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タイ1991 エホバの証人の年鑑
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外国人の開拓者がさらに加わる
その後,フランクはマラヤに向かう旅の途上で,背の高い快活なドイツ人の開拓者に会いました。それは,当時ドイツの一部だった東プロイセンのケーニヒスベルクから来たビリー・ウングラウベでした。熱心で進取の気象に富んだ開拓者のビリーは,フランス,アルジェリア,スペイン,コルシカ島を含む数か国ですでに伝道を行なっていました。1936年にスイスのルツェルンで開かれた大会において,当時のものみの塔協会の会長ジョセフ・F・ラザフォードは,スペインで燃え盛る内戦を考慮して,ビリーと彼のパートナーのクルト・グルーバーがどこか別の場所で伝道したほうがよいという提案を行ないました。二人は開拓者が必要とされる場所を知るために「年鑑」を調べ,シンガポールとマラヤ,それにタイを選びました。それで,フランク・デュワーが1937年の初めにタイに戻った時には,ビリー・ウングラウベも一緒でした。
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タイ1991 エホバの証人の年鑑
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[193ページの図版]
ビリー・ウングラウベ(上)とクルト・グルーバーは1930年代末に国内の北部で宣べ伝えた
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