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    ものみの塔 2011 | 2月15日
    • 心から義を愛しなさい

      「あなたは義を愛した」。―詩 45:7。

      1. 「義の進路」を歩むのに何が助けになりますか。

      エホバは,み言葉と聖霊によってご自分の民を「義の進路」に導いておられます。(詩 23:3)しかしわたしたちは不完全なので,その道筋からそれる傾向があります。立ち返って正しいことを行なうには,断固たる努力が求められます。正しい歩みをするのに何が助けになるでしょうか。イエスのように,正しいことを行なうことを愛する必要があります。―詩編 45:7を読む。

      2. 「義の進路」とは何ですか。

      2 「義の進路」とは何でしょうか。それはいわば狭い道です。エホバの義の規準によって定められた道筋です。ヘブライ語とギリシャ語で,「義」とは「廉直」であることを指し,道徳上の原則に固く付き従うことを示唆しています。エホバは「義の住まい」であられるので,その崇拝者は,歩むべき道徳的に廉直な道筋を定めてくださるよう喜んでエホバに頼ります。―エレ 50:7。

      3. どうすれば,神の義についてさらに学べますか。

      3 神の義の規準に従うよう心から努力して初めて,エホバを十分に喜ばせることができます。(申 32:4)それは,エホバ神についてみ言葉 聖書からできる限りの事柄を学ぶことから始まります。エホバについて学び,日ごとにエホバに近づくと,ますますエホバの義を愛するようになります。(ヤコ 4:8)また,重要な決定を下す必要がある時に,神の霊感による言葉の導きを受け入れなければなりません。

      神の義を求める

      4. 神の義を求めることには何が関係していますか。

      4 マタイ 6:33を読む。神の義を求めることには,王国の良いたよりを宣べ伝える業に時間を費やす以上のことが関係しています。神聖な奉仕がエホバに受け入れられるには,日々の行動がエホバの高い規準に調和していなければなりません。エホバの義を求めている人は皆,何をする必要があるでしょうか。「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着け」なければなりません。―エフェ 4:24。

      5. 失望から立ち直るのに何が助けになりますか。

      5 神の義の規準に沿って生活するよう努力する中で,自分の至らなさに失望することがあるかもしれません。失望に負けずに立ち直り,義を愛して実践するのに,何が助けになりますか。(箴 24:10)定期的に祈り,「信仰の全き確信のうちに,真実の心を抱いて」エホバに近づく必要があります。(ヘブ 10:19-22)わたしたちは,油そそがれたクリスチャンであれ,地上で生きる希望を持つ者であれ,イエス・キリストの贖いの犠牲と偉大な大祭司としての奉仕とに信仰を働かせます。(ロマ 5:8。ヘブ 4:14-16)イエスが流された血の効力は,この雑誌の創刊号で例えによって説明されました。(ヨハ一 1:6,7)こうあります。「不思議なことだが,緋色や紅色のものを光のもとで赤いガラスを通して見ると,それは白いものに見える。それで,わたしたちの罪は緋や紅のようであるが,神がキリストの血を通してご覧になる所にわたしたちが来ると,それは白いとみなされる」。(1879年7月号6ページ[英語])エホバは,愛するみ子の贖いの犠牲を通してなんと素晴らしい備えを設けてくださっているのでしょう。―イザ 1:18。

      霊的な武具を点検する

      6. 霊的な武具を日々点検することが極めて重要なのは,なぜですか。

      6 わたしたちは,「義の胸当て」をいつも着けている必要があります。それは神からの霊的な武具の不可欠な部分です。(エフェ 6:11,14)最近エホバに献身した人であれ,何十年も神聖な奉仕をささげてきた人であれ,霊的な武具を日々点検することは極めて重要です。なぜでしょうか。悪魔と悪霊たちが地の近辺に投げ落とされているからです。(啓 12:7-12)サタンは怒りを抱いており,自分の時が限られていることを知っています。そのため神の民をいよいよ激しく攻撃しています。わたしたちは,「義の胸当て」を着けていることの重要性を認識しているでしょうか。

