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    聖書に対する洞察,第2巻
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      テサロニケ人への第一の手紙の際立った点

      比較的新しい会衆に対する励ましと諭し

      暴動が起こったためにテサロニケを去ったパウロにより,その数か月後,西暦50年ごろに書かれた

      会衆に対する称賛の言葉(1:1-10)

      パウロはテサロニケの人々の忠実な働きと忍耐を温かくほめる

      テサロニケの人々は,患難のもとでも神の霊が生み出す喜びをもってみ言葉を受け入れた点で他の信者の模範となっている

      彼らがどのように偶像礼拝を捨て,それから転じて,生ける神に奴隷として仕え,イエスを待つようになったかということは,あらゆる場所で語り伝えられている

      テサロニケの人々の中でのパウロの模範(2:1-12)

      パウロはフィリピで横柄な仕打ちを受けた後,神からの力を得てテサロニケの人々に大胆に伝道した

      パウロはへつらい,強欲,栄光を求めることを退けた

      パウロは兄弟たちの重荷となることを退け,むしろ,乳をふくませる母親がするように物柔らかに彼らを扱い,愛ある父親のように彼らに説き勧めた

      迫害に遭っても確固たる態度を保つようにとの励まし(2:13–3:13)

      テサロニケの兄弟たちは,自分たちにふれ告げられた音信を神の言葉として受け入れた後,同国人から迫害された。同様の事態がユダヤでも生じ,クリスチャンたちはユダヤ人の手によって苦しめられている

      パウロはテサロニケの人々に会うことを大いに願ってきた。彼らに関する知らせがないことに耐えられなくなった時,パウロはテモテを遣わした。テモテは彼らの霊的な状態に関する良いたよりを携えてちょうど今戻って来た

      パウロは彼らが引き続き成長することを祈り求める

      態度と振る舞いに関する訓戒(4:1–5:28)

      神を喜ばせる道を,より十分に歩みなさい。淫行を避けなさい

      より深く兄弟たちを愛しなさい。手ずから働いて,自分が適正に歩んでいることが外部の人々にも分かるようにしなさい

      キリストの臨在の時には,すでに死んでいる,霊によって生み出された信者が最初によみがえらされてキリストと結ばれ,その後,まだ生き残っている者たちがキリストおよび復活した者たちと一緒になる。この希望をもって互いに慰め合いなさい

      エホバの日は盗人のように来る。人々が「平和だ,安全だ」と言う時,突然の滅びが臨む。その点を考慮し,信仰と愛を胸当てとして,また救いの希望をかぶととして身を守り,霊的に目ざめ続けていなさい

      会衆の主宰の任に当たっている人たちを十分に重んじなさい。平和な態度を保ち,良いことを追い求め,常に喜び,感謝をささげ,すべてのことを確かめ,りっぱな事柄をしっかり守り,悪を避けなさい

  • テサロニケ人への手紙
    聖書に対する洞察,第2巻
    • テサロニケ人への手紙

      (テサロニケじんへのてがみ)(Thessalonians,Letters to the)

      クリスチャン・ギリシャ語聖書中に収められている霊感による2通の手紙で,使徒パウロが書いた最初の手紙と思われるもの。パウロは自分がそれらの手紙を書いたことを明示しています。(テサ一 1:1; 2:18; テサ二 1:1; 3:17)これらの手紙が書かれた時,シルワノ(シラス)とテモテがパウロと共にいました。(テサ一 1:1; テサ二 1:1)このことから,この2通の手紙はコリントから書き送られたと考えられます。これら3人の男子がパウロの第2回宣教旅行の際コリントに滞在した後,再び一緒に働いたという記録はないからです。(使徒 18:5)コリントにおける同使徒の18か月にわたる活動は西暦50年の秋に始まったと考えられるので,テサロニケ人にあてた第一の手紙が書かれたのは,ほぼその時期であったと言えるでしょう。(使徒 18:11。「年代計算,年代学,年代記述」[その後の使徒時代]を参照。)第二の手紙はその後ほどなくして,恐らくは西暦51年ごろに書かれたに違いありません。

      西暦2,3,4世紀のどんな顕著な目録においても,これら2通の手紙が正典として挙げられています。それらの手紙は,どんなときでも立派な行状を保つよう神の僕たちに訓戒を与える面で,聖書の他の部分と十分に調和しています。これらの手紙の中では祈りに強調が置かれている点も注目に値します。パウロは仲間の働き人と共に,常に祈りの中でテサロニケの人々を思い出しました。(テサ一 1:2; 2:13; テサ二 1:3,11; 2:13)また同使徒は,「絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい」(テサ一 5:17,18),「兄弟たち,わたしたちのために引き続き祈ってください」と彼らを励ましました。―テサ一 5:25; テサ二 3:1。

      テサロニケ第一の手紙の背景 テサロニケ第一の手紙のあて先となった会衆は,事実上その当初から迫害を経験しました。パウロはテサロニケに着いた後,三つの安息日にわたってその地の会堂で宣べ伝えました。かなりの数の人々が信者になり,会衆が設立されました。ところが,狂信的なユダヤ人が暴動を引き起こします。ヤソンの家にパウロとシラスがいなかったので,暴徒はヤソンと他の幾人かの兄弟たちを市の支配者たちの前に引きずり出し,彼らを扇動のかどで告発します。ヤソンと他の人々は「十分の保証」を与えてやっと釈放されます。このことがあって兄弟たちは夜にパウロとシラスをベレアに送り出します。それは恐らく会衆のためであり,これら二人の男子の安全のためでもあったようです。―使徒 17:1-10。

      その後も会衆は,途切れることのない迫害に加えて(テサ一 2:14),会衆の成員(たち)と死別するという深い悲しみを経験したようです。(4:13)この新しい会衆に加えられていた圧力について知り,その圧力の影響を深く懸念したパウロは,テサロニケの人々を慰めて強めるためにテモテを派遣します。使徒パウロはそれよりも前に彼らに対する訪問を二度試みましたが,『サタンが彼の進路をさえぎりました』。―2:17–3:3。

      パウロは,テサロニケの人々の忠実さと愛に関する励みとなる報告をテモテから受け取って歓びます。(テサ一 3:6-10)しかし彼らは,肉の弱さに抵抗するためのさらに多くの励ましと訓戒を必要としていました。そのような理由で,パウロはテサロニケ人の忠実な忍耐をほめ(1:2-10; 2:14; 3:6-10),復活の希望で彼らを慰める(4:13-18)ことに加え,神に是認される道に従い続け,しかも一層十分にそうすることを彼らに説き勧めました。(4:1,2)同使徒はとりわけ,淫行を避け(4:3-8),より十分に愛し合い,手ずから働き(4:9-12),霊的に目ざめ続け(5:6-10),彼らの間で骨折って働く人たちに対する敬意を持ち,「無秩序な者を訓戒し,憂いに沈んだ魂に慰めのことばをかけ,弱い者を支え,すべての人に対して辛抱強くあり」,「あらゆる形の悪を避け(る)」(5:11-22)ように諭しました。

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