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エホバ,驚くべきことを行なわれる方ものみの塔 1992 | 12月15日
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エホバ,驚くべきことを行なわれる方
「あなたは大いなる方であり,驚くべきことを行なっておられ(ま)す。あなたが,ただあなただけが神なのです」― 詩編 86:10。
1,2 (イ)人間の発明は世界にどんな影響を与えましたか。(ロ)わたしたちは事態が良くなるという希望をどこに見いだせますか。
現代人は,電気製品,遠距離通信,ビデオ,自動車,ジェット機旅行,コンピューター技術など,様々な驚くべき発明について誇るかもしれません。そうした発明によって,世界は一つの地域社会のようになりました。ところが,何という地域社会なのでしょう。すべての人が平和と繁栄と豊かさを得るどころか,人類は,むごたらしい戦争,犯罪,テロ,汚染,病気,貧困に悩まされています。世界中に分散している核兵器も,数こそ減ったとはいえ,依然として人類を滅亡させる力を秘めています。死の商人とも言うべき武器メーカーは今でも世界最大規模の事業を営んでいます。金持ちはさらに金持ちになり,貧しい人はさらに貧しくなっています。だれかが解決策を見いだせるでしょうか。
2 確かに見いだせる方がいます。救出を保証してくださる方,「高い者よりもさらに高い者」,つまりエホバ神がおられるからです。(伝道の書 5:8)神は霊感によって詩編の筆記をお導きになりました。詩編は,苦難の時のために大きな慰めと賢明な諭しを与えてくれます。その中の一つは,「ダビデの祈り」という簡単な表題が付いている86編です。あなたはそれを自分自身の祈りとすることができます。
苦しんでいても忠節
3 今の時代に,ダビデは励みになるどんな手本をわたしたちに示していますか。
3 ダビデは苦しんでいた時にこの詩編を書きました。今日のわたしたちも,サタンの体制の「終わりの日」である「対処しにくい[この]危機の時代」に生きており,同様の試練に直面します。(テモテ第二 3:1。マタイ 24:9-13もご覧ください。)ダビデもわたしたちと同じく,のしかかってくる様々な問題のために思い煩ったり,落胆したりしました。しかし,そのような試練が臨んでも,創造者に対する忠節な信頼が弱まるのを決して許しませんでした。ダビデはこう叫んでいます。「エホバよ,あなたの耳を傾けてください。わたしに答えてください。わたしは苦しんでおり,貧しいからです。わたしの魂を守ってください。わたしは忠節な者だからです。あなたの僕を救ってください ― あなたはわたしの神なのです ― あなたに依り頼んでいるこの僕を」― 詩編 86:1,2。
4 わたしたちの確信をどのように示すべきですか。
4 わたしたちもダビデと同様に,「すべての慰めの神」であられるエホバがこの地に耳を向け,わたしたちの謙遜な祈りに耳を傾けてくださることを確信できます。(コリント第二 1:3,4)わたしたちは,神に完全に依り頼みつつ,ダビデの次の助言に従うことができます。「あなたの重荷をエホバご自身にゆだねよ。そうすれば,神が自らあなたを支えてくださる。神は義なる者がよろめかされることを決してお許しにならない」― 詩編 55:22。
エホバとの親密さ
5 (イ)幾つかの注意深い翻訳は,ユダヤ人の書士たちの間違いをどのように正していますか。(ロ)詩編 85編と86編は,どのようにエホバを大いなるものとしていますか。(脚注をご覧ください。)
5 ダビデは詩編 86編の中で,「エホバよ」という表現を11回使っています。ダビデの祈りは何と熱烈なのでしょう。それにダビデとエホバの関係は何と親密なのでしょう。後に,ユダヤ人の書士たち,特にソフェリムは,そのように親しげに神のみ名を使うことを不快に感じるようになりました。彼らは,み名を誤用することに対する迷信的な恐れを助長しました。また,人は神の像に創造されたという事実を無視し,人間も示す属性を神の属性とはみなしませんでした。それで,この一つの編のヘブライ語本文には神のみ名が11回出て来ますが,彼らはそのうちの7箇所で,YHWH(エホバ)という名前をアドーナーイ(主)という称号に置き換えたのです。わたしたちは,「新世界訳聖書」や他の幾つかの注意深い翻訳が,神の言葉のしかるべき位置に神のみ名を復元していることに感謝できます。その結果,わたしたちとエホバとの関係が強調されており,それはまさに適切なことなのです。a
6 エホバのみ名がわたしたちにとって貴重であることを,どんな方法で示せますか。
