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    2008 エホバの証人の年鑑
    • 記憶に残る大会

      幾つかの大きな都市で初めて地域大会が開かれるようになりましたが,兄弟たちはそれまで大会の準備を行なった経験が全くありませんでした。1996年,エカテリンブルクで,兄弟たちは地域大会を開くために適当なスタジアムを選びました。ローマン・スキバはその時のことをこう話します。「観覧席には草が生え,スタジアムの中には高さ2㍍ほどの樺の木が立っていました。大会まで残り3週間しかなく,その都市と近郊にあった会衆は三つだけでした。スタジアムの責任者は,そこでどうやって大会を開けるのか理解できませんでしたが,ありがたいことに協力を申し出ました。兄弟たちは作業を開始し,予定の日付までにスタジアムはぴかぴかになりました。責任者は,とても信じられないといった様子でした」。その責任者は感謝の気持ちから,スタジアムの建物の一つで兄弟たちが開拓奉仕学校を開くことを許可しました。一人の兄弟はこう言います。「大会後,スタジアムでは再びスポーツ競技が行なわれるようになり,それは市の収入につながりました」。

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    2008 エホバの証人の年鑑
    • 大会を開くために,柔軟性と忍耐が必要なこともありました。1999年にウラジカフカスで,巡回大会に5,000人の出席が見込まれましたが,兄弟たちはスタジアムを借りることができませんでした。それで,すぐに大会のプログラムを調整する計画を立て始め,結果的に映画館を借り,一日に短縮したプログラムを5回行ないました。その後,週末にはナリチク市で,2㌔ほど離れた二つの会場に分かれ,丸二日間の巡回大会を開きました。話し手が最初の会場からもう一つの会場へと移動するための時間を考えて,片方のホールでは大会が2時間遅く始まりました。旅行する監督の中には,大会が終わる前に声がかれてしまうと思った人もいます。一人の兄弟は,あとで数えてみたところ,その週に35回も話を行なっていました。万事順調でしたが,土曜日の昼前に,片方のホールで突然プログラムが中断させられます。制服を着た男たちが犬を連れてホールに入ってきて,安全上の理由により全員直ちに建物から出るようにと指示したのです。兄弟姉妹たちはいつもと同じように落ち着いてホールを出,建物の外で昼食を取ったり交わったりしました。あとから分かったことですが,ある狂信者が当局に電話をかけ,建物に爆弾を仕掛けたと言ったのです。ホールは捜索されましたが何も見つからなかったので,兄弟たちは大会を続けることを許されました。プログラムに若干の変更が加えられた後,大会は無事に終了し,皆がプログラムから益を得ることができました。

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