      7. 「義の胸当て」の必要性を認識しているなら,どのように行動しますか。

      7 胸当てが心臓を保護するように,義は心を守ります。わたしたちは不完全なので,心は不実で必死になる傾向があります。(エレ 17:9)心には,間違ったことを行なう傾向があるので,訓練や鍛錬が欠かせません。(創 8:21)「義の胸当て」の必要性を認識しているなら,それを一時的に外して神の憎まれる事柄を楽しんだりせず,悪行に携わることを空想したりもしません。長時間テレビを見て貴重な時間を浪費したりもしません。むしろ,エホバに喜ばれることを行なうよう奮闘し続けます。たとえ不義の肉的な考えに少しのあいだ屈してつまずくとしても,エホバの助けを得て立ち上がります。―箴言 24:16を読む。

      8. 「信仰の大盾」が必要なのはなぜですか。

      8 霊的な武具には,「信仰の大盾」もあります。それがあれば,「邪悪な者の火矢をみな消すことができます」。(エフェ 6:16)そして,信仰を抱き,心をこめてエホバを愛するなら,義を実践して永遠の命への道にとどまることができます。エホバを愛するようになればなるほど,エホバの義を重んじるようになります。では,良心についてはどうでしょうか。それは,義を愛するよう努力するうえでどのように助けになりますか。

      正しい良心を保つ

      9. 正しい良心を保つことは,どのように益となりますか。

      9 わたしたちは,バプテスマの時に「正しい良心」をエホバに願い求めました。(ペテ一 3:21)贖いに信仰を働かせるゆえに,イエスの血によって罪が覆われ,神のみ前での清い立場を得ることができます。とはいえ,救われた状態にとどまるには,正しい良心を保たなければなりません。良心が自分を責めて警告を発することがあるなら,良心がきちんと働いていることに感謝すべきです。そのようにうずくことは,エホバの義の道に関して良心がまひしていないしるしです。(テモ一 4:2)さらに良心は,義を愛することを願う人たちのために別の役割も果たします。

      10,11. (イ)聖書によって訓練された良心の声に従うべき理由を示す経験を述べてください。(ロ)義に対する愛が大きな喜びをもたらすのはなぜですか。

      10 間違ったことをすると,良心にとがめられ,苦しめられることがあります。ある若者は「義の進路」から迷い出ました。ポルノに夢中になり,マリファナを吸い始めます。集会に行くと罪悪感を感じ,野外奉仕に参加すると偽善者のように感じました。それでクリスチャンの活動をやめてしまいました。「でも,自分の行動について良心に責められるとは思ってもいませんでした」と語っています。この若者は「愚かな歩みを4年ほど続けました」。その後,真理に戻ることを考えるようになります。エホバは祈りを聞いてくださらないと思ったものの,とにかく祈って許しを求めました。10分もしないうちに,母親が訪ねて来て,また集会に行くように励まされました。王国会館に行き,長老に研究をお願いしました。やがてバプテスマを受けました。救ってくださったことをエホバに感謝しています。

      11 正しいことを行なうことから大きな喜びが得られる,と感じたことがあるのではないでしょうか。義を愛するようになり,いっそう義を実践するにつれ,天の父を喜ばせることを行なうことにさらなる喜びを感じるようになります。考えてみてください。だれもが良心から喜びだけを感じる時が来ようとしているのです。すべての人が神の像を完全に反映するようになります。ですから,今,心の奥深くに義に対する愛を植えつけ,エホバを歓ばせましょう。―箴 23:15,16。

      12,13. どのように良心を訓練できますか。

      12 良心を訓練するために何ができるでしょうか。聖書および聖書に基づく出版物を研究する際,『義なる者の心は答えるために思いを巡らす』ということを銘記するのは重要です。(箴 15:28)仕事に関する疑問に直面した時に,そのことがどのように益となるかを考えましょう。ある仕事が聖書の要求に明らかに反するなら,ほとんどの人は忠実で思慮深い奴隷級を通して与えられている指示にすぐに従うでしょう。仕事に関する疑問の答えがはっきりしない場合,聖書の原則を確かめ,祈りのうちに考慮すべきです。a それには,他の人の良心をかき乱すことを避ける必要がある,といった原則も含まれます。(コリ一 10:31-33)特に関心を払うべきなのは,神との関係にかかわる原則です。自分にとってエホバが現実の存在となっているなら,何よりも,『この仕事を行なうとエホバに痛みを覚えさせ,痛みを与えることになるだろうか』と自問することでしょう。―詩 78:40,41。

