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主の再来をふれ告げる(1870-1914年)エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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「新聞福音伝道」の扉を開く
19世紀の終わりまでに電信網は世界中に張り巡らされていました。電信装置による通信は安く,しかも速かったので,新聞業界に革命を巻き起こしました。ニュースを直ちに遠くの地域に送り,新聞記事として印刷することが可能になったのです。20世紀の初めに,C・T・ラッセルとその仲間たちは,新聞こそ大勢の人々に真理を伝える効果的な方法であると考えました。ラッセルは後に,「新聞は文明世界の日常生活における重要な要素となっている」と言いました。
「ものみの塔」誌(英文),1904年12月1日号は,C・T・ラッセルの訓話が三つの新聞に掲載されていることを発表しました。次の号の「ものみの塔」誌は,「新聞福音伝道」という見出しのもとにこう伝えています。「非常に多くの訓話がそのようにして至る所に散っていった。少なくともその一部は良い結果を得ている。もし主が望まれるのであれば,我々はこの『扉』がずっと開いたままでいること,いやむしろ,さらに大きく開かれるのを見る喜びにあずかることになろう」。「新聞福音伝道」の扉は,実際さらに大きく開かれました。例えば,1913年までに,ラッセルの訓話は2,000種類の新聞によって,1,500万人の読者のもとに達したと見られています。
では,ラッセルは旅行の時も含め,どのように毎週一つの訓話を印刷物に載せることができたのでしょうか。毎週ラッセルは,一つの訓話(新聞2欄ほどの長さ)を新聞の記事配給業者に電送しました。次いでその配給業者は,米国,カナダ,ヨーロッパの新聞社にそれを再電送しました。
ラッセルは,主が新聞伝道の扉を大きく開かれたことを確信していました。20世紀の最初の10年間,ラッセルとその仲間たちがふれ告げた聖書の音信は,そのような新聞訓話によって広く知られるようになりました。「コンティネント」という名の出版物はかつてラッセルについてこう書きました。「新聞に載る彼の記事は,毎週,当代のどんな人の書いた記事よりも多くの読者に読まれているという。北米のすべての司祭や牧師の書いたものを合わせても,彼の記事にはかなわないだろう」。
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主の再来をふれ告げる(1870-1914年)エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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[58ページの図版]
ある年に,C・T・ラッセルの訓話は2,000種類の新聞によって,1,500万人の読者のもとに達したと見られる
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