6 ダビデの祈りは続きます。「エホバよ,わたしに恵みを示してください。わたしは一日じゅうあなたを呼びつづけるからです。あなたの僕の魂を歓ばせてください。エホバよ,わたしはあなたに自分の魂をもたげるからです」。(詩編 86:3,4)ダビデが「一日じゅう」エホバを呼びつづけたことに注目してください。確かにダビデは,夜通し祈ることがよくありました。荒野で逃亡生活を送っていた時もそうです。(詩編 63:6,7)同様に今日でも,ある証人たちは強姦されそうになったり,他の形で暴行を受けそうになったりした時,エホバに大声で呼ばわりました。時には,好結果が得られて驚くような場合もあります。b エホバのみ名はわたしたちにとって貴重です。それは,地上におられた時の「ダビデの子,イエス・キリスト」にとって貴重だったのと同じです。イエスは弟子たちに,エホバのみ名が神聖なものとされることを祈り求めるよう教え,そのみ名が何を表わしているかをお知らせになりました。―マタイ 1:1; 6:9。ヨハネ 17:6,25,26。
7 エホバがご自分の僕たちの魂をもたげてくださったどんな実例がありますか。わたしたちはどう反応すべきですか。
7 ダビデはエホバに魂を,つまり自分のすべてをもたげました。そして,わたしたちにも同じことをするよう勧め,詩編 37編5節で,「あなたの道をエホバの上に転がし,神に頼れ。そうすれば,神ご自身が行動してくださる」と言っています。ですから,わたしたちの魂を歓ばせてくださいとエホバに嘆願するなら,それが聞き届けられずに終わることはありません。忠誠を保つエホバの僕たちの中には,苦難や迫害や病気に面しても,引き続き神への奉仕に大きな喜びを見いだしている人が大勢います。アンゴラ,リベリア,モザンビーク,ザイールなど,アフリカの戦禍に見舞われた地域に住む兄弟たちも,引き続き生活の中でエホバへの奉仕を第一にしています。c 神は確かに,霊的な大収穫によって彼らに歓びを与えてこられました。彼らは忍耐してきたのですから,わたしたちもそうしなければなりません。(ローマ 5:3-5)そして,忍耐するわたしたちには次の保証が与えられています。「この幻はなお定めの時のためのものであり,終わりに向かって息をはずませてゆくからである。……遅くなることはない」。(ハバクク 2:3)わたしたちもエホバに全き確信と信頼を寄せながら,「終わりに向かって息をはずませて」ゆきたいものです。
エホバの善良さ
8 わたしたちはエホバとのどんな親密さを享受できますか。神はご自分の善良さをどのように示してこられましたか。
8 ダビデはさらに心からあふれ出る嘆願をささげます。「それは,エホバよ,あなたが善良で,進んで許してくださるからです。あなたを呼び求める者すべてに対するその愛ある親切は,豊かだからです。エホバよ,わたしの祈りに耳を向けてください。わたしの嘆願の声にどうか注意を払ってください。わたしは苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです」。(詩編 86:5-7)「エホバよ」― わたしたちはこの表現が表わす親密さに何度も何度も心を打たれます。そのような親密さは,祈りによって絶えずはぐくむことのできるものです。ダビデは別の時にこう祈りました。「わたしの若い時の罪と反抗とを,どうか思い出さないでください。あなたの愛ある親切にしたがってわたしを思い出してください。エホバよ,あなたの善良さのために」。(詩編 25:7)エホバは善良さをまさに体現しておられる方です。イエスの贖いを備え,罪を悔い改めた人に憐れみを示し,忠節で感謝にあふれるご自分の証人たちに愛ある親切を注いでくださるからです。―詩編 100:3-5。マラキ 3:10。
9 罪を悔い改めた人は,どんな保証の言葉をかみしめるべきですか。
9 わたしたちは過去の過ちについてくよくよ悩むべきでしょうか。もし今,正しい道を歩んでいるのであれば,悔い改めた人に対する使徒ペテロの保証の言葉を思い出すと元気が出て来ます。そうです,「さわやかにする時期」がエホバから来るのです。(使徒 3:19)贖い主イエスを通して祈ることにより,常にエホバの近くにいるようにしましょう。イエスは愛情をこめてこう言われました。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう」。今日,忠節なエホバの証人は,イエスの貴重な名によってエホバに祈る時,確かにさわやかなものを見いだします。―マタイ 11:28,29。ヨハネ 15:16。
10 詩編はエホバの愛ある親切をどれほど際立たせていますか。
10 詩編の中には,エホバの「愛ある親切」という表現が100回余り出て来ます。そのような愛ある親切は確かに豊かです。詩編 118編の最初の四つの節は,エホバに感謝するよう神の僕たちに訴えかけ,「その愛ある親切は定めのない時にまで及ぶからである」という言葉を4回繰り返しています。詩編 136編も,「その愛ある親切」という心を引きつける特質を26回強調しています。どんな過ちを犯すにせよ ― 現にヤコブ 3章2節にあるとおり,「わたしたちはみな何度もつまずくのです」が ― 神の憐れみと愛ある親切を確信し,エホバの許しをすぐに求めるようにしたいものです。神の愛ある親切は,わたしたちに対する忠節な愛の表われです。わたしたちが神のご意志を忠節に行ない続ければ,神も忠節な愛を示し,あらゆる試練に対処できるようわたしたちを強めてくださいます。―コリント第一 10:13。
