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「1年もしないうちに死んでしまうよ」2014 エホバの証人の年鑑
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1941年のある日曜日の朝早く,ザキアスはエホバの証人の集会に初めて出席するため,出かけました。険しい山道を8㌔ほど下った所で開かれている集会です。何時に始まるか知らなかったので,数時間早く到着し,兄弟たちが来るのを座って待ちました。王国会館での日曜日の集会に3回出席した後,地元の英国国教会に行き,名簿から除いてほしいと申し出ました。
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1915-1947年 初期の活動(第3部)2014 エホバの証人の年鑑
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公開集会運動
1945年8月29日,フリータウン会衆は奉仕会で,「通知」(現在の「わたしたちの王国宣教」)の1944年12月号で知らされた新しい運動について話し合いました。その知らせによれば,各会衆が区域内の「すべての都市,町,集落」で,一連の4つの公開集会を宣伝して開きます。集会では1時間の講演が行なわれ,話すのは神権宣教学校で割り当てをしっかり果たしている18歳以上の兄弟です。4つの集会の後,地域の関心のある人たちを援助するため,聖書研究を取り決めます。
この新しい指示に奉仕者たちはどう反応したでしょうか。奉仕会のメモにはこんな記録が残っています。
司会者: 「この新しい運動はわたしたちも実施できると思いますか」。
兄弟1: 「アメリカのようにはいかないでしょう。ここの人たちは違います」。
兄弟2: 「わたしもそう思います」。
兄弟3: 「まずやってみませんか」。
兄弟4: 「でも,難しいでしょうね」。
兄弟5: 「いえ,エホバの組織からの指示に従うべきです」。
兄弟6: 「ですが,この国ではきっとうまくいかないですよ」。
姉妹1: 「とは言っても,『通知』の指示ははっきりしています。やってみましょう!」
こうして,兄弟たちはやることにしました。フリータウンの沿岸部から,南東のボー,北部の高原のカバラまで出かけ,学校の教室や市場や個人の家で集会を開いたのです。この活動により,会衆はさらに活気づき,「エホバの言葉は盛んになり,広まって」いきました。―使徒 12:24。
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