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解放の神学,聖書,そしてあなた目ざめよ! 1987 | 11月8日
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キリスト教世界の宗派の大半は,世から離れているための努力を少しもしていません。そのことについては恐らく新聞などでお読みになったことがあるでしょう。アメリカ,アジア,ヨーロッパ,アフリカなど,どこを見てもそれにまつわる話は同じです。政治の舞台にはほとんどすべての宗派の僧職者がいます。しかし,世の政治への介入は神の言葉に反する事柄の一つにすぎません。
暴力は正当なものとなるか
解放の神学論者たちは,暴力は貧しい人たちを助けるために行使されるのなら正当化される,と言います。今ではバチカンも,暴力は「最後の手段」として行使できると述べています。法王ヨハネ・パウロ2世は,ブラジルの司教全員にあてた書簡の中で,「解放の神学は,時宜にかなっているのみならず,中南米諸国にとって,有用かつ必要なものである」と言明しました。
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解放の神学,聖書,そしてあなた目ざめよ! 1987 | 11月8日
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では,キリスト教世界の僧職者はどのように今日の暴力行為を正当化するのでしょうか。
神の言葉は三番目
解放の神学論者のグスタボ・グティエレスが「目ざめよ!」誌に語ったところによると,解放の神学のような教えは『クリスチャンの共同体がそれを認め,受け入れること』によって生まれます。そうです,人気のある意見や人間の知恵のほうが神の言葉よりも優先されています。
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