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    聖書に対する洞察,第1巻
    • ヘブライ語のツェデクとツェダーカー,およびギリシャ語のディカイオシュネーは,主権者としての神の道の正当性や(ヨブ 37:23; 詩 71:19; 89:14),物事を管理したり,裁きを執行したり,公正な処置を施行したり(詩 9:8; 85:11; イザ 26:9; コリ二 3:9),神の民と称する人々を処罰したり(イザ 10:22),裁きにおけるご自身の正しさを立証したり(詩 51:4; ロマ 3:4,5),ご自分の民の正しさを立証したりする(ミカ 7:9),神の道の正当性に関してよく出て来ます。

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    聖書に対する洞察,第1巻
    • ギリシャ語のディカイオシュネーは「方正」や「廉直」という考えを含んでおり,何が廉直かを決める規準,もしくは規範を示唆しています。「義」はしばしば裁き人,もしくは裁きに関連して使われており,どことなく法的な用語の趣があります。(そのため,それらの原語は「公正」と訳される時もあります。)(詩 35:24; 72:2; 96:13; イザ 11:4; 啓 19:11)

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    聖書に対する洞察,第1巻
    • ギリシャ語学者のケニス・S・ウエストは,「ディカイオス[義にかなった]という語の意味内容を決めると共に,その意味内容を一定不変の状態に保つ客観的な規準となるのは神である。神は不変の方だからである」と述べています。それから,次のようなクリーマーの言葉を引用しています。「聖書的な意味における義とは,神を規準とする正しい状態のことであり,その状態は神の規準にしたがって評価されるもので,神に従順な行状となって表われる。また,何よりも神との関係,ならびに神のみ前における歩み方とかかわりがある。それはディカイオシュネー テウー(神の義)であり,またそう呼ばれている。(ロマ 3:21; 1:17)それは神に属する義,神のみ前で価値のあるもの,つまり神のような義である。エフェ 4:24を参照。そのように定義されるこの義と共に,福音が(ロマ 1:17),異なった規準によって物事を評価するのを常としていた諸国民の世に入るのである」。―「ギリシャ語新約聖書語彙研究」,1946年,37ページ。

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