      13 「ものみの塔」研究や会衆の聖書研究の予習をする時,提供される情報を黙想する必要性を銘記すべきです。いつも,研究用の質問の答えにさっと下線を引いて次の節に移るでしょうか。そうした研究では,義に対する愛が深まったり敏感な良心がはぐくまれたりはしないでしょう。義を愛するようになるには,勤勉に研究し,書き記された神の言葉で読んだ事柄を黙想する必要があります。心から義を愛するようになることに,近道はありません。

      義に飢え渇く

      14. エホバ神とイエス・キリストは,わたしたちが神聖な奉仕についてどのように感じることを願っておられますか。

      14 エホバ神とイエス・キリストは,わたしたちが神聖な奉仕を行なう時に幸せであるようにと願っておられます。そうした幸せに何が寄与するでしょうか。義に対する愛です! イエスは山上の垂訓でこう述べました。「義に飢え渇いている人たちは幸いです。その人たちは満たされるからです」。(マタ 5:6)義を愛することを願う人たちにとって,この言葉にはどんな意味があるでしょうか。

      15,16. 霊的な飢えと渇きはどのように満たされますか。

      15 わたしたちの住む世界は,邪悪な者に支配されています。(ヨハ一 5:19)どの国の新聞を見ても,残虐行為や暴力行為がかつてないほど載っています。義なる人は,人間が人間に行なう非人道的行為に心を痛めています。(伝 8:9)エホバを愛するわたしたちは,義を学ぶことを願う人の霊的な飢えと渇きを満たせるのはエホバだけであることを知っています。不敬虔な人たちは間もなく除かれ,義を愛する人たちが無法な人々やその悪行に苦しむことはなくなります。(ペテ二 2:7,8)本当にほっとすることでしょう。

      16 わたしたちはエホバの僕,イエス・キリストの追随者であり,義に飢え渇いている人がみな「満たされる」ことを理解しています。『義の宿る』新しい天と新しい地という神の取り決めを通して十分に満たされるのです。(ペテ二 3:13)ですから,このサタンの世で虐げや暴力によって義が奪い取られていることで,落胆したり驚き惑ったりしないようにしましょう。(伝 5:8)至高者であられるエホバは,起きている事柄をご存じであり,義を愛する人たちを間もなく救い出されます。

      義を愛することから益を得る

      17. 義を愛することからどんな益が得られますか。

      17 詩編 146編8節では,義の道筋を歩むことの際立った益が強調されています。「エホバは義なる者たちを愛しておられる」と詩編作者は歌っています。想像してみてください。わたしたちが義を愛するゆえに,宇宙の主権者が愛してくださるのです。エホバの愛ゆえに,わたしたちは,生活の中で王国の関心事をいつも第一にするなら必要なものは備えられる,と確信できます。(詩編 37:25; 箴言 10:3を読む。)やがて,地球全体は義を愛する人のものとなります。(箴 13:22)神の民の大半にとって,義を実践することの報いは,地上の美しい楽園におけるあふれんばかりの喜びと終わりのない命です。今でさえ,神の義を愛する人たちは内面の平和という報いを得ており,それは家族や会衆における一致に役立っています。―フィリ 4:6,7。

      18. エホバの日を待ちつつ,どんな良いことを行なえますか。

      18 わたしたちは,エホバの大いなる日の到来を待ちつつ,エホバの義を求めてゆかなければなりません。(ゼパ 2:2,3)それで,エホバ神の廉直な道に対する純粋な愛を表わしましょう。それには,「義の胸当て」をしっかり着けて心を守ることも含まれます。正しい良心を保つ必要もあります。わたしたちに喜びをもたらし,神の心を歓ばせる良心です。―箴 27:11。

      19. どんな決意を抱くべきですか。次の記事では何を考えますか。

      19 エホバの「目はあまねく全地を行き巡っており,ご自分に対して心の全き者たちのためにみ力を表わして」くださいます。(代二 16:9)この言葉は本当に励みとなります。わたしたちは,問題の多いこの世界において,不安定や暴力や悪が増大する中で,正しいことを行なうからです。神から疎外された人類は,わたしたちの義の道に当惑するかもしれません。しかし,わたしたちはエホバの義に固く付くことによって大いに益を得ます。(イザ 48:17。ペテ一 4:4)ですから,全き心を持ち,心から義を愛して実践することに楽しみを見いだしてゆこう,との決意を抱きましょう。ところで,全き心を持つことには不法を憎むことも含まれます。次の記事で,それが何を意味するかを取り上げます。

