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世界を驚かせた一致目ざめよ! 1993 | 12月22日
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世界を驚かせた一致
世界は共産主義の倒壊に,そして最近では,とどまるところを知らない民族紛争の増加に衝撃を受けました。しかし同時に,東ヨーロッパの大勢の人々は,人種的また国家的な敵意を超越した,喜びにあふれるあるグループの一致した活動を見て驚きました。そのグループとは,エホバの証人のことです。
エホバの証人は激しい戦争のただ中にあっても,一致した崇拝を首尾よく保ってきました。1991年に,世界各国から来た1万4,684人の証人たちがクロアチアのザグレブに集まったとき,一人の警官はこう言いました。「この競技場,そう,まさにここで起きていることをマスコミに見せたらいいですよ。セルビア人,クロアチア人,スロベニア人,モンテネグロ人その他の人々が,隣同士仲良く座っているんですからね」。
同じ年,シベリアで開かれた大会で一人の記者は,何人ものロシア人が,バプテスマを受けたばかりのブリヤート人を抱き締めている光景を目にしました。そのような異民族間の本当の友情が普通ならばまず見られないことを知っていたその記者は,「こういう民族間の障壁をどうやって克服したのですか」と尋ねました。
今年の夏,東ヨーロッパとアジアではエホバの証人の大会が45か所で開かれ,そのうちモスクワとキエフでは国際大会が開かれました。45の大会に合計36万8,000人が出席しました。旧ソ連では11万2,000人以上,旧ユーゴスラビアでは四つの都市に,合わせて1万1,000人近くが出席しました。
215人ほどの証人たちは,戦闘地域に住んでいたにもかかわらず,セルビアのベオグラードで8月19日から22日まで開かれた大会に出席することができました。その大会には3,241人が出席しました。ある記者は次のように伝えました。「サラエボ周辺の幾つかのグループも出席することができた。貸切りバスで56人がやって来た。ルカビツァ,パレ,イリジャ,ボゴシチャの人たちである。ベンコバツからも5人が出席した。注目すべきもう一つの点は,本大会でバプテスマを受けた174人のうち23人は,そうした危機に見舞われている地域から来た人々だったということだ」。
モスクワとキエフ
1993年7月28日,モスクワで集まったエホバの証人の大きな写真がニューヨーク・タイムズ紙の一面を飾りました。写真の説明文には,「ロシアが宗教を解禁したため,改宗者たちはモスクワのロコモティフ・スタジアムに集まり,エホバの証人として集団バプテスマを受けた」と書かれていました。
同紙は,「涙でほほをぬらした会員たちが,水から上がったばかりの新会員と抱き合う。ロコモティフで普段見られる振る舞いとは対照的に,たばこを吸う人も,ののしりの声を上げる人も,酔っ払いもいない」と伝えています。ロシアと他の30以上の国から集まった証人たちが四日間,心地よい程度にスタジアムを埋め尽くしました。出席者数は最高2万3,743人でした。
ウクライナの首都キエフで開かれたエホバの証人の国際大会はさらに規模が大きく,東ヨーロッパで最大級のレスプブリカンスキ・スタジアムには最高6万4,714人が集まりました。イブニング・キエフ紙は第一面に,「エホバの証人は……『神の教え』と書かれた青いバッジだけによらず,本物の信仰によって一致している」と報じました。
一致はどのように達成されるのか
キエフ大会に出席したウクライナのある老婦人は,こうした一致が可能な理由をうまく示しました。その女性は天を指差して「エホバ」と言い,それから両腕を広げて輪を作り,指を一本立てて見せました。『私たちは皆,エホバ神の教えによって一致し,一つになっているのです』という意味であることは明らかでした。
興味深いことに,ブリタニカ百科事典は旧ソ連内にいるエホバの証人について触れ,彼らが一致している理由を説明して,「彼らは[聖書に基づく]自分たちの教えを知っており,改宗に熱心で,生活全体を自分たちの宗教信条に合わせて形作っている」と述べています。ですから,今年の夏のエホバの証人の大会の「神の教え」という主題は非常に適切でした。
