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    2006 エホバの証人の年鑑
    • 聖書研究会が増える

      1922年,オハイオ州シーダーポイントの大会でジョセフ・F・ラザフォードは,「王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい!」と勧めました。この興奮を誘う諭しに世界中の神の民が感動し,一層熱意を燃やしました。ルーマニアでも,兄弟たちが良いたよりを携えて新しい区域に出かけ,さらに多くの弟子を作りました。

      当時,新しい人はどうやって聖書を学んだのでしょうか。ベレア人聖書研究と呼ばれる会に加わりました。質問があらかじめ準備されており,研究用の資料はさまざまな出版物から取られていました。それらの出版物は郵便で取り寄せることができ,研究の予定表は「ものみの塔」誌に載せられました。進歩した研究生は「国際日曜学校教課」という課程からも益を得,神の言葉の教え手となるよう助けられました。

      支部の代表者は群れを訪問し,講演をし,他の形でも霊的な助けを与えました。しかし,定期的な牧羊や教えることは巡礼者(今で言う旅行する監督)が行ないました。1921年には6人の巡礼者が奉仕しており,わずか2年後にはその数が8人になりました。それらの熱心な働き人は,何百もの市町村で集会を開き,霊的に飢えていた何万もの人に話しました。

      それら巡礼者のうちの二人は,先に述べたイマノイル・キンツァと,オニシム・フィリポーユです。ある時,北部のブコビナ地方で,キンツァ兄弟の話に耳を傾けた人々の中に,多数のアドベンティスト派とバプテスト派がおり,その中のある人たちは真理に好意的にこたえ応じました。後に,二人の兄弟はブカレストで奉仕する割り当てを受け,そこでさらに多くの人が神の言葉の正確な知識に至るよう助けました。一人の男性は感謝の気持ちを込めてこう書いています。「イマノイル兄弟とオニシム兄弟を遣わしてくださったことを神に感謝しております。お二人は,わたしを納得させ,教え導くためにずいぶん骨折ってくださいました。主はこの町で大いなる業を行なわれるでしょう。しかし,それには辛抱が必要です」。

      1920年,兄弟たちは最初の大会を,一つはサラジュ県ブレビで,もう一つはクルジュ県オクナ・デジュルで開きました。どちらの開催地も列車で行くことができ,地元の伝道者や関心のある人が宿舎を提供しました。ルーマニア各地から500人ほどの代表者が出席し,その立派な行状はたいへん優れた証言となりました。

      しかし,王国宣明者が急増する中,反対がなかったわけではありません。実際,第一次世界大戦が始まって以来,兄弟たちは宗教的・政治的な分子からの迫害に面するようになっていました。

  • ルーマニア
    2006 エホバの証人の年鑑
    • [グラフ]

      (出版物を参照)

      伝道者数

      開拓者数

      40,000

      20,000

      1910 1940 1970 2000

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