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    2007 エホバの証人の年鑑
    • 巡回大会をどこで開くか

      レユニオンでの業は滑り出しが非常に良かったため,大会を開くのに十分な広さの場所を探すのが大変でした。1964年,兄弟たちは地元での最初の巡回大会を計画しました。しかし,何か月も会場を探したものの,1か所しか見つかりませんでした。それはサンドニにある階上のレストランで,建物は古く,使用料は高く,しかも木造でした。予想出席者数は200人余りでしたが,オーナーによると,それぐらいの重みなら耐えられるということでした。

      ほかに選択肢がなかったため,兄弟たちはレストランを予約し,ある好意的な男性が音響装置を寄贈しました。いよいよ当日になり,建物が兄弟たちでいっぱいになってくると,床はミシミシと音を立てましたが,持ちこたえました。日曜日には230人が出席し,21人がバプテスマを受けました。

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    • そこで開かれた最初の大会は,3日間の地域大会でした。出席したミリアム・アンドリアンは,その時のことを思い出してこう言います。「初日の午前中,わたしたちは野外奉仕に出かけ,帰ってきて熱々のランチを食べました。米,豆,鶏肉で作った本格的なクレオール料理で,トウガラシが入っていました。料理をした人たちは,トウガラシの辛さに慣れていない人のために,ルゲル・マルメーユ,つまり子ども向けチャツネも作りました」。

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    • 地域大会をどこで開くか

      自分たちの大会ホールを持つ前,兄弟たちは地域大会のために,サンポールにあるオリンピック・スタジアムを借りていました。ところが,スポーツの大会や文化的な行事が優先されたため,土壇場になって別の場所に行かなければならないことが少なくありませんでした。やがて市当局は,スタジアムの隣にある展示広場を使うよう兄弟たちに勧めました。そこは博覧会や展示会を行なうための場所で,座席や屋根はなく,出席者たちは自分でいすや日よけを持って来なければなりません。そのため,ステージから見渡すと,熱心に聞き入るたくさんの顔の代わりに,色とりどりの傘が見えました。

      レユニオン事務所はこう書いています。「ある時,市当局はその広場の予約を二重に入れてしまいました。もう一方の側は,ズークを演奏するマルティニークの音楽グループでした。ズークというのは,アフリカ風のリズムとレゲエとカリプソを混ぜ合わせた音楽です。当局者たちはズークのグループをひいきし,わたしたちには“最初のフランス人の洞窟”と呼ばれるレクリエーションのための場所をあてがいました。そこはフランス人の最初の入植者たちが上陸した美しい場所で,後方には高い崖があり,陰になる木もたくさんありましたが,座席はなく,トイレは少なく,ステージもありませんでした。

      「しかし,このたびはそこで良かったと思います。というのは,大会の土曜日の晩にあらしが来て,稲妻によってスタジアムの電気系統がすべてだめになり,ズークのコンサートは終わってしまったからです。5㌔ほど離れた所にあったわたしたちの会場は影響を受けませんでした。その出来事について,『神の裁き』が下ったのだと言う地元の人たちもいたほどです」。

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    • 地元での最初の巡回大会に230人が出席する。

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    • 1998年 新しいラ・ポセション大会ホールでの最初の大会が開かれる。

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    2007 エホバの証人の年鑑
    • [251ページの図版]

      大会

      地元での最初の巡回大会が開かれた階上のレストラン,1964年

      地域大会の会場となった“最初のフランス人の洞窟”

      サンドニの仮設のホール,1965年

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