神の教えを擁護されたイエス・キリストは,ご自分の追随者たちに関して,「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」と祈り,一致を促す重要な原則を指摘されました。そうです,エホバの証人が取る中立の立場は,イエスが祈りの中で願い求められたとおりに彼らを一致させるのです。「それは,彼らがみな一つになり,父よ,あなたがわたしと結びついておられ,わたしがあなたと結びついているように,彼らもまたわたしたちと結びついてい(るためです)」。―ヨハネ 17:16-21。
世のものでないことがどのように神の民を一致させるのかを,スペインから来たある代表者の経験が示しています。モスクワ大会に向かう途中,その兄弟はあるアフガニスタン人の隣に座りました。その人の国の内戦では同じ宗教の人々でさえ殺し合っているとのことでした。「あなたの宗教はどの政党を支持しているのですか」との問いに,兄弟は,「どの政党も支持していません」と答えました。エホバの証人は政治に関して中立ですから,ある民族を他の民族と対立させる民族闘争にはかかわりません。
旧ソ連の一共和国からやって来た代表者たちは,戦争の恐ろしさを身をもって経験しました。乗っていた列車が,対立する勢力間の銃撃戦に遭遇したのです。無事にキエフに到着し,スタジアムの中でいろいろな国から来た多数の民族グループの間の愛と一致を経験した彼らはとても幸福でした。
ドイツとロシアから来た大勢の代表者は特に,自分たちが神の教えによって受けた益を感謝しました。一世代前には青年だった彼らは,第二次世界大戦中,互いに相手を殺すことを考えていました。しかしキエフの大会中は,彼らは7ページの写真に見られるとおり,一致して真の崇拝を行ないました。
傍観者たちは驚いた
人口約900万人の都市モスクワでは,以前はエホバの証人を知る機会がほとんどありませんでした。もちろん,彼らが共産主義体制下で迫害されたり投獄されたりしたことを聞いたことのある人は少なくありません。また,今年の夏までにはモスクワに18,キエフに13の会衆が設立され,増え続ける集会出席者の世話をしていました。ところが今回,地元の人々は,バッジを着けた何万人もの代表者たちを大会会場や町の至る所で目にしたのです。多くの人はそれを見て驚きました。
モスクワの消防局局長はこのように述べました。「この大会は非常に感動的です。民族の違うこれほど大勢の人が共通の言語を見いだせるとはすばらしいことです。皆さんの清潔さと秩序正しさには驚きました。私はこのスタジアムで20年間働いてきましたが,このようなことを目にしたのは初めてです」。
一人の添乗員はこのように語りました。「たいていの場合,ご一緒しているグループは空港を出ると早々にまとまりがなくなりますが,エホバの証人の方々はそうではありません」。
モスクワ大会が始まった7月22日の木曜日,近くの大規模な工事現場の一番高い所で働いていた数人の労働者が,しばし手を休めているのが見えました。2万3,000人を超える人々が上げる歌声に感動している様子でした。それが十数か国語で歌われていることを知っていたら,もっと感動したことでしょう。声を出せない聾唖者の証人たちも,手話を使って“歌い”ました。
証人たちが好んで集まった場所はモスクワの赤の広場でした。クレムリンの壁のすぐ外側に広がるその広場で,大会前日の夕方(10時過ぎまで暗くならない)には,いろいろな人種や国籍のエホバの証人が何百人も集まり,抱き合って喜びを表わしていました。モスクワ・タイムズの記者がたまたまそこを通りかかり,興味をそそられ,「どちらの団体の方ですか」と尋ねました。答えを聞くとこの記者は,「こんなに多くの民族の人々が赤の広場で楽しそうに交歓しているのを見たのは初めてです。こんなに大きなグループがここに集まるのは普通,デモか反対運動の時ぐらいです」と言いました。
