-
神聖なものとする,聖化聖書に対する洞察,第1巻
-
-
使徒パウロは,神聖なものとするという語を,神のみ前で罪から浄める,もしくは清めるという意味で使い,こう書きました。「汚れた人たちに振り掛けられた,やぎや雄牛の血また若い雌牛の灰が,肉の清さという点で聖化をもたらすのであれば,まして,永遠の霊により,きずのないすがたで自分を神にささげたキリストの血は,わたしたちの良心を死んだ業から清めて,生ける神に神聖な奉仕をささげられるようにしてくださるのではないでしょうか」― ヘブ 9:13,14。
「キリストの血」は,その完全な人間としての命を表わしており,それこそが,キリストを信じる人の罪のやましさを洗い去ります。したがって,それは実際に(単に予型的にではなく[ヘブ 10:1-4と比較])信じる者の肉を神の観点から浄めて聖化をもたらすので,信じる者は清い良心を抱きます。
-