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第16部 ― 西暦9世紀-16世紀 ― 切実に改革を必要とした宗教目ざめよ! 1989 | 8月22日
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ツウィングリとルターの意見の衝突
ツウィングリは教会に対する究極的で唯一の権威として聖書を強調しました。彼はルターの手本から励ましを受けたものの,ルター派と呼ばれることに異議を唱え,自分はキリストの教えを神の言葉から学んだのであって,ルターから学んだのではない,と語りました。実際,彼は主の晩さんに関する特定の要素や,国家の権威とクリスチャンの適正な関係について,ルターとは意見を異にしていました。
この二人の改革者は1529年に一度だけ会っています。「宗教改革の危機」と題する本はその時のことを「一種の宗教サミット」と評し,「二人は友好関係を断ったのではないが,……会議の終わりに発表され,参加者全員の署名が付された声明は,二人の間の溝の深さを巧みに覆い隠していた」と述べています。
ツウィングリには自分の追随者に関係した問題もありました。1525年には,教会に対する国家の権威という問題に関して一つのグループがツウィングリと意見が合わず,離れ去ってゆきました。ツウィングリがその権威を良しとしたのに対し,そのグループはその権威を否定したのです。再洗礼派と呼ばれた彼らは,バプテスマは大人の信者だけが受けられるものだと述べ,幼児洗礼を無用な形式とみなしました。また,いわゆる正義の戦いであっても肉的な武器を用いることには反対しました。そのグループの幾千幾万という人がその信条のゆえに死に処せられました。
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第16部 ― 西暦9世紀-16世紀 ― 切実に改革を必要とした宗教目ざめよ! 1989 | 8月22日
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フルドライヒ・ツウィングリ。ルターのおよそ2か月後にスイスで生まれ,1506年に司祭に叙任される。プロテスタントの従軍牧師として47歳で戦死
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