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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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国際大会によって互いに励まし合う
多年にわたり禁令下に置かれていたアルゼンチンの証人たちは,再び国際大会の開催国となる機会を待ち望んでいました。その願いはついに実現し,1990年12月には,「清い言語」国際大会のために20以上の国からやって来た6,000人近い代表者たちを,ブエノスアイレスに迎えることができました。統治体のジョン・バーとライマン・スウィングルが出席し,励みとなる話を行ないました。4日間のプログラムは,リバプレート競技場とベレスサルスフィールド競技場の両方で提供され,合わせて6万7,000人を超える人々が出席しました。
崇拝の面では一致しているものの,代表者たちの間には多種多様な文化の違いがはっきり見られました。美しい民族衣装を身にまとったスペイン人の姉妹や,伝統的な着物を着た日本人の女性,黒いスーツに身を包み,つば広のソンブレロをかぶったメキシコの代表者が目に留まりました。
大会が終わっても,だれ一人その場を去ろうとはしませんでした。いろいろな国籍のグループが,ごく自然に王国の歌を自国語で歌い始め,ハンカチを振りました。この状態が1時間近く続いたあと,大会出席者たちはようやく帰途につきました。ある報道写真家は,「これほどの感動,これほどの温かさを感じさせた事柄は……アルゼンチンではいまだかつて起きたことがない」と述べました。
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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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[208,209ページの図版]
1990年の国際大会
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