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スイスとリヒテンシュタイン1987 エホバの証人の年鑑
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ツルヒャー兄弟に有罪の宣告
しかし,軍部による調査の結果,支部の監督のツルヒャー兄弟が起訴されました。軍規を弱体化し,国家に危険な宣伝を禁止する法令に違反したという偽りの告訴を受けたのです。2年が経過してようやく,1942年11月23日および24日に裁判が行なわれました。軍の検察官の弁論は激しい勢いで降ってくる雹のようでした。検察官はツルヒャー兄弟のことを,厳重に閉じ込めておくべき種類の最も悪質な扇動者と呼び,「光」と題する本の第2巻の171ページから174ページ(日本語版では199ページから204ページ)を引用しました。そこには,王や軍の指揮官や強い者など,サタンの組織を構成している者たちの大規模な殺戮が行なわれる間,残りの者たちは安全な場所から見守っているということが書かれています。告訴の一つが軍規を弱体化しているということでしたから,そのような宣言がなぜ検察官の怒りを引き起こしたかは明白でした。検察官はこう叫びました。「これは徴兵からの巧みな言い逃れであり,軍事に対するきわめて臆病な態度であります。スイス軍に対する彼らの態度はここから分かるのです」。
人々から非常に尊敬されていた政治通で,全国協議会の議員でもあった,被告側の弁護士ヨハネス・フーバー氏は,これまで40年間弁護士をしてきたが,このように全くの偏見に満ちる雰囲気の中で事件を扱ったことはいまだかつてないと述べました。同氏によれば,その裁判は実際には被告個人に対するものではなく,エホバの証人全体に対するものであり,エホバの証人を沈黙させようとして開かれたものでした。フーバー氏は弁論の結びに,こう述べました。「したがって,これは単に,私が弁護依頼人から委任された事柄を果たすという問題ではありません。非常に誤解され,敵意に満ちた不当な処置を受けているこれらの人たちを,見解の相違こそあれ,弁護するのは私の義務であると思います。それゆえ,本法廷に無罪の宣告をお願いする次第であります」。それにもかかわらず,ツルヒャー兄弟は懲役2年の刑および市民権の一部剥奪を宣告されました。
フーバー弁護士は控訴記録上訴裁判所に上訴しました。1943年4月16日に最終的な判決が下り,執行猶予付きの,懲役1年,5年間にわたる市民権一部剥奪という有罪判決に変わりました。そのころの一般的な状況からすれば,それはたいへん軽い刑でした。
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スイスとリヒテンシュタイン1987 エホバの証人の年鑑
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[159ページの図版]
1940年から1953年にかけて支部の監督を務めたフランツ・ツルヒャー
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