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ローマ人は最も良い知らせを受けるものみの塔 1990 | 8月1日
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人は信仰に基づいて義とみなされます。パウロはこの点を強調し,その手紙のテーマにしてこう書いています。「わたしは良いたよりを恥じてはいないからです。実際それは,信仰を持つすべての人にとって,すなわちユダヤ人を初めギリシャ人にとっても,救いのための神の力なのです。信仰のゆえに,また信仰のために,神の義がその中に啓示されているのです。『しかし義なる者 ― その者は信仰によって生きる』と書かれているとおりです」― ローマ 1:16,17。
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ローマ人は最も良い知らせを受けるものみの塔 1990 | 8月1日
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ローマ 1章から4章では,初めに,すべての人は罪を犯しているという真理を述べます。それゆえ,人は信仰に基づいて義と宣してもらう以外に道はありません。ユダヤ人はモーセの律法を守って義なる者になろうと努めたことは確かですが,失敗しました。そこでパウロは,「ユダヤ人もギリシャ人もみな罪のもとにある」と大胆に述べます。そして数多くの聖句を引用して,この人気のない真理を証明します。―ローマ 3:9。
『律法の業によって肉なる者が義と宣せられることはない』のであれば,一体どんな希望があるでしょうか。神はイエスの贖いの犠牲に基づいて無償の賜物として人を義と宣するのです。(ローマ 3:20,24)この恩恵にあずかるには,その犠牲に信仰を抱かなければなりません。人が信仰に基づいて義と宣せられるというこの教えは,新しい教えでしょうか。そうではありません。律法が発効するよりも前に,アブラハムはその信仰のゆえに義と宣せられたのです。―ローマ 4:3。
信仰の重要性を確証したパウロは,5章でキリスト教の基盤について論じます。その基盤はイエスです。イエスの義なる歩みは,イエスに信仰を抱く人たちに及ぶアダムの罪の悪影響を相殺します。ですから,モーセの律法に従うことによってではなく,「正しさを立証する一つの行為を通してあらゆる人に及ぶ結果(は),命のために彼らを義と宣することなのです」。―ローマ 5:18。
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