11 長老の行動は,罪悪感を取り除くのにどのように役立つかもしれませんか。
11 わたしたちは時々,他の人につまずくことがあるかもしれません。子供のころに受けた感情的な虐待や身体的な虐待が尾を引いて,今でも罪悪感にさいなまれる人や,自分は全くだめな人間だと感じている人もいます。そのような犠牲者は,エホバが答えてくださることを確信し,エホバに呼ばわることができます。(詩編 55:16,17)親切な長老は,犠牲者が悪いのではないという事実を受け入れるよう当人を助けたいと思うことでしょう。その後も,その長老が友人として定期的に電話をかけるなら,当人はそうした援助により,ついに『重荷を負う』ことができるようになるかもしれません。―ガラテア 6:2,5。
12 苦難はどのように増し加わってきましたか。しかし,どうすれば苦難にうまく対処できますか。
12 今日,エホバの民が闘わなければならない困難な状況は,ほかにもたくさんあります。1914年の第一次世界大戦開始と共に,大きな災難がこの地球を襲い始めました。イエスが予告されたように,それは「苦しみの劇痛の始まり」でした。「事物の体制の終結」の時期がいっそう進むにつれ,苦難も増し加わってきました。(マタイ 24:3,8)悪魔に残された『短い時』は徐々に減ってゆき,ついには終局を迎えます。(啓示 12:12)その大敵対者は獲物をねらう「ほえるライオンのように」,神の羊の群れからわたしたちを引き離して滅ぼすために,ありとあらゆる欺まんを用いています。(ペテロ第一 5:8)しかし,悪魔は決して成功しません。わたしたちはダビデのように,わたしたちの唯一の神エホバに完全に信頼を寄せているからです。
13 親と子はどのようにエホバの善良さの恩恵にあずかれますか。
13 ダビデは息子であるソロモンの心に,エホバの善良さに頼る必要があることを教え込んだに違いありません。ですからソロモンは,自分自身の息子にこう教えることができました。「心をつくしてエホバに依り頼め。自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において神を認めよ。そうすれば,神ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる。自分の目から見て賢い者となってはならない。エホバを恐れ,悪から遠ざかれ」。(箴言 3:5-7)今日の親も同じように,エホバを信頼しつつ祈る方法,また学校の友達から受ける圧力や不道徳な行為への誘惑など,無情な世の攻撃に対処する方法を子供たちに教える必要があります。子供たちと一緒に毎日真理を実践するなら,エホバに対する真の愛と祈りのこもった信頼を子供たちの幼い心に深く刻みつけることができます。―申命記 6:4-9; 11:18,19。
エホバの比類のないみ業
14,15 エホバの比類のないみ業にはどのようなものがありますか。
14 ダビデは深い確信をこめてこう言います。「エホバよ,神々の中にあなたのような方はだれもいません。また,あなたのみ業にかなうものも何もありません」。(詩編 86:8)エホバのみ業は,どんな人間も想像すらできないほど偉大で,壮大で,荘厳なものです。現代科学がかいま見ているとおり,創造された宇宙は,巨大さ,調和,崇高さのどれを取っても,ダビデが知覚できた事柄よりもはるかに驚嘆すべきものであることが分かっています。しかし,そのダビデでさえ心を打たれ,「天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げている」と言いました。―詩編 19:1。
15 エホバのみ業は,エホバが地球の位置を定めて地球を整えられた方法にも見事に表われています。おかげで地球には,昼と夜,季節,種まきと収穫,さらには人間が将来楽しめる喜ばしい事柄が無数に備わりました。また,わたしたち自身も実にくすしく造られ,すばらしい能力を与えられています。だからこそ,周りにあるエホバのみ業を楽しむことができるのです。―創世記 2:7-9; 8:22。詩編 139:14。
16 エホバの善良さの最大の表われとは何ですか。それは,さらにどんな比類のないみ業につながりますか。