  • 不法を憎んでいますか
    ものみの塔 2011 | 2月15日
    • 不法を憎んでいますか

      「あなた[イエス]は……不法を憎んだ」。―ヘブ 1:9。

      1. イエスは愛に関して,どんなことを教えましたか。

      イエス・キリストは,愛の重要性を強調し,弟子たちにこう言いました。「わたしはあなた方に新しいおきてを与えます。それは,あなた方が互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなた方を愛したとおりに,あなた方も互いを愛することです。あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハ 13:34,35)イエスは追随者たちに,互いに自己犠牲的な愛を示すよう命じたのです。その愛は,弟子たちを見分けるしるしとなります。またイエスは,次のようにも勧めました。「あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい」。―マタ 5:44。

      2. キリストの追随者は何に対する憎しみを培うべきですか。

      2 イエスは弟子たちに,愛について教えるとともに,憎むべき事柄をも教えました。イエスについてこう記されています。「あなたは義を愛し,不法[邪悪]を憎んだ」。(ヘブ 1:9。詩 45:7)ですからわたしたちは,義に対する愛だけでなく,罪すなわち不法に対する憎しみも培わなければなりません。注目すべき点として,使徒ヨハネははっきりとこう述べています。「すべて罪を習わしにする者は,不法をも習わしにしています。それで,罪は不法です」。―ヨハ一 3:4。

      3. 不法に対する憎しみに関して,この記事ではどんな分野を考えますか。

      3 クリスチャンであるわたしたちは,『自分は不法を憎んでいるだろうか』と自問すべきです。悪に対する憎しみをどのように示せるか,以下の四つの分野を考えましょう。(1)アルコールの乱用に対する態度,(2)オカルトに対する見方,(3)不道徳に対する態度,(4)不法を愛する人に対する見方です。

      飲酒に節度を保ちなさい

      4. イエスが飲み過ぎについて,はばかることなく警告できたのはなぜですか。

      4 イエスは時折ぶどう酒を飲み,それを神からの賜物と見ていました。(詩 104:14,15)とはいえ,決してその賜物を乱用せず,飲み過ぎたりしませんでした。(箴 23:29-33)ですから,そうした習慣についてはばかることなく助言できました。(ルカ 21:34を読む。)アルコールの誤用は他の重大な罪につながりかねません。それで使徒パウロはこう書いています。『酒に酔ってはなりません。そこに放とうがあるのです。むしろ,いつも霊に満たされていなさい』。(エフェ 5:18)また,会衆内の年取った婦人に,「大酒の奴隷となったり」しないようにと訓戒しています。―テト 2:3。

      5. アルコールを飲む人はどんな点を自問できますか。

      5 アルコールを飲むのであれば,次の点を自問すべきです。『飲み過ぎについてイエスと同じ態度を持っているか。この点に関して他の人に助言する必要があるとき,はばかりなく語れるか。飲むのは,心配から逃れたりストレスを和らげたりするためか。毎週どれぐらいの量を飲むか。飲み過ぎではないかとほのめかされたら,どう反応するか。弁解したり憤ったりするか』。大酒の奴隷となるなら,物事をきちんと論理的に考えたり賢明な決定を下したりする能力が影響を受けかねません。キリストの追随者は,思考力を守るように努めます。―箴 3:21,22。

      オカルトを避けなさい

      6,7. (イ)イエスはサタンと悪霊に対してどのように行動しましたか。(ロ)今日,オカルトが広く見られるのはなぜですか。

      6 イエスは地上にいた時,サタンと悪霊にしっかり立ち向かいました。忠節に関するサタンの直接攻撃を退けました。(ルカ 4:1-13)考えや行動に影響を及ぼそうとする巧妙な企みを見分け,抵抗しました。(マタ 16:21-23)ふさわしい人が悪霊の残酷な支配から逃れられるよう助けました。―マル 5:2,8,12-15; 9:20,25-27。

      7 イエスは,1914年に王として即位した後,サタンと悪霊の汚れた影響を天から一掃しました。その結果,サタンは「人の住む全地を惑わして」おり,いよいよ躍起になっています。(啓 12:9,10)ですから,オカルトへの関心が広く見られ,高まっているのも,不思議ではありません。では,自分を守るためにどんな手段が取れるでしょうか。