興奮した様子であいさつを交わし,抱き合い,互いに何とかして自分の気持ちを伝えようとする,バッジを着けた何万人もの代表者を見て,モスクワとキエフの市民は深い感銘を受けました。キエフを訪れていたイラン出身の一人の実業家は,米国から来たある証人に近づき,「何かすばらしいものをお持ちのようですね。私はここ二,三日,皆さんを観察していました。英語で書かれた皆さんの出版物を幾つか読んでみたいと思うのですが」と言いました。そして,明朝イランに戻る必要がなければ大会に行こうと思っている,と述べました。
モスクワでもキエフでも町の至る所で ― 特に,通りや広場や地下鉄の中で ― 大会出席者たちは人々に近づいて聖書のパンフレットやブロシュアーを提供しました。赤の広場のレーニン廟の近くに立って静かに会話をし,パンフレットを配布している証人たちの姿が,毎晩見かけられました。たいていの人はすぐに受け取り,中には温かい微笑を浮かべて受け取ってゆく人も少なくありませんでした。地下鉄の中でパンフレットを手にした人はたいてい即座に読み始めました。一つの車両の中で五,六人が聖書のパンフレットを読んでいるのを見かけることも珍しくありませんでした。
地下鉄の乗客は内容を読んだ後,多くの場合,感謝の言葉を述べました。「これまで,このようなことを学ぶ機会がありませんでした。本当にありがとうございました」と,ある中年の男性はかたことの英語で言いました。また,ある若い男性と母親が,読んだ事柄に非常に感銘を受け,大会の代表者と一緒に地下鉄を降りて話を続けるということもありました。
キエフには,30以上の国から来た,5万人を超えるエホバの証人の代表者が集まり,その全員に宿泊施設を備えなければなりませんでした。ほとんどの人はホテルや個人の家や学校に泊まりましたが,1,800人ほどの人は6隻の船に寝泊まりしました。その中の1隻の船で客室の世話係をしていたある女性は,エホバの証人にあてて次のようなメモを残してゆきました。「皆さんはよその星から来た人たちみたいです。美と調和にあふれていて,祝福をもたらすのです。もしかしたら,皆さんは神様の子供ではないでしょうか。そんなことばかり考えています」。
エホバの証人が大規模な大会を開催し,神の栄光をたたえるそのような優れたクリスチャンの特質と行状を,当局者や他の人々が目にするのは非常にふさわしいことです。共に働いた地元の役人たちは,証人たちの手際の良さ,礼儀正しさ,スタジアムの管理者側や市の関係各課に対して示した優れた協力の精神をただただ称賛するばかりでした。
「このスタジアムがここまできれいに掃除されたのは,実に13年ぶりのことです」とキエフの役人は言いました。市のある警察官は,「何という人たちだ。まるで新しい世界にでもいるかのようだ。皆さんがなぜ迫害されていたのか,どうしても理解できません」と叫びました。
大会のハイライト
モスクワとキエフの証人たちにとって,おもなハイライトは恐らく,エホバの証人の統治体の成員を含め,他の多くの国から何万人もの代表者を迎えたことでしょう。これほど多くの国籍の人々と,平和のうちに一致した崇拝をささげながら一緒にいるだけでも,言葉では言い表わせない喜びです。モスクワとキエフの大会で結びの話の話し手が,わたしたちは大会を成功させてくださったエホバ神に特に感謝しますと述べると,聴衆が立ち上がり,拍手がわき起こったため,話し手は数分間話を中断することになりました。
統治体の成員が毎日英語で行なった話や,様々な国の代表者による短い報告なども大会のハイライトとなりました。これらは英語で話され,多くの言語に同時通訳されました。キエフでは16もの言語に通訳されました。ですから,代表者たちは言語別の指定区画に座って,プログラムの一部を自分の言語で聞くことができました。
さらに,新しいブロシュアー「人生の目的は何ですか」が,ロシア語とウクライナ語で発表されたことも大会のハイライトとなりました。ロシア語で発表された「神権宣教学校案内書」は大変喜ばれました。この本は,エホバの証人が聖書の真理を一層効果的に伝えられるようにするために用いられています。また,聖書の歴史を年代順に記した,特に若者向けの,「わたしの聖書物語の本」もロシア語版が発表されました。この本はすでに,80以上の言語で3,600万冊以上印刷されています。
