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レユニオン2007 エホバの証人の年鑑
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その前の年,サンタンドレの群れは会衆になるための申請を行ないました。申請書の内容は次のようなものでした。「1963年6月末にはバプテスマを受けた伝道者が12人になり,今後2か月の間に新しい伝道者が五,六人増える見込みです。兄弟たちは30件の聖書研究を司会しています」。申請は承認され,二人の兄弟が会衆の世話をしました。ジャン・ナッソーが会衆の僕つまり主宰監督で,ルシアン・ベショーが補佐でした。どちらも真理に入ってまだ2年もたっていませんでした。
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レユニオン2007 エホバの証人の年鑑
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サンタンドレの群れが最初に奉仕していた区域に,今では八つの会衆があります。
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レユニオン2007 エホバの証人の年鑑
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1963年12月に,群れは会衆になることを申請しました。バプテスマを受けていた8人を含む16人の王国伝道者がおり,皆の野外奉仕時間の平均は月に22.5時間でした。ダビドと補佐の兄弟だけでも38件の聖書研究を司会していたのです。その同じ月に訪問した巡回監督は,53人の聴衆を前に公開講演を行ないました。
特別開拓者のクリスティアン・ボヌカズと妻のジョゼットも,ル・ポールでの奉仕を割り当てられました。クリスティアンはフランス領ギアナでバプテスマを受け,1960年代の初めにレユニオンに来ました。当時は独身で,家族は真理のうちにいませんでした。集会が行なわれていた家にクリスティアンとジョゼットが住めるように,スリ兄弟は親切に別の家に引っ越しました。ところが,やがて会衆があまりに大きくなったので,ボヌカズ夫妻も出なければならなくなりました。
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レユニオン2007 エホバの証人の年鑑
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僧職者たちが人々に偏見を吹き込んだにもかかわらず,兄弟たちの熱意と神の祝福により,ル・ポールには熱心な会衆ができ,間もなく集会場は人であふれるようになりました。実際,中で聞いている人より外で聞いている人のほうが多いことも珍しくありませんでした。ステージの上も含めて,至るところにいすが置かれ,子どもたちはステージのへりに,聴衆の方を向いてずらりと座りました。やがて兄弟たちは立派な王国会館を建て,今ではその地域に六つの会衆があります。
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