      8. 娯楽の選択に関して,どんな自問をするのはふさわしいことですか。

      8 聖書は,心霊術に関係した危険についてはっきり警告しています。(申命記 18:10-12を読む。)今日,サタンと悪霊は,オカルトを助長する映画や書籍やコンピューターゲームを通して人々の考えに働きかけています。それゆえ,娯楽の選択について,各自,次の点を自問すべきです。『ここ数か月の間に,超自然的な事柄を取り上げた映画,テレビ,コンピューターゲーム,書籍,漫画を楽しんだか。オカルトの影響を退けることの大切さを理解しているか。それともその危険を軽く見ているか。自分の娯楽の選択についてエホバがどうお感じになるかを考えたことがあるか。こうしたサタンの働きかけに対して,いわばドアを開けているとしたら,エホバとその義の原則に対する愛に動かされて断固たる行動を取り,そのドアをぴしゃりと閉めるか』。―使徒 19:19,20。

      不道徳に関するイエスの警告に留意しなさい

      9. 人はどのようにして不法に対する愛を育てることがありますか。

      9 イエスは性道徳に関するエホバの規準を擁護しました。こう述べています。「あなた方は読まなかったのですか。人を創造された方は,これを初めから男性と女性に造り,『このゆえに,人は父と母を離れて自分の妻に堅く付き,二人は一体となる』と言われたのです。したがって,彼らはもはや二つではなく,一体です。それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」。(マタ 19:4-6)イエスは,目から取り入れるものが心に影響を及ぼし得ることを知っていました。それで,山上の垂訓で次のように述べました。「『あなたは姦淫を犯してはならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです」。(マタ 5:27,28)イエスの警告を無視する人は,不法に対する愛を育てていることになります。

      10. ポルノから自由になれることを示す経験を述べてください。

      10 サタンはポルノによって性の不道徳を助長しています。現在の事物の体制にはポルノがあふれています。ポルノを見る人は,不道徳な場面を脳裏からなかなか消し去ることができません。ポルノ中毒になるおそれもあります。あるクリスチャンに起きたことを考えましょう。兄弟はこう語っています。「ひそかにポルノを見ていました。空想の世界を作り上げ,それはエホバに仕えている世界とは切り離されていると考えていました。悪いと分かっていましたが,神への奉仕は受け入れられていると自分に言い聞かせていました」。何が兄弟の考えを変えたのでしょうか。こう述べています。「これまでで一番難しいことでしたが,自分の問題を長老に話すことにしました」。兄弟は,やがてこの汚れた習慣から自由になりました。「自分の生活からこの罪を取り除いて,ようやく,本当に清い良心を抱いていると感じました」。不法を憎む人は,ポルノを憎むようにならなければなりません。

      11,12. 音楽の選択において,不法への憎しみをどのように示せますか。

      11 音楽とその歌詞はわたしたちの感情に,それゆえ心にも,強い影響を及ぼす場合があります。音楽自体は神からの賜物であり,昔から真の崇拝で用いられてきました。(出 15:20,21。エフェ 5:19)しかし,サタンの邪悪な世は不道徳を美化する音楽を広めています。(ヨハ一 5:19)聴く音楽によって自分が汚されていないかどうか,どうすれば分かるでしょうか。

      12 まずは,次のように自問できます。『自分の聴いている歌は,殺人,姦淫,淫行,冒とくを美化しているか。歌詞をだれかに読んだとしたら,相手はわたしが不法を憎んでいるという印象を受けるか。それとも,その歌詞は自分の心が汚されていることを示すものか』。歌で不法を美化しながらそれを憎んでいると主張することはできません。イエスはこう述べています。「口から出るものは心から出て来るのであり,それが人を汚します。たとえば,心から,邪悪な推論,殺人,姦淫,淫行,盗み,偽証,冒とくが出て来ます」。―マタ 15:18,19。ヤコブ 3:10,11と比較。

      不法を愛する人に対してイエスと同じ見方をしなさい

      13. イエスは罪においてかたくなになる人をどう見ましたか。

      13 イエスは,自分が罪人たちつまり不法な人たちを悔い改めに招くために来たと言いました。(ルカ 5:30-32)とはいえ,罪の歩みにおいてかたくなになる人をどう見たでしょうか。そうした人に影響されないようにとの強い警告を与えました。(マタ 23:15,23-26)また,次のように明言しました。「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです。その日[神が裁きを執行なさる日]には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう」。しかしイエスは,不法を習わしにして悔い改めない者たちを退け,「わたしから離れ去れ」と言います。(マタ 7:21-23)どうしてそのように裁かれるのでしょうか。そうした人は,自分の不法な習わしによって,神を辱め,他の人に害をもたらすからです。