16 わたしたちの最初の親が神に背き,今日まで地球を悩ましている苦難が始まった後,エホバは愛の気持ちから驚くべきみ業を行なわれました。神の王国をふれ告げ,人類のための贖いとして死ぬために,み子が地に遣わされたのです。しかも何と驚くべきことでしょう。エホバはそれからキリストを復活させ,ご自分の選びによる仲間の王とされました。(マタイ 20:28。使徒 2:32,34)神はまた,忠節な人々の中から「新しい創造物」を選ばれました。その新しい創造物は慈悲深い「新しい天」として,キリストと共に「新しい地」の社会を支配することになります。その社会には,幾十億もの復活した人々が含まれます。(コリント第二 5:17。啓示 21:1,5-7。コリント第一 15:22-26)こうして,エホバのみ業は輝かしい最高潮に向かって進展してゆきます。まさにわたしたちは,「エホバよ,……あなたの善良さは何と豊かなのでしょう。あなたはそれを,あなたを恐れる者たちのために蓄えられました」と,感嘆の声を上げることができます。―詩編 31:17-19。
17 エホバのみ業に関連して,詩編 86編9節は今どのように成就していますか。
17 エホバの現代のみ業には,ダビデが詩編 86編9節で説明している事柄が含まれます。「エホバよ,あなたの造られたすべての国の民は自ら来て,あなたのみ前に身をかがめ,そのみ名に栄光を帰すのです」。エホバはご自分の新しい創造物,つまり王国相続者の「小さな群れ」の残っている人たちを人類の中から召された後,今度は「すべての国民」の中から「ほかの羊」の「大群衆」を集めてこられました。その幾百万という人々もイエスの流された血に信仰を働かせています。神は彼らを用いて躍動する組織を作り上げてこられました。それは,今日地上で平和を愛する人たちが形成する唯一の世界的な社会です。天の軍勢はそれを見てエホバのみ前に平伏し,「祝福と栄光と知恵と感謝と誉れと力と強さが,わたしたちの神に限りなく永久にありますように」と宣言します。大群衆もエホバのみ名の栄光をたたえ,「昼も夜も」神に仕えます。彼らは,この世の終わりを生き残り,地上の楽園でとこしえに生きる希望を持っています。―ルカ 12:32。啓示 7:9-17。ヨハネ 10:16。
エホバの偉大さ
18 エホバはご自分が『ただひとりの神』であることをどのように実証してこられましたか。
18 ダビデは次にエホバの神性に注意を向けてこう言います。「あなたは大いなる方であり,驚くべきことを行なっておられるからです。あなたが,ただあなただけが神なのです」。(詩編 86:10)エホバは昔から,ご自分がまさに『ただひとりの神』であることを実証してこられました。「エホバが何者だというので,わたしはその声に従ってイスラエルを去らせなければいけないのか。わたしはエホバなど知らない」と言って,大胆にもモーセに挑戦したのはエジプトの専制君主ファラオでした。しかしファラオは,やがてエホバがいかに大いなる方であるかを思い知ることになります。全能の神は破壊的な災厄を送り,エジプトの長子たちを殺害し,ファラオとその精鋭部隊を紅海で全滅させることにより,エジプトの神々と魔術を行なう祭司たちに屈辱をお与えになりました。確かに,神々の中にエホバのような方はいないのです。―出エジプト記 5:2; 15:11,12。
19,20 (イ)啓示 15章3,4節の歌が最高潮を迎えるのはいつですか。(ロ)どうすれば,今でさえエホバのみ業に加わることができますか。
19 ただひとりの神であられるエホバは,ご自分の従順な崇拝者たちを現代のエジプト,つまりサタンの世から救い出すための準備として,さらに驚くべきことを行なってこられました。全歴史上最も大々的な伝道活動により,神の裁きを証しとして世界中にふれ告げてこられたのです。このようにして,マタイ 24章14節のイエスの預言が成就します。間もなく,必ず「終わり」が来ます。その時エホバは,すべての悪を地上から一掃することにより,空前の規模でご自分の偉大さを実証されます。(詩編 145:20)モーセの歌と子羊の歌がクライマックスを迎えるのはその時です。「全能者なるエホバ神,あなたのみ業は偉大で,驚くべきものです。とこしえの王よ,あなたの道は義にかない,真実です。エホバよ,本当にだれがあなたを恐れないでしょうか,あなたのみ名の栄光をたたえないでしょうか。ただあなただけが忠節な方だからです」― 啓示 15:3,4。
20 わたしたちとしては,神のこうした壮大な目的について熱心に他の人々に語りたいものです。(使徒 2:11と比較してください。)次の記事が説明しているように,エホバは現在も将来も,偉大で驚くべきことを引き続き行なってゆかれます。
[脚注]
a 1874年に発行された聖書の注釈書は,アンドルー・A・ボナーの次のような言葉を引用しています。「前の[85]編の最後の部分には,神の独特のご性質と輝かしいお名前が非常にたくさん出て来る。だからこそ,その次の『ダビデの祈り』でも,エホバのご性質が同じほど多く出ているのかもしれない。この[86]編はエホバのみ名に主眼を置いている」。
b ものみの塔聖書冊子協会発行の,「目ざめよ!」誌,1984年9月22日号,28ページをご覧ください。
