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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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スキバ兄弟はこう続けます。「ある時,北極圏内のノリリスクからエカテリンブルクまで行くため,飛行機を一度乗り換えなければなりませんでした。まずノリリスクからノボシビルスクへ飛び,そこからエカテリンブルクに行きました。延々と続くように思えた,忘れ難い旅でした。ノリリスクからの便は12時間遅れて飛び立ったので,妻のリュドミラと私は空港で一日を過ごしました。幸いにも,旅をしながら個人研究をする習慣が身に着きました。
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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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1996年,エカテリンブルクで,兄弟たちは地域大会を開くために適当なスタジアムを選びました。ローマン・スキバはその時のことをこう話します。「観覧席には草が生え,スタジアムの中には高さ2㍍ほどの樺の木が立っていました。大会まで残り3週間しかなく,その都市と近郊にあった会衆は三つだけでした。スタジアムの責任者は,そこでどうやって大会を開けるのか理解できませんでしたが,ありがたいことに協力を申し出ました。兄弟たちは作業を開始し,予定の日付までにスタジアムはぴかぴかになりました。責任者は,とても信じられないといった様子でした」。その責任者は感謝の気持ちから,スタジアムの建物の一つで兄弟たちが開拓奉仕学校を開くことを許可しました。一人の兄弟はこう言います。「大会後,スタジアムでは再びスポーツ競技が行なわれるようになり,それは市の収入につながりました」。
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