-
ケニアとその近隣諸国1992 エホバの証人の年鑑
-
-
王国の証言の業に大きく貢献したもう一人の兄弟は,1922年に生まれ,1935年にムベヤで真理を学んだデービッド・キペンゲレです。この兄弟は至る所で宣べ伝え,後にダルエスサラームでの業を始めるために遣わされました。彼は1983年に亡くなるまさにその時まで18年間正規開拓奉仕を続けました。たびたび逮捕されましたが,落胆してしまうことはなく,「私が成し遂げるようエホバが望んでおられる業が刑務所の中にはたくさんある」と言っていました。彼と一緒に真理を学んだ実の兄弟バーナバス・ムワカハバラは,今日に至るまで長老として奉仕しています。
-
-
ケニアとその近隣諸国1992 エホバの証人の年鑑
-
-
こうして1948年に北ローデシアの支部事務所は兄弟たちを援助するためにトムソン・カンガレを遣わしました。その年の3月にムベヤに到着した時,教えたり再調整を施したりする余地がたくさんありました。
カンガレ兄弟は辛抱強い教え手でしたし,兄弟たちは必要な調整をすぐに行ないました。その一つとして自分たちのことを,もはやものみの塔の人とではなく,エホバの証人と名乗ることを学びました。彼らはエホバの証人という名前を以前から知っており受け入れていましたが,それを公に宣伝していませんでした。また,兄弟たちはペテロ第一 3章15節の助言にしたがって,王国の音信を提供する際にもっと巧みになることも学びました。それで単に偽りの宗教の教えを攻撃する代わりに,良いたよりを強調しました。さらに野外宣教に費やした時間を報告する正しい方法についての誤解は正されました。それに加えて兄弟たちは自分の家の外観をきれいにしましたし,自分の外見もきれいにしました。もじゃもじゃのあごひげを剃った人もいました。
集会では,より秩序正しく,効果的なプログラムについて行くこと,宗教的な鐘の使用などバビロン的な宗教の名残を取り除くことを学びました。神権宣教学校では,筆記の復習で良い点を取った人の名前を発表しないことの価値を理解することができました。あるエホバの証人たちは死者を敬うことに関係のある特定の習慣を捨てる必要がありました。別の人にとってそれは喫煙の習慣をやめる時となりました。でも,多分最も大きな問題となったのは,結婚を法的に登録し,すべての人の前で誉れあるものとすることでした。―ヘブライ 13:4。
-