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競技,遊技聖書に対する洞察,第1巻
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コリント第一 4章9節の例えは,ローマの競技会を題材にしたものかもしれません。この句では,パウロと仲間の使徒たちが闘技場の出し物の最後の種目に出される者たちに例えられています。というのは,最も残虐な種目は普通,最後まで取って置かれ,その種目に出るよう決められた者たちは,確実に殺されたからです。ヘブライ 10章32,33節も同様にローマの競技を背景にしたものだったのかもしれません。(「劇場」を参照。)
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競技,遊技聖書に対する洞察,第1巻
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ローマ ローマの競技はギリシャの競技とは大いに異なっていて,剣闘試合その他の極めて残忍な催し物がおもな呼び物となっていました。剣闘競技は元々,西暦前3世紀に葬儀の際の礼拝の一環として始まったもので,崇拝者たちが自分たちの神々や死者のために自分の体を傷付けて血を流した古代異教徒の儀式と密接な関係があったのかもしれません。(王一 18:28。イスラエルに対してそのような慣行を禁じたレビ 19:28の言葉と比較。)ローマの競技は後日,サトゥルヌス神に奉献されました。残忍さと冷酷さを極めた点で,その競技をしのぐものは何もありませんでした。トラヤヌス帝は一度,剣闘士1万人を参加させる試合を催させ,その見せ物が終わらないうちに大半の剣闘士が戦って死にました。一部の元老院議員や“貴”婦人たち,それにコンモドゥスという皇帝さえ剣闘士の闘技場に入りました。ネロの時代以降,そのような催しの際に多数のクリスチャンが虐殺されました。
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