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スイスとリヒテンシュタイン1987 エホバの証人の年鑑
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だれが責任の立場に就くのかという疑問です。可能性のあった兄弟は3人いました。それまでチューリヒの事務所の責任者だったC・C・ビンケレ,すでにベルンにいてそこでの業務とフランス語の地域を任せられていたE・ツァオク,そして,文書頒布者の業と伝道の業の世話をしていたヤーコプ・ウェーバーです」。
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スイスとリヒテンシュタイン1987 エホバの証人の年鑑
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中でも,ベテルの奉仕担当係の責任者だったヤーコプ・ウェーバーは警告に感銘を受けなかったようです。油そそがれた人々は皆その年の終わりまでに天で栄光を授けられるとあまりにも強く確信していたため,“解散手続き”を取ろうとしました。注文を受けてもいないのに大量の文書を諸会衆に送り,1925年が終わるまでに区域でそれらを無料で配布するよう指示したのです。
ベテルの兄弟たちはヤーコプ・ウェーバーを説得しようとあらゆる努力を払いましたが,無駄でした。その者はついにベテルを去ったばかりか,真理からも離れ,国中の兄弟たちに大きな悲嘆をもたらしました。自分と一緒に大勢の人を連れていってしまったからです。成員の数がそれまでの半分以下になってしまった会衆も幾つかありました。
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