      14. 悔い改めない罪人を会衆から除くのは,なぜですか。

      14 神の言葉は,悔い改めない罪人を会衆から除くよう命じています。(コリント第一 5:9-13を読む。)これは,少なくとも三つの理由で必要です。(1)エホバのみ名が非難されないため,(2)会衆を汚染から守るため,(3)可能であれば罪人が悔い改めに至るのを助けるためです。

      15. エホバに忠節であるには,心を探るどんな質問に答える必要がありますか。

      15 不法な歩みに固執する人に対してイエスと同じ見方をしているでしょうか。以下の質問を考慮する必要があります。『自分は,排斥された人やクリスチャン会衆との関係を自ら断絶した人と定期的に交わろうとするか。その人が同居していない近親者だったら,どうか』。こうした状況は,義に対する愛と神への忠節を大いに試みるものとなり得ます。a

      16,17. あるクリスチャンの母親はどんな難しい状況に直面しましたか。悔い改めない悪行者を排斥するという取り決めを支持するのに,何が助けになりましたか。

      16 ある姉妹の経験を考えましょう。姉妹の成人した息子は,一時期エホバへの愛を抱いていましたが,その後,不法を習わしにするようになり,悔い改めませんでした。そのため会衆から排斥されました。姉妹はエホバを愛していましたが,息子も愛しており,息子との交わりを避けるようにという聖書の命令に従うのはとても無理だと感じました。

      17 あなただったら,姉妹にどんな助言を与えたでしょうか。一人の長老は,エホバが姉妹の痛みを理解しておられるということを悟れるよう助けました。ご自分の子であるみ使いの一部が反逆した時にエホバが感じたに違いない痛みについて考えるよう,姉妹を促しました。そして,エホバはそうした状況がどれほどつらいものかをご存じであっても,なお,悔い改めない罪人が排斥されることを求めておられる,という点を共に考慮しました。姉妹はこの諭しを心に留め,排斥の取り決めを忠節に支持しました。b このような忠節はエホバの心を喜ばせます。―箴 27:11。

      18,19. (イ)不法を習わしにする人と接触しないことは,何に対する憎しみの証拠ですか。(ロ)神とその取り決めに忠節であるなら,どんな結果になりますか。

      18 同様の状況に直面したなら,エホバがあなたを思いやっておられることを思い出してください。排斥された人や断絶した人と接触しないことによって,そうした結果に至った態度や行為への憎しみを示すことになります。同時に,悪行を犯したその人を愛するゆえに当人にとって最善の行動をしようと思っていることを示せます。エホバに対するあなたの忠節によって,懲らしめを受けた人が悔い改めてエホバのもとに帰る可能性が高まるかもしれません。

      19 排斥されて後に復帰した姉妹は,こう書いています。「エホバがご自分の民を深く愛して組織が清く保たれるよう見届けておられるのはうれしいことです。外部の人々にとって厳しいと思えることでも,それは必要であり,また本当に愛のある行動なのです」。この姉妹は,家族を含め会衆の成員が,排斥されている間も定期的な接触を保っていたとしたら,こうした結論に至ったでしょうか。わたしたちが排斥に関する聖書的な取り決めを支持することは,義を愛しており,行動の規準を定めるエホバの権利を認めていることの証拠です。

      「悪を憎め」

      20,21. 不法を憎むようになることが重要なのは,なぜですか。

      20 「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい」と使徒ペテロは警告しています。なぜでしょうか。「あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとして」いるからです。(ペテ一 5:8)あなたが,この「だれか」になることがあるでしょうか。それは,あなたが不法をどれほど憎むようになるかに大きく依存しています。

      21 悪に対する憎しみを培うのは簡単ではありません。わたしたちは,生まれつき罪があり,この世は肉の欲望を満たすものを提供しています。(ヨハ一 2:15-17)それでも,イエス・キリストに倣い,エホバ神への深い愛を培うなら,不法に対する憎しみをはぐくむことができます。では,エホバが『ご自分の忠節な者たちを守っておられ,邪悪な者たちの手から救い出してくださる』ことを全く確信し,『悪を憎む』決意を抱きましょう。―詩 97:10。

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