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    1987 エホバの証人の年鑑
    • 1924年には10人の職員がそこで働いていました。責任者はコンラド・ビンケレです。一緒に働いていた人の中にマックス・フレシェルがいます。この兄弟は後にブルックリンの本部で奉仕し,愛するマックスウェル・フレンドとして知られるようになりました。

  • スイスとリヒテンシュタイン
    1987 エホバの証人の年鑑
    • だれが責任の立場に就くのかという疑問です。可能性のあった兄弟は3人いました。それまでチューリヒの事務所の責任者だったC・C・ビンケレ,すでにベルンにいてそこでの業務とフランス語の地域を任せられていたE・ツァオク,そして,文書頒布者の業と伝道の業の世話をしていたヤーコプ・ウェーバーです」。

      その兄弟たちは主として,真の崇拝の関心事を促進することに関心を持っていたでしょうか。それとも,個人の誇りや地位に対する関心のため,謙遜に仕えることができなくなるでしょうか。ビック兄弟によると,「当時は緊張した空気がみなぎっていました。しかし,会長は状況を十分理解していました」。ビンケレ兄弟は健康が衰えていたので,治療のために米国へ戻ることが提案され,その代わりに,ツァオク兄弟が監督をするよう任命されました。しかし,時たつうちに,ビンケレもツァオクも真の崇拝を捨てました。

      1925年の1年間にわたる重大な試練

      ベルンに新しいベテル・ホームと工場が備えられ,1925年の滑り出しはたいへん好調でした。兄弟たちは幸福で,業をどんどん推し進めるよう励まされました。しかし中には,1925年に関して自分なりの確信を抱いている人たちがいました。その人たちは「ものみの塔」誌,1925年1月1日号の訓戒を受け入れるでしょうか。同誌はこう警告していました。

      「1925年になりました。クリスチャンは大きな期待を抱いてこの年を待ち望んできました。キリストの体の一部となっている人々は全員この年の間に天の栄光ある様に変えられるということを確信を持って期待してきた人は少なくありません。それは成就するかもしれませんし,成就しないかもしれません。時が来れば,神はご自分の民に関するお目的を成就されるでしょう。クリスチャンは,今年生じるかもしれない事柄に拘泥するあまり,主が自分たちに行なわせようとしておられることを喜んで行なうことができないようであってはなりません」。

      中でも,ベテルの奉仕担当係の責任者だったヤーコプ・ウェーバーは警告に感銘を受けなかったようです。油そそがれた人々は皆その年の終わりまでに天で栄光を授けられるとあまりにも強く確信していたため,“解散手続き”を取ろうとしました。注文を受けてもいないのに大量の文書を諸会衆に送り,1925年が終わるまでに区域でそれらを無料で配布するよう指示したのです。

      ベテルの兄弟たちはヤーコプ・ウェーバーを説得しようとあらゆる努力を払いましたが,無駄でした。その者はついにベテルを去ったばかりか,真理からも離れ,国中の兄弟たちに大きな悲嘆をもたらしました。自分と一緒に大勢の人を連れていってしまったからです。成員の数がそれまでの半分以下になってしまった会衆も幾つかありました。

      ベテル家族内の別の悲しむべき状態も明るみに出ました。不道徳な行為を犯した者たちがいたのです。会長事務所により直ちに処置が取られました。次いで,1926年2月にブルックリンからマーチン・ハーベック兄弟が到着し,ベルンの事務所の監督を引き継ぎました。

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