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姿勢と身ぶり聖書に対する洞察,第1巻
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イエスが地上におられた時,人々は請願をささげたり敬意をささげたりするためにイエスの前に平伏しましたが,イエスはそれを戒めませんでした。(ルカ 5:12; ヨハ 9:38)それは,ご自分が任命され,指名された王だったからです。イエスは,「神の王威が近づいた」(ダイアグロット),あるいは「神の王国は近づきました」(新世,マル 1:15)と言われました。イエスはダビデの王位を継承する方であり,それゆえ王として敬われるのは正当なことでした。―マタ 21:9; ヨハ 12:13-15。
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姿勢と身ぶり聖書に対する洞察,第1巻
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イエスに敬意がささげられたことに関連して,プロスキュネオーという語がしばしば用いられています。この語は基本的には「敬意をささげる」という意味ですが,「崇拝する」とも訳されます。(マタ 2:11; ルカ 4:8)崇拝は神にのみささげられるべきものですから(マタ 4:10),イエスは,崇拝を受けておられたのではなく,敬意をささげる人の行為を,神がご自分に与えた権威を認める行為と理解しておられました。ヨハネに啓示を与えるためイエス・キリストにより遣わされたみ使いは,ヨハネから崇拝を受けることを拒んで,人の崇拝は神にのみささげられるという原則を明示しました。―啓 19:10。「敬意をささげる」; 「崇拝」を参照。
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