c 詳しくは,「ものみの塔」誌,1993年1月1日号に掲載される,「全世界のエホバの証人の1992奉仕年度の報告」という表をご覧ください。
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一つにされた心で歩むものみの塔 1992 | 12月15日
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一つにされた心で歩む
『エホバよ,教え諭してください。み名を恐れるようわたしの心を一つにしてください』― 詩編 86:11。
1 エホバはご自分の忠節な者たちに,どのように報いをお与えになりますか。
『エホバよ,あなたが,ただあなただけが神なのです』。(詩編 86:8,10)ダビデは感謝にあふれた心からエホバを賛美しました。ダビデが全イスラエルの王になる前でさえ,エホバはサウルやフィリスティア人の手からダビデを救い出されました。ですからダビデは,こう歌うことができました。「エホバはわたしの大岩,わたしのとりで,わたしを逃れさせてくださる方。忠節な者には,あなたは忠節をもって行動(されます)」。(サムエル第二 22:2,26)エホバは,ご自分の忠節な僕を数多くの試練の際に保護されました。ダビデは自分の忠節な神に信頼と確信を寄せることができました。それでも,引き続き導きは必要でした。そこでダビデはこう請願します。「エホバよ,あなたの道をわたしに教え諭してください」― 詩編 86:11。
2 わたしたちがエホバに教えられるため,エホバはどんな備えを設けてこられましたか。
2 ダビデは世の思想や哲学を一切避けたいと思いました。神の後代の預言者の言葉を借りれば,「エホバに教えられる」ことを望んでいたのです。(イザヤ 54:13)ダビデが黙想できたのは,当時存在していた聖書の九つの書だけだったかもしれません。それでも,エホバからのその教えはダビデにとって貴重でした。教えられることについて言えば,今日のわたしたちは聖書の66冊の書すべてに加え,「忠実で思慮深い奴隷」を通して備えられる豊富な王国の文書を存分に楽しむことができます。(マタイ 24:45)「神がご自分を愛する者たちのために備えられた事柄……神の奥深い事柄までも」究める点で神の霊の助けが得られるよう,ダビデに倣ってエホバを呼び求めましょう。―コリント第一 2:9,10。
3 聖書の教えはどんな点でわたしたちの益になりますか。
3 聖書には,わたしたちの生活で持ち上がるかもしれないあらゆる疑問や問題に対する答えがあります。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)エホバからの教えを吸収するなら,苦難を耐え忍ぶ力が得られますし,落胆した時には慰められます。また,心の中で王国の希望を常に生き生きと保つこともできます。わたしたちは「昼も夜も」神の言葉を読み,それについて黙想することに喜びを見いだしたいものです。聖書に基づく知恵は,「これをとらえる者たちには命の木」となり,「これをしっかりととらえている者たちは幸いな者と呼ばれる」からです。―詩編 1:1-3。箴言 3:13-18。ヨハネ 17:3もご覧ください。
4 わたしたちの行動に関して,イエスはどんな手本を残されましたか。
4 「ダビデの子」とも呼ばれた神のみ子イエスは,常にエホバに教えを仰ぎました。(マタイ 9:27)a こう言っておられます。「子は,自分からは何一つ行なうことができず,ただ父がしておられて,自分が目にする事柄を行なえるにすぎません。何であれその方のなさること,それを子もまた同じように行なうのです」。『わたしは何事も自分の考えで行なっているのではありません。わたしはこれらのことを,ちょうど父が教えてくださったとおりに話しているのです』。(ヨハネ 5:19; 8:28)イエスは,わたしたちが「その歩みにしっかり付いて来るよう」手本を残されました。(ペテロ第一 2:21)考えてもみてください。もしわたしたちも,イエスが学ばれたに違いないような方法で学ぶなら,どんな状況でもエホバの望まれるとおりに行動することができるようになるのです。エホバの道は常に正しい道です。
5 「真理」とは何ですか。
5 ダビデは次に,「わたしはあなたの真理によって歩みます」と宣言します。(詩編 86:11)1,000年後にピラトは,ダビデの子イエスに向かって「真理とは何か」と尋ねました。しかし,イエスはその質問に答えたばかりでした。「わたしの王国はこの世のものではありません」とピラトに告げ,こう付け加えられたからです。「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」。(ヨハネ 18:33-38)ですからイエスは,真理がメシアの王国に焦点を合わせていることを示されました。現に,聖書の全体的なテーマは,その王国によってエホバのみ名が神聖なものとされるということです。―エゼキエル 38:23。マタイ 6:9,10。啓示 11:15。
