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聖書の3番目の書 ― レビ記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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血を含む犠牲は,(1)焼燔の捧げ物,(2)共与の捧げ物,(3)罪の捧げ物,(4)罪科の捧げ物のいずれかの形でささげられることになっていました。これら四つすべてには次の三つのことが共通しています。すなわち,それをささげる者が自分でそれを会見の天幕の入口に携えて来る,彼は自分の手をその上に置く,こうして後にその動物をほふる。血を振り掛けることを行なった後,その死がいはそれぞれの犠牲の種類にしたがって処理されます。ここで,血を含む犠牲について一つ一つ取り上げましょう。
13-16 (イ)(1)焼燔の捧げ物,(2)共与の犠牲,(3)罪の捧げ物,(4)罪科の捧げ物に関する要求について述べなさい。(ロ)血を含む犠牲に関連して繰り返し禁じられているのはどんなことですか。
13 (1)焼燔の捧げ物としては,ささげる人の資力に応じて,若い雄牛,雄羊,やぎ,もしくはいえばとかやまばとが用いられます。それは幾つかの部分に切り分けられますが,皮を除けば,その全体がそっくり祭壇上で焼かれます。やまばとやいえばとの場合,その頭はひねり取られますが,それを切り離してはなりません。そして,餌袋と羽は取り除かなければなりません。―1:1-17; 6:8-13; 5:8。
14 (2)共与の犠牲としては牛または小動物の雄ないしは雌が用いられます。その脂肪の部分だけが祭壇の上で焼き尽くされ,ある部分は祭司に与えられ,その残りを,ささげた人が食べます。これを共与の犠牲と呼ぶのは適切です。ささげる人はそれによって,いわばエホバやそれを扱う祭司と食事を共にし,共に与る関係を持つからです。―3:1-17; 7:11-36。
15 (3)罪の捧げ物は,故意でない罪もしくは過ちによる罪のために要求されています。ささげられる動物の種類は,祭司,民全体,長,普通の個人など,だれの罪を贖うかによって決まります。各人による自発的な焼燔の捧げ物や共与の捧げ物の場合とは異なって,罪の捧げ物は務めとして課されたものです。―4:1-35; 6:24-30。
16 (4)罪科の捧げ物は,不忠実,欺き,強奪などによる個人的な罪科を贖うために要求されています。ある罪科の場合には,告白と,当人の資力に応じた犠牲とが求められます。他の場合には,損失に見合う補償をし,それにさらに2割を加え,その上で雄羊の犠牲をささげることが求められています。捧げ物のことを述べる,レビ記のこの部分では,血を食べることが繰り返しきっぱりと禁じられています。―5:1-6:7; 7:1-7,26,27; 3:17。
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聖書の3番目の書 ― レビ記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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22 (イ)第16章はなぜ際立っていますか。(ロ)贖罪の日の活動はどんな手順で進められますか。
22 贖罪の日(16:1-34)。これは際立った章です。イスラエルにとって最も大切な日である贖罪の日に関する指示を含んでいるからです。それは第七の月の10日です。それは魂を悩ます(恐らくは,断食によって)日であり,その日には世俗のどんな仕事をすることも許されません。その日は,アロンおよびその家の者たち,すなわちレビの部族の罪のために若い雄牛をささげることで始まり,その後に,残りの国民のためにやぎがささげられます。香をたいた後,それぞれの動物の血の幾らかが幕屋の至聖所の中に別々に携え入れられて,箱の覆いの前に振り掛けられます
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聖書の3番目の書 ― レビ記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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23 (イ)血に関する最も明確な陳述の一つは聖書のどこにありますか。(ロ)他のどんな規定がその後に述べられていますか。
23 血や他の事柄に関する法令(17:1-20:27)。この部分は民のための多くの法令について述べています。血に関しては聖書中に見られる最も明確な陳述の一つをもって再度血の使用が禁じられています。(17:10-14)血を祭壇上で使用することは許されますが,それを食べることは許されません。
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聖書の3番目の書 ― レビ記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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動物の犠牲の血はイエスの血を予表しており,その血は「わたしたちのために永遠の救出を」成し遂げます。(ヘブライ 9:12)
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