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スイスとリヒテンシュタイン1987 エホバの証人の年鑑
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驚くべき急速な発展
スイス人の伝道者にとって,イタリア人の間で見られた速い反応と急速な発展は驚異でした。何年にもわたってのろのろと進む,スイス人との研究に慣れていたのが,イタリア人の場合はそうでなかったからです。イタリア人は聖書の教えの要点を理解すると早速それを実行しました。1度招待するだけで集会にやって来て,しかも一人で来ることはめったにありません。親族や友人を連れて来るのです。近所の人からどう思われるかということを気にするところがありません。家族の反対を克服しなければならなかった人がいなかったわけではありませんが,故郷から離れていたことやスイス人から幾分孤立していたことが大いに幸いして,彼らの感受性に富む心にまかれた王国の種は急速に成長しました。
アルトゥーロ・レベリスによれば,同兄弟が1960年代の初めにイタリア語を話す人々のための巡回奉仕を始めた当時,訪問地になっていたのはイタリア語の九つの会衆と多くの小さな群れでした。レベリス兄弟は,「間もなく,全国各地でイタリア語の会衆が雨後の竹の子のように次から次へと設立されました。つまり,ドイツ語を話す地域やフランス語を話す地域でも,イタリア人で関心を示す人々の世話をするためにイタリア語の会衆が組織されたのです」と語っています。やがて,イタリア語の巡回区が五つ組織されました。巡回大会には大勢の人が出席したのでイタリア人を対象とする業はなお一層活発になりました。
長老たちの立派な特質
イタリア人は家族のきずなの極めて強い人々です。そのことは子供を非常にかわいがることによく表われています。しかし,イタリア人は老いていく親を深く敬う人たちでもあり,普通,親の世話をよく行ないます。そのような優しい心根は,彼らがクリスチャンの大きな家族,すなわち会衆で良い長老になる点で一役買っているようです。長老たちの,親切で思いやり深く,しかも毅然とした態度はイタリア語の畑における拡大にどれほど貢献したか知れません。
彼らは,家族全員を定期的に集会に連れて来て,ヘブライ 10章25節と申命記 31章12節の助言に従うことにより,良い手本を示しています。その良い習慣は新しく交わりはじめた人々にも伝染し,その人たちも子供を連れて来ます。王国会館で教えられていることがまだ理解できない幼い子供たちがそわそわしたり泣いたりする場合が時折あるかもしれません。しかし,その子供たちを家に置いて来るより王国会館に連れて来るほうが勝っています。そのうちに子供たちは学んで,分別がつくようになります。
王国会館が満員になって,会館内が不快なほど暑くなることはよくあるものですが,イタリア人の兄弟たちは,問題の解決策が見つかるまで辛抱強く忍耐します。フランス語やドイツ語の会衆の中には,自分たちのためではなく,同じ会館を使用しているイタリア語の会衆のために,もっと広い会館を探さなければならなかった会衆も少なくありません。
ヌーシャテルの会衆の場合はその典型的な例です。この町にはフランス語の会衆とドイツ語の会衆がそれぞれ一つずつありました。のちに,イタリア語の会衆とスペイン語の会衆もできました。次いで,スイスで最初のポルトガル語の会衆も設立されました。このような,外国語の畑の増加のために,兄弟たちはさらにふさわしい集会場所を探さなければなりませんでした。それで,あるビルの一つの階をそっくり購入し,それを仕切って二つの王国会館にしました。そこは現在,五つの会衆が共同で使用しています。
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スイスとリヒテンシュタイン1987 エホバの証人の年鑑
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スペイン語の会衆がさらに幾つか組織され,1972年以降スペイン語の巡回区が設けられています。最初の巡回大会の出席者はわずか185人でしたが,その後巡回区の会衆の数は16に増え,伝道者もほぼ1,200人になりました。
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