6 真理によって歩む際,どんなことに注意すべきですか。
6 真理によって歩むとはどういう意味ですか。王国の希望を生活のおもな関心事にするという意味です。わたしたちは王国の真理を実践しなければなりません。また,イエスの手本に倣い,ひたすら王国の関心事を第一にし,機会が開かれた時に王国の真理について熱心に証ししなければなりません。(マタイ 6:33。ヨハネ 18:37)しるしだけの奉仕はささげても,あとはわき道にそれ,過度のレクリエーションにふけったり,時間を取られる仕事を始めたり,『富に奴隷として仕え』たりすることによって自分自身を喜ばせ,一部の時間だけ真理によって歩むようなことはできません。(マタイ 6:24)ともすると,そうしたわき道の一つで迷ってしまい,『命に至る狭められた道』には二度と戻れなくなることもあり得ます。その道からそれないようにしましょう。(マタイ 7:13,14)偉大な教訓者エホバは,み言葉と組織を通して道をはっきり示し,こう言っておられます。「あなた方が右に行くにしても左に行くにしても……『これが道である。あなた方はこれを歩め』」― イザヤ 30:21。
ふさわしい恐れ
7 どうすれば,わたしたちの心を『一つにする』ことができますか。
7 11節のダビデの祈りはまだ続きます。「あなたのみ名を恐れるようわたしの心を一つにしてください」。わたしたちもダビデのように,分かたれていない全き心で神のご意志を行ないたいと思うべきです。この点はモーセの次の諭しと調和します。「ゆえに今,イスラエルよ,あなたの神エホバが求めておられることは,あなたの神エホバを恐れてそのすべての道を歩み,神を愛し,心をつくし魂をつくしてあなたの神エホバに仕えること,わたしが今日命じるエホバのおきてと法令をあなたの益のために守ること,ただそれだけではないか」。(申命記 10:12,13)確かに,エホバへの奉仕に心と魂を注ぎ込むことは,わたしたちの益になります。ですから,わたしたちは輝かしいみ名に対するふさわしい恐れを示します。エホバのみ名には,「彼はならせる」という字義通りの意味があり,これは特に,神がご自分の壮大な目的を完遂させることと関係があります。またそのみ名は,宇宙全体に対する神の至高の権威も表わしています。神の威光に対する畏敬の念をもって奉仕すれば,死すべき人間を恐れて横道にそれることはありません。わたしたちの心が分かたれることもないのです。むしろわたしたちが恐れるのは,エホバの不興を買うような事柄を行なうことです。エホバは至高の裁き主,主権者なる主であられます。わたしたちの命そのものが,その方の手にかかっているのです。―イザヤ 12:2; 33:22。
8,9 (イ)「世のものではない」とはどういう意味ですか。(ロ)わたしたちは「劇場の見せ物」になっているので,どんな行動を取るべきですか。
8 わたしたちは非難や迫害に面する時でさえ,恐れを知らないイエスの手本に倣い,周りにある邪悪な世のものにはなりません。(ヨハネ 15:17-21)とはいっても,イエスの弟子たちは世捨て人のような生活をしたり,修道院に引きこもったりすべきであるという意味ではありません。イエスはみ父に対する祈りの中でこう言われました。「わたしは,彼らを世から取り去ることではなく,邪悪な者のゆえに彼らを見守ってくださるようにお願いいたします。わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません。真理によって彼らを神聖なものとしてください。あなたのみ言葉は真理です。あなたがわたしを世にお遣わしになったと同じように,わたしも彼らを世に遣わしました」。(ヨハネ 17:15-18)わたしたちもイエスと同じく,王国の真理をふれ告げるために遣わされています。イエスは近づきやすい方でした。人々はイエスの教え方によってさわやかにされました。(マタイ 7:28,29; 11:28,29; ヨハネ 7:46と比較してください。)わたしたちもそのようであるべきです。
9 わたしたちの外向的で親しみやすい態度,趣味の良い身なりと外見,親切で清らかな会話は,わたしたちとわたしたちの音信を,正しい心の持ち主にとって受け入れやすいものにするはずです。周りの世の中で見られるだらしなさ,慎みのない服装,この世の事柄に巻き込まれかねない交わり,みだらで無節操な生き方などは避けなければなりません。「世に対し,み使いたちに対し,また人々に対して,劇場の見せ物のようになっている」わたしたちは,いわば毎日24時間勤務で,模範的なクリスチャンとして奉仕し,生活しています。(コリント第一 4:9。エフェソス 5:1-4。フィリピ 4:8,9。コロサイ 4:5,6)そのためには,わたしたちの心が一つにされていなければなりません。
