ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • ルーマニア
    2006 エホバの証人の年鑑
    • バヤ・マーレ,クルジュ・ナポカ,トゥルグ・ムレシュ,オクナ・ムレシュで,兄弟たちは幾つもの大会を開き,大勢のエホバの証人や関心のある人が出席しました。1945年6月に開かれたバヤ・マーレの大会のハイライトは,町から10㌔離れた場所で行なわれたバプテスマでした。ある兄弟の庭で話がなされた後,118人のバプテスマ希望者は庭のわきを流れていたラプシュル川で浸礼を受けました。それは美しい場所での忘れがたいバプテスマでした。

      トゥルグ・ムレシュで兄弟たちは,3,000人を収容できる劇場を借りました。大会の前日,代表者たちが列車や馬車,自転車,徒歩で到着し始めました。中には,すぐさま伝道を始め,ノアの箱船を扱った公開講演に人々を招いた人もいました。講演を宣伝する美しい文字の書かれたプラカードを町じゅうで見た兄弟たちの多くは,喜びの涙を流しました。良いたよりを宣べ伝えるそのような自由を享受することになるとは,思ってもみなかったのです。

      兄弟たちの勤勉な努力は豊かに報われました。出席者があまりに多かったので,あふれた聴衆のために劇場の外に2台の拡声器を据えなければなりませんでした。その結果,近所の多くの人が自宅の窓からプログラムを聞くことができました。市の役人その他の著名人も,エホバの証人をじかに見て話を聞けるよう,招かれました。驚いたことに,それらの人のために用意した席はすべて埋まりました。その人たちは歌にも加わりました。

  • ルーマニア
    2006 エホバの証人の年鑑
    • 最初の全国大会

      1946年9月28日と29日の週末,エホバの証人はルーマニアで初の全国大会を開きました。会場はブカレストのアレネレ・ロマネ(ローマ劇場)でした。ルーマニアの鉄道会社は,特別列車を出すだけでなく,運賃を50%引き下げることにも同意しました。その列車は,国内のかなり遠方から,優に1,000人を超える代表者たちを首都に運びました。代表者の多くはプラカードを持っていて,道中,少なからず人々の好奇心をそそりました。しかし,その旅は平穏無事だったわけではありません。

      僧職者が大会について聞き,列車を止めようとしたのです。大会前日の金曜日,地元の証人たちが午前9時に駅に集まり始めました。あと1時間足らずで兄弟たちを迎えられるものと思っていましたが,午後6時まで辛抱強く待たなければなりませんでした。ようやく列車がホームに滑り込み,兄弟たちが抱擁を交わした時の感動的な光景は,言葉ではとても表わせません。秩序を保つために武装警官がいましたが,何もすることはありませんでした。

      約1万2,000軒の住宅を含むブカレストの大部分は戦争で破壊されていたため,宿舎は限られていました。しかし,兄弟たちは工夫に富んでいました。臨時の“ベッド”を用意するため,山ほどのわらを買い,郊外のベルチェニに住む兄弟の家の芝生に広げました。9月の終わりごろにしては珍しく暖かかったので,家族そろって大会に出席した人々は,子どもたちと星空の下,わらのマットレスの上で心地よい眠りに就くことができました。現在,まさにその場所に新しい魅力的な王国会館が建っています。

      大会の土曜日午前に出席した3,400人は,「ものみの塔」誌が再びルーマニア語とハンガリー語で月2回発行されると聞いて胸を躍らせました。実際その午前中に,最初の号が1,000部,兄弟たちに配られました。しばらくの間,雑誌には四つの研究記事が載せられました。戦時中に得られなかった情報を皆が入手できるようにするためです。

      日曜日の午前は証言活動に当てられ,公開講演を宣伝する伝道者たちの姿があちこちで見られました。プラカードには,つちと剣と金床が描かれており,次のような文が記されていました。「『剣をすきの刃に』― 神がこの言葉を啓示し,二人の預言者がそれを書き記した。では,実践するのはだれか」。伝道者は招待ビラを手渡し,雑誌を提供しました。雑誌は肩ひものついた白い布袋に入れて持ち運び,その袋には「エホバの証人」,「神の王国の宣明者」,または「神権政治の宣明者」という言葉がありました。

      その日の午後,マーティン・マジャロシは公開講演の出だしで次のように述べました。「今日,世界の列強による平和会議がパリで開かれています。わたしたちのこの大会には1万5,000人が出席しています。ここにいるエホバの証人を一人残らず調べても,剣も銃も見つからないでしょう。なぜでしょうか。わたしたちはすでに剣をすきの刃に打ち変えたからです」。戦争の爪痕が至るところに残っている中,この話は力強く,時宜にかなっていました。

      日曜日には,司法長官,内務大臣の秘書,何人かの警察官,また正教会の司祭の一団が出席していました。兄弟たちも役人たちも,司祭が騒ぎを起こすものと思っていました。そう脅していたからです。しかし,プログラムを妨害しようとしたのは一人だけでした。兄弟たちはその司祭が公開講演中に演壇に向かって大またで歩いてゆくのに気づき,司祭を制止し,両腕をしっかりつかんで席に連れ戻しました。「正教会の司祭にここで演説していただく必要はありません。でも,席について耳を傾ける分には大歓迎です」と,兄弟たちは司祭の耳元でささやきました。司祭は二度と妨害しようとはしませんでした。後に,司法長官は,話を楽しんだことや,エホバの証人の秩序正しさに感銘を受けたことを述べました。

      この大会について,ある兄弟は後にこう書きました。「敵のたくらみは完全に失敗し,兄弟たちは喜びにあふれて家路に就きました」。また,兄弟たちは平和と一致の精神を新たにし,励みを得ました。その多くは,戦時中に生じた分裂のために,複雑な思いで大会に来ていたからです。

  • ルーマニア
    2006 エホバの証人の年鑑
    • [102ページの図版]

      1945年のバヤ・マーレの巡回大会

  • ルーマニア
    2006 エホバの証人の年鑑
    • [105ページの図版]

      1946年に開かれた全国大会のポスター

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする