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  • わたしは神に依り頼むことを学びました
    目ざめよ! 2006 | 4月
    • モルドビアの収容所に移される

      1951年12月,健康診断で甲状腺に異常のあることが分かり,そこから約1,500㌔南西,モスクワの南東約400㌔のところにある,モルドビア(モルドバ)の大規模な刑務所複合施設に移されました。女性だけの収容所に入れられ,そこで過ごした数年間に,ウクライナ,ドイツ,ハンガリー,ポーランドから来た証人たちと出会いました。エストニア出身の政治犯であるマイムとも知り合いました。

      マイムはエストニアの刑務所にいた時に女の子を産み,その子は親切な看守のおかげでマイムの母親に育てられていました。マイムはモルドビアの刑務所でわたしたちと聖書を学び,学んだことを受け入れました。母親に手紙を書いたところ,母親も聖書の真理を受け入れ,マイムの幼い娘カリンにもそれを教えました。6年後にマイムは釈放され,娘と一緒に暮らせるようになりました。カリンは成長して,仲間の証人と結婚しました。この二人はこれまで11年間,エストニアのタリンにあるエホバの証人の支部事務所で働いています。

      モルドビアの大規模な複合施設内の収容所には,“檻”と呼ばれるものがありました。厳重に警備されている小さなバラックが,塀で囲まれた収容所の中にあったのです。クリスチャンの活動を行なったかどで,わたしと他の証人たち6人はそこに入れられました。しかしその間も,わたしたちは手書きで「ものみの塔」誌の記事のごく小さな写しを作り,近くの収容所にいる人たちにこっそり届けました。わたしたちが用いた方法の一つは,棒状の石けんをくり抜き,記事を入れてから穴をふさぐというものでした。

      モルドビアの収容所施設で過ごした何年かの間に,神に仕えるよう10人余りの人を援助することができました。1956年5月4日,当局から,「あなたは自由だ。好きなだけあなたの神エホバを信じるがよい」と告げられました。その月のうちに,わたしは故郷のエストニアに戻りました。

  • わたしは神に依り頼むことを学びました
    目ざめよ! 2006 | 4月
    • [24ページの図版]

      9人の証人たちと共に,モルドビアの刑務所にて

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