10 エホバは,心を一つにして神聖な奉仕を行なう人々をどのように覚えてくださいますか。
10 神の偉大な目的について黙想し,神聖な奉仕で生活を満たし,心を一つにしてエホバのみ名を恐れるわたしたちを,エホバは覚えてくださいます。「エホバに関しては,その目はあまねく全地を行き巡っており,ご自分に対して心の全き者たちのためにみ力を表わしてくださるのです」。(歴代第二 16:9)マラキ 3章16節もわたしたちの時代について預言し,こう述べています。「その時,エホバを恐れる者たちが互いに,各々その友に語り,エホバは注意して聴いておられた。そして,エホバを恐れる者のため,またそのみ名を思う者たちのために,覚えの書がそのみ前で記されるようになった」。エホバに対するそのような健全な恐れにより,わたしたちの心が一つにされますように。
エホバの愛ある親切
11 エホバの愛ある親切は,忠節な人々に対してどのように示されますか。
11 ダビデの祈りは何と熱烈なのでしょう。ダビデはこう続けます。「わたしの神エホバよ,わたしは心をつくしてあなたをたたえ,定めのない時に至るまであなたのみ名の栄光をたたえます。あなたの愛ある親切はわたしに対して大いなるものだからです。あなたはシェオルから,その最も低い所からわたしの魂を救い出してくださいました」。(詩編 86:12,13)ダビデはこの詩編の中で再び,愛ある親切 ― 忠節な愛 ― のゆえにエホバを賛美します。この愛は非常に大いなるものなので,一見不可能に思える状況でも救いをもたらすことができます。ダビデは荒野でサウルに追い回された時,死と背中合わせの窮地に徐々に追い詰められているように感じたかもしれません。それは,最も低いシェオル ― 墓の深み ― と向き合っているような状態でした。しかし,エホバはダビデを救い出されたのです。同じようにエホバは,驚くべき方法で現代の僕たちを幾度も救ってこられました。また,忠誠を守り,死に至るまでも忠実に忍耐する人々を支えてもこられました。忠節な人たちはみな報いを受けます。必要であれば,復活による報いさえ受けるのです。―ヨブ 1:6-12; 2:1-6,9,10; 27:5; 42:10; 箴言 27:11; マタイ 24:9,13; 啓示 2:10と比較してください。b
12 僧職者たちはどのように,せん越で圧制的な行動を取ってきましたか。彼らはどんな報いを受けますか。
12 迫害者たちについて,ダビデはこう叫びます。「神よ,せん越な者たちがわたしに向かって立ち上がりました。圧制的な者たちの集まりがわたしの魂を捜し求めました。彼らは自分の前にあなたを置きませんでした」。(詩編 86:14)今日,迫害者の中にはキリスト教世界の僧職者たちが含まれます。彼らはせん越にも,神を崇拝しながら聖なるみ名を「主」という称号に置き換え,実際には聖書のどこにも出ていない不可解な三位一体として神を紹介しています。何とせん越なことでしょう。それだけではありません。彼らは政治権力者を説得し,エホバの証人を非合法化して刑務所に送り込もうとしています。今でもそのようなことが行なわれている国は,世界中で驚くべき数に上ります。僧服をまとって神のみ名を冒とくしている者たちは,大いなるバビロンの娼婦のような分子もろとも,その報いを受けることになります。―啓示 17:1,2,15-18; 19:1-3。
13 エホバはご自分の善良さを知らせるためにどんな特質を示しておられますか。
13 ダビデの祈りは,あざやかな対比を示しながら続きます。「しかし,エホバよ,あなたは憐れみと慈しみに富む神,怒ることに遅く,愛ある親切と真実に満ちておられます」。(詩編 86:15)神のそのような特質は,実に最高度のものです。この言葉で思い出すのはシナイ山での出来事ですが,その時モーセはエホバの栄光を見せていただきたいと願い出ました。エホバはこうお答えになります。「わたしは,わたしのすべての善良さがあなたの顔の前を通るようにして,あなたの前にエホバの名を宣明する」。しかし,神はモーセにこう警告されます。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見てなお生きていることはできないからである」。それからエホバは雲のうちにあって下ってこられ,「エホバ,エホバ,憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる神」と宣明されました。(出エジプト記 33:18-20; 34:5,6)ダビデは祈りの中でその言葉を引用しました。エホバのそのような特質は,わたしたちにとって,どんな外見よりもはるかに大きな意味を持っています。わたしたちは自分自身の経験から,それらの優れた属性という形で具体的に表われているエホバの善良さを高く評価するのではないでしょうか。
「善良を意味するしるし」
