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スイスとリヒテンシュタイン1987 エホバの証人の年鑑
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責任者はコンラド・ビンケレです。一緒に働いていた人の中にマックス・フレシェルがいます。この兄弟は後にブルックリンの本部で奉仕し,愛するマックスウェル・フレンドとして知られるようになりました。
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スイスとリヒテンシュタイン1987 エホバの証人の年鑑
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だれが責任の立場に就くのかという疑問です。可能性のあった兄弟は3人いました。それまでチューリヒの事務所の責任者だったC・C・ビンケレ,すでにベルンにいてそこでの業務とフランス語の地域を任せられていたE・ツァオク,そして,文書頒布者の業と伝道の業の世話をしていたヤーコプ・ウェーバーです」。
その兄弟たちは主として,真の崇拝の関心事を促進することに関心を持っていたでしょうか。それとも,個人の誇りや地位に対する関心のため,謙遜に仕えることができなくなるでしょうか。ビック兄弟によると,「当時は緊張した空気がみなぎっていました。しかし,会長は状況を十分理解していました」。ビンケレ兄弟は健康が衰えていたので,治療のために米国へ戻ることが提案され,その代わりに,ツァオク兄弟が監督をするよう任命されました。しかし,時たつうちに,ビンケレもツァオクも真の崇拝を捨てました。
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