新たに弟子になる人たちの大規模なバプテスマはまさに大会のハイライトでした。バプテスマを受けた人の中に大勢の若者がいたことが目に留まらないはずはありませんでした。キエフで記者会見が行なわれたとき,オスビタ紙のある記者はこんなことを尋ねました。「皆さんの大会で目に付くのは,若い人たちがかなり大勢いらっしゃることです。親切な美青年たちで,振る舞いも立派です。一体どんな教え方をしておられるのですか。若者を対象にした特別のポリシーでもあるのですか。私は若者と仕事をしていますので,その点を知りたいのですが」。
神への献身は,感情ではなく,知識に基づいたものであるべきですが,実際にバプテスマを受けている様子はやはり,感情に訴える,感動的なシーンです。モスクワでは,聴衆が立ち上がり,1,489名のバプテスマ希望者が三つのバプテスマプールに向かって動き出すと拍手が始まり,全員がバプテスマを受けるまで1時間以上,拍手は鳴りやみませんでした。
6万4,000人以上が出席したキエフでは,六つのバプテスマプールがスタジアムの一角に設置されました。バプテスマを施す人が各プールに6人以上配置され,2分ごとに,かなり大きな会衆が一つできるほどの数の人が浸礼を受けました。それでも,バプテスマは2時間以上続きました。1958年にニューヨークで開かれた「神の御心」国際大会では,7,136人がバプテスマを受けました。しかしキエフでは,ウクライナをはじめとする旧ソ連の共和国から来た7,402人が新たに叙任されたエホバの証人となりました。これはクリスチャンのバプテスマの記録に残る最高数です。しかもこれは,エホバの証人がつい最近まで何十年ものあいだ禁令下に置かれていた地域から来た,ロシア語を話す人々を数えた人数なのです。
ベオグラード大会のハイライトは,戦争で破壊され,包囲攻撃されている地域からの代表者が出席していたことでした。大会の一奉仕者はこう報告しています。「これらの代表者は,大会に出席する特権を与えられたことに対して何度も心からの感謝を表わしました。しかし,本当に励まされたのは,彼らと会って,聖書の真理に対する彼らの愛と熱意を見ることができた私たちのほうでした」。
多くの「神の教え」大会では,昨冬に寄せられた感動的な手紙が読み上げられました。その中の一通は次のようなものでした。「気温はおよそ華氏5度(摂氏マイナス15度)です。妻と二人の息子がいますが,電気はきていませんし,薪も不足しています。……機関銃の音や爆発音も聞こえてきます。それでも,私たちの心の中は暖かく平静です。それは真理のためであり,エホバとの良い関係を保っているためでもあります。……このような恐怖に直面しても私たちが持ちこたえ,忍耐し,堅い信仰を保てるよう助けてほしいと,これからもぜひエホバに祈ってください。私たちも皆さんのことを祈りに含めています」。
どれほどの違いがもたらされるのか
世の中の諸宗教に見られる不一致と比較すると,エホバの証人は明確な対照を成しています。しかし実際に,証人たちはどれほどの違いをもたらせるのでしょうか。何年も前のエホバの証人の大会に関して,ある論説記事はこのように述べていました。「全世界がエホバの証人の[聖書の]教義に従って生きるなら,流血や憎しみは終わり,愛が王として支配するようになる,と言えば十分であろう」。
しかし,人類の大多数は神の教えに従うことを決してしませんでした。西暦1世紀には,神のみ子イエス・キリストに聴き従うことさえ拒否しました。では,いつの日か世界が一致することを期待するのは無理なことなのでしょうか。どうすればそのような世界が可能になるのでしょうか。
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世界を驚かせた一致目ざめよ! 1993 | 12月22日
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旧ソビエト連邦
エストニア(2か所) 4,732 383
ロシア(3か所) 32,582 2,454
ウクライナ(2か所) 69,333 7,797
カザフスタン(1か所) 5,678 604
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