14,15 エホバはご自分の僕たちのために,「善良さを意味するしるし」をどのように行なわれますか。
14 ダビデは再びエホバの祝福を懇願し,こう言います。「わたしの方を向いて,わたしに恵みを示してください。あなたの僕にあなたの強さを与えてください。あなたの奴隷女の子を救ってください。善良を意味するしるしをわたしに行なってください。わたしを憎む者たちがそれを見て,恥をかくためです。それは,エホバよ,あなたご自身がわたしを助け,わたしを慰めてくださったからです」。(詩編 86:16,17)ダビデは,『エホバの奴隷女の子』として,自分もエホバに属していなければならないことをよく知っています。エホバに命を献げ,奴隷としてエホバに奉仕する今日のわたしたちすべてにも同じことが当てはまります。わたしたちは,聖霊を通して働くエホバの救いの力を必要とします。それで,「善良さを意味するしるし」を行なってくださるよう,神に願うのです。エホバの善良さには,いま討議したばかりの優れた特質が含まれています。その点に基づいて,エホバはどんなしるし,あるいは証拠を与えてくださると期待できるでしょうか。
15 エホバは「あらゆる良い賜物,またあらゆる完全な贈り物」の与え主であられ,イエスが保証されたとおり,「ご自分に求めている者に聖霊を」惜しみなく与えてくださいます。(ヤコブ 1:17。ルカ 11:13)聖霊 ― これはエホバからの何と貴重な賜物なのでしょう。エホバは聖霊を通して,迫害の時にさえ心の喜びを与えてくださいます。ですからイエスの使徒たちは,命にかかわる裁判にかけられた時でも,神は支配者としてのご自分に従う者たちに聖霊をお与えになる,と喜びにあふれて宣言することができました。(使徒 5:27-32)聖霊の喜びが引き続き,「善良さを意味するしるし」を彼らに行なったのです。―ローマ 14:17,18。
16,17 (イ)エホバはパウロとバルナバに,ご自分の善良さに関するどんなしるしをお与えになりましたか。(ロ)迫害を受けていたテサロニケの人々には,どんなしるしが与えられましたか。
16 パウロとバルナバは,小アジアを回って宣教旅行をしていた時に,様々な苦難ばかりか,厳しい迫害さえ経験しました。ピシデアのアンティオキアで宣べ伝えた時は,ユダヤ人が音信を退けたので,二人は諸国の人々の方に行きました。どうなったでしょうか。「諸国の人たちはこれを聞いて歓び,エホバの言葉に栄光を帰するようになった。そして,永遠の命のために正しく整えられた者はみな信者となった」。しかしユダヤ人が騒ぎを起こしたため,二人の宣教者はその地方から追い出されました。彼らや新しい信者たちは,その事件で意気消沈したでしょうか。決してそのようなことはありません。むしろ,「弟子たちは引き続き喜びと聖霊とに満たされていた」のです。(使徒 13:48,52)エホバは彼らに,ご自分の善良さに関するそのようなしるしをお与えになりました。
17 その後,テサロニケの新しい会衆が迫害にさらされました。そのため使徒パウロは慰めの手紙を書き送り,彼らが患難のもとで忍耐していることをほめました。彼らは,「多くの患難のもとで聖霊の喜びを抱きながらみ言葉を受け入れた」のです。(テサロニケ第一 1:6)「聖霊の喜び」は,憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる神からの明らかなしるしとして,彼らを強め続けました。
18 東ヨーロッパの兄弟たちは,エホバの善良さに対する感謝をどのように示していますか。
18 近年エホバは,東ヨーロッパの忠実な兄弟たちに善良さを示してこられました。兄弟たちを憎んでいた人々,かつての迫害者たちを辱められたのです。わたしたちの愛する兄弟たちは,数十年の弾圧からようやく解放されたとはいえ,依然として忍耐を強いられています。経済上の深刻な苦難に面している人が少なくないからです。しかし,彼らの「聖霊の喜び」は彼らを慰めます。彼らにとって,新たに得た自由を証言の拡大のために活用すること以上に,喜ばしいことがあるでしょうか。大会やバプテスマに関する報告からも分かるとおり,大勢の人々が彼らの話に耳を傾けています。―使徒 9:31と比較してください。
19 どうすれば,詩編 86編11節の言葉を自分自身のものとすることができますか。
19 この記事と前の記事で討議した事柄はみな,エホバに対するダビデの熱烈な祈りと調和しています。『エホバよ,教え諭してください。み名を恐れるようわたしの心を一つにしてください』。(詩編 86:11)1993年の年句であるその言葉をまさにわたしたち自身の言葉としましょう。わたしたちは,王国の関心事を支持し,わたしたちの唯一の神,主権者なる主エホバの尽きない善良さに感謝しながら,心をつくして励むのです。
[脚注]
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