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ルーマニア2006 エホバの証人の年鑑
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同時に,兄弟たちの多くは活動を増し加え,ミハイ・ニストルやバシーレ・サバドゥシュのように開拓奉仕を始めた人もいました。
ミハイはトランシルバニアの北西部と中部で奉仕する割り当てを受けました。共産主義者によって禁令が課された後もそこで開拓奉仕を続け,長い間,敵に追われました。どうやって捕まらないようにしたのでしょうか。ミハイは次のように述べています。「窓を売る人が使っているのとそっくりな袋を作りました。作業着を着て,窓ガラスと道具を持って,自分に割り当てられた奉仕区域の村や町の中心部を歩き回りました。警察官や怪しげな人を見かけた時はいつも,大きな売り声を上げました。他の兄弟たちもいろいろな方法で反対者の目を逃れました。胸の躍る業でしたが,危険も伴いました。わたしたち開拓者だけでなく,下宿させてくれた家族にとっても危険だったのです。それでも,聖書研究生が進歩し,伝道者の数が増えるのを見るのは大きな喜びでした」。
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ルーマニア2006 エホバの証人の年鑑
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[111ページの図版]
ミハイ・ニストル
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