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    2008 エホバの証人の年鑑
    • 国内委員会の一員として30年以上奉仕したイワン・パシュコフスキーは,こう回顧します。

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    2008 エホバの証人の年鑑
    • 羊が羊飼いの声を聞く

      国内委員会は,兄弟たちを一致させるために忙しく働きました。当時の状況下で,それは決して容易な仕事ではありませんでした。1962年の夏までに,一つの地域区全体が再び組織と結ばれます。霊的に円熟した兄弟たちが任命され,特別な委員会を構成しました。エホバはそれらの兄弟たちの努力を祝福し,「上からの知恵」をお与えになりました。(ヤコ 3:17)1986年から1995年まで巡回監督として奉仕したアレクセイ・ガブリャクは,こう語ります。「私たちは1965年にウソーリエ・シビルスコエで国内委員会と会いました。委員会の指示により,流刑や投獄や分裂などの理由で散らばってしまった兄弟姉妹をすべて捜し出し,再び会衆と交わるよう促すことになり,手始めに幾人かの住所を渡されました。私の区域には,トムスク州とケメロボ州,またノボクズネツク市とノボシビルスク市が含まれており,他の兄弟たちもそれぞれ違う区域を割り当てられました。私たちの仕事は,会衆や個々の群れを組織し,会衆内で責任を担う兄弟たちを任命して訓練することでした。さらに,禁令下の難しい状況の中で,文書を届けるための経路を確立し,会衆の集会を計画する必要がありました。短期間のうちに,組織との接触を失っていた84人の兄弟姉妹を訪ねることができました。エホバの『羊』が再びりっぱな羊飼いの声を聞き,神の民と共にエホバに仕えるようになったことを,とてもうれしく思いました」。―ヨハ 10:16。

      やがて,離れていた人の多くが再び国内委員会と結び付き,野外奉仕報告を提出するようになりました。1971年までに,4,500人を超える伝道者がエホバの組織と再び結ばれます。1980年代半ばには,依然として禁令下にあったにもかかわらず,宣べ伝える業は引き続き行なわれ,新しい人たちが諸会衆に加わっていました。

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