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この危機の時代に役立つ教えものみの塔 1994 | 4月15日
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この危機の時代に役立つ教え
「このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。……邪悪な者とかたりを働く者とはいよいよ悪に進み,惑わしたり惑わされたりするでしょう」― テモテ第二 3:1,13。
1,2 わたしたちは自分がどんな教えに従っているかに関心を抱くべきですが,それはなぜですか。
それはあなたを助けていますか。それとも傷つけていますか。それはあなたの問題を解決していますか。それとも悪化させていますか。何のことを言っているのでしょうか。あなたが教えられている事柄のことです。確かに,教えられる事柄は,善きにつけ悪しきにつけ,あなたの生活に大きな影響を及ぼします。
2 最近,3人の准教授がこの問題を研究し,「科学的宗教研究ジャーナル」という雑誌に結果を発表しました。もちろん,あなたやあなたの家族がその研究の対象になったわけではありません。しかしそれら研究者たちは,この危機の時代にうまく対処できるかできないかの違いと,教えられる事柄との間には明確な関連がある,ということを発見しました。この発見については,次の記事でまた取り上げられます。
3,4 今は危機の時代である,と言えるどんな証拠がありますか。その二,三の例を挙げてください。
3 ではまず,あなたも今が対処しにくい時代だと思われますか,という質問を考えてみましょう。そうすれば,確かにあなたも,証拠からして今が「対処しにくい危機の時代」であることがお分かりになるでしょう。(テモテ第二 3:1-5)人々が受けている影響は様々です。例えば,ある地域では政治上の支配権をめぐる内紛のために今も分裂が生じていることをご存じでしょう。宗教あるいは民族の違いから殺し合いが起きている地域もあります。傷つくのは兵士だけではありません。虐待された無数の女性や少女たち,また食糧や燃料や家を奪われたお年寄りのことを考えてみてください。数えきれないほどの人々がひどく苦しんでいます。そのため,難民の数が爆発的に増大しており,それに関連して多くの悲惨な状態が生じています。
4 現代では,経済的な問題も顕著になっています。その結果,工場は閉鎖され,失業が増え,給付金や年金は受けられなくなり,通貨の価値は下がり,食事の量や回数を減らさなければならなくなっています。さらに問題を挙げることができますか。多分,できるでしょう。そのほかに,世界中には食糧不足や病気で苦しんでいる人が大勢います。きっとあなたは,東アフリカのやせ細った男女子供を写した,ぞっとするような写真を目にしたことがあるでしょう。アジアにも,同じように苦しんでいる人が大勢います。
5,6 病気も今の危機の時代の抗し難い面の一つである,と言えるのはなぜですか。
5 増え続ける恐ろしい病気についても,だれもが耳にしています。ニューヨーク・タイムズ紙は,1993年1月25日付の紙上でこう述べました。「相手構わぬ性関係,偽善,予防措置の不徹底などが重なり,中南米でのエイズのまん延は米国をしのぐほどになっている。……増加の大きな原因は,女性……の間の感染率の上昇にある」。1992年の10月,US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌はこう述べました。「米国公衆衛生局長官が『感染症の心配のない』時代の到来を宣言し,それを公衆衛生史上屈指の勝利としてたたえたのは,今からわずか20年前のことである」。現在はどうでしょうか。「病院は,撲滅されたはずの疫病の犠牲者で再びあふれている。……病原菌がこれまでになく賢い遺伝的戦術を展開しているため,新しい抗生物質の開発が追いつかない。……『我々は感染症に関して新しい時代に入ろうとしている』」。
6 一例として,ニューズウィーク誌(英文),1993年1月11日号はこう報じています。「現在では,1年間に推定2億7,000万人がマラリアに感染している。死者は200万人……に達し,少なくとも1億人が発病している。……同時に,病原体は従来の薬に対する耐性を強めている。……ある種のマラリアは間もなく,治療不能となるだろう」。ぞっとするようなニュースです。
7 今日,多くの人はこの難しい時代に対してどのように反応していますか。
7 あなたも,この対処しにくい危機の時代に多くの人が自分の問題を解決するための助けを探していることに気づいておられるでしょう。例えば,ストレスや新たな病気に対処する方法を扱った本を調べる人々がいます。崩壊寸前の結婚生活,子育て,アルコールや麻薬の問題などに関するアドバイスや,仕事の忙しさと家庭で感じる圧力との間でバランスを保つ方法についてのアドバイスを必死に求める人々もいます。そうです,人々は本当に助けを必要としています。あなたは個人的な問題と闘ったり,戦争や飢きんや災害のために困難を経験したりしておられるでしょうか。差し迫った問題が解決不可能に思えるとしても,『なぜこんな危機的な状態に陥ってしまったのだろう』という質問をしてみるだけの理由はあります。
8 わたしたちは洞察や導きを聖書に求めるべきですが,それはなぜですか。
8 効果的に対処して現在と将来の生活に満足を見いだすには,まずわたしたちがこれほど危機的な時代に直面している理由を知る必要があります。端的に言って,わたしたちが聖書を考察するのはそのためなのです。なぜ,聖書に注意を向けるのでしょうか。なぜなら,正確な預言は聖書にしか記録されていないからです。預言とは,前もって書かれた歴史であり,わたしたちがなぜ窮状に陥っているのか,今はどんな時代なのか,将来はどうなるのかなどについて教えてくれます。
歴史からの教訓
9,10 マタイ 24章のイエスの預言は,1世紀にどのように成就しましたか。
9 「ものみの塔」誌,1994年2月15日号には,マタイ 24章でイエスが語られた鮮明な預言についての注目に値する説明が載せられました。聖書のその章を開いてみれば,3節でイエスの使徒たちが,将来のイエスの臨在と事物の体制の終結のしるしについて尋ねているのが分かります。次いで,5節から14節でイエスは,偽キリスト,戦争,食糧不足,クリスチャンに対する迫害,不法,神の王国についての広範な伝道活動などを予告しておられます。
10 歴史によると,それらの事柄はユダヤ人の事物の体制の終結の期間に実際に生じました。もしあなたが当時生きていたとすれば,困難な時代を経験されたに違いありません。しかし物事は,エルサレムとユダヤ人の体制に臨む空前の患難という頂点に向かって動いていました。15節以降では,ローマ人が西暦66年にエルサレムを攻撃した後の事態の展開が予告されています。そうした出来事は,イエスが21節で述べられた患難,つまり西暦70年のエルサレムの滅びで頂点に達しました。それはその都市に臨んだ最悪の患難でした。もちろん,歴史がそこで終わらなかったことは言うまでもありません。イエスもそこで歴史が終わるとは言われませんでした。23節から28節を見ると,西暦70年の患難に続いて他の出来事が起きる,とイエスは述べておられます。
11 マタイ 24章の1世紀における成就は,どんな点で今日と関連がありますか。
11 今日,そうした過去の事柄を,『だからどうしたというのですか』という一言で片づけようとする人もいるかもしれません。しかし,そうするのