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    2012 エホバの証人の年鑑
    • ゴッドフリー・ビントと妻のジェニーは,その時のことをこう語ります。「そのころウガンダで奉仕していたわたしたちは,ケニアの支部事務所から手紙を受け取って驚きました。ルワンダに3週間滞在して大会を取り決めると共に,劇の録音を手配するよう求める内容でした。地元の兄弟たちのもてなしの精神には圧倒されるばかりで,毎日違う家族から食事に招かれました。わたしたちが到着した時には,民営のサッカースタジアムが貸し切られ,準備がかなり進められていました。劇の録音についても,兄弟たちはすでに計画を立てており,使用できる機材が限られている中でも録音は順調でした。国の北部の多くの兄弟たちは旅行のための許可を取得できず,ブルンジやウガンダとの国境も閉鎖されていましたが,日曜日には2,079人が出席し,75人がバプテスマを受けたのです」。

  • ルワンダ
    2012 エホバの証人の年鑑
    • 統治体は時を移さず宣教者たちを割り当てます。それまで中央アフリカ共和国とチャドで奉仕していたヘンク・ファンブッセル,またザイール(現在のコンゴ民主共和国)とウガンダで奉仕したゴッドフリー・ビントと妻のジェニーは,滞在ビザを取得した最初の宣教者です。さらに,宣べ伝える活動を監督する国内委員会が任命されました。

      ビント兄弟は,自分たちがヘンク・ファンブッセルと共に初めてやって来た時のことをこう語ります。「わたしたちはやがて王国会館のすぐそばにふさわしい宣教者ホームを見つけました。キニャルワンダ語の学習にすぐ打ち込みましたが,かなり苦労しました。1970年にやって来た最初の特別開拓者たちもそうだったようです。ある教科書には,『CWという綴りはTCHKW(チャ)と発音する』と記されていたのです。さらに,言語を教えてくれた姉妹に,『イシ・ヌチャ[新しい地]のチャという音は,ほほえむ時の口の形をしないと発音できません』と言われたことも覚えています」。

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