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プエルトリコとバージン諸島1987 エホバの証人の年鑑
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ドナルド・エルダーは支部の監督の補佐を行なっていましたが,1960年4月に,妻が健康を害したため,支部を離れる必要が生じ,ロナルド・パーキンが彼と交替しました。1962年にパーキン兄弟が10か月間のギレアデの特別な課程に出席した時,レナート・ジョンソンが支部に呼ばれ,それまで8年間プエルトリコの業を監督してきた,エミール・ヴァン・ダーレンを補佐しました。エミールは1963年にギレアデの特別な課程に出席したのち,バハマにおける新たな任命を受けたため,プエルトリコの支部に関する責任はパーキン兄弟に委ねられました。
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プエルトリコとバージン諸島1987 エホバの証人の年鑑
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[98ページの図版]
プエルトリコの支部委員会の調整者であるロナルド・パーキンと,その妻マキシン
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