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スウェーデン1991 エホバの証人の年鑑
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問題は再度持ち上がり,1922年にはラザフォード兄弟自身がスウェーデンに赴くことになりました。
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スウェーデン1991 エホバの証人の年鑑
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同兄弟からの報告を受けたラザフォード兄弟は,1925年春のヨーロッパ旅行にスウェーデンを含めることにしました。エーレブルーでは5月に,スウェーデン,ノルウェー,デンマーク,フィンランドを対象にした大会が開かれ,約500人の出席者が見られました。
変化の時
次いでラザフォード兄弟は,数年前にスイスで設立された中欧事務所に似た新しい事務所として,北欧事務所がデンマークのコペンハーゲンに開設されるという喜ばしい発表を行ないました。この新しい事務所は,当時独立していたバルト諸国 ― エストニア,ラトビア,リトアニア ― を含め,スウェーデン,デンマーク,ノルウェー,フィンランドにおける業を監督することになりました。さらに,「ものみの塔」誌の法律上の編集権も引き継ぐ予定でした。スウェーデン,デンマーク,ノルウェー,フィンランドの各支部は従来どおり機能しますが,その直接的な監督に当たるのは北欧事務所で,ロンドンから来たウィリアム・デイが責任者となりました。その場に集った500人のうち大多数の人々はその発表を熱烈に歓迎しました。
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