驚嘆すべき特質に焦点を合わせています。それには,詩編 145編に挙げられている特質も含まれます。この優れた本は,神の忠節な者たちがなおいっそう神に近づく助けとして重要な働きをするに違いありません。
エホバにいっそう近づくべき時
19 どんな決定的な時が近づいていますか。どうすれば,その時を乗り切ることができますか。
19 エホバの主権にかかわる論争に決着をつける決定的な段階が近づいています。エゼキエル 38章に予告されているとおり,間もなくサタンは「マゴグの地のゴグ」としての活動をなし終えます。それには,エホバの民に対する世界的な攻撃も含まれます。サタンの側が総力を挙げ,あえてそのような攻撃を仕掛けるのは,神の忠節な者たちの忠誠を打ち砕くためです。エホバの崇拝者たちは,かつてないほど切にエホバを呼び求め,助けを叫び求めなくてはならないでしょう。神に対する敬虔な恐れと愛は無駄になるのでしょうか。断じてそのようなことはありません。詩編 145編はこう述べています。「エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者,ご自分を真実に呼び求めるすべての者の近くにおられます。神はご自分を恐れる者たちの願いを遂げてくださり,助けを求めるその叫びを聞き,彼らを救ってくださいます。エホバはご自分を愛する者すべてを守っておられます。しかし邪悪な者については,神は彼らをみな滅ぼし尽くされます」。―詩編 145:18-20。
20 近い将来,詩編 145編18-20節の言葉はどのように果たされますか。
20 エホバが邪悪な者すべてを滅ぼし尽くされる時に,エホバがそばにいて救いの力を発揮してくださるのを感じるのは,まさに胸の躍る経験となるでしょう。間近に迫ったその決定的な時に,エホバは『ご自分を真実に呼び求める者』の声だけに耳を傾けられます。偽善者の声に耳を傾けたりはされません。神の言葉は,邪悪な者たちが土壇場になって神のみ名を用いても全く無駄であることをはっきり示しています。―箴言 1:28,29。ミカ 3:4。ルカ 13:24,25。
21 エホバの忠節な者たちは,神の名を用いるのを喜びとしていることをどのように示しますか。
21 エホバを恐れる者にとって,今はこれまで以上に『神を真実に呼び求める』べき時です。忠節な者たちは,祈りや集会での注解の中で神のみ名を用いるのを喜びとしています。個人的な会話の中でも神のお名前を用います。そして,公の宣教奉仕において勇気をもってエホバのみ名を宣明します。―ローマ 10:10,13-15。
22 この世的な態度や欲望に抵抗し続けることが肝要なのはなぜですか。
22 エホバ神との近しい関係から益を得てゆくには,物質主義,不健全な娯楽,人を許さない傾向,窮乏している人に対する無関心さといった霊的に有害なものに抵抗し続けることも肝要です。(ヨハネ第一 2:15-17; 3:15-17)そのような性癖や性向を改めないなら,重大な罪を習わしにするようになり,ついにはエホバの是認を失いかねません。(ヨハネ第一 2:1,2; 3:6)わたしたちが神に忠実であり続ける場合にのみ,エホバも愛ある親切つまり忠節な愛を引き続き示してくださる,という点を思いに留めるのは知恵の道です。―サムエル第二 22:26。
23 神の忠節な者すべての前途にはどんな壮大な将来がありますか。
23 ですから,エホバの忠節な者すべての前途にある壮大な将来をいつも思いの中心に据えていましょう。そうするなら,「一日じゅう」,「まさに永久に」エホバを高め,ほめたたえ,賛美する人々の一員になるというすばらしい見込みを持つことができます。(詩編 145:1,2)「永遠の命を目ざしつつ」,『自分を神の愛のうちに保って』ください。(ユダ 20,21)これからも,神を愛する人に示される大いなる愛ある親切を含む天の父の驚嘆すべき特質から益を受けてゆきましょう。そのようにして,詩編 145編の結びにダビデが言い表わしているのと同じ気持ちをいつも抱くことができますように。「わたしの口はエホバの賛美を語ります。すべての肉なる者が,定めのない時に至るまで,まさに永久にその聖なるみ名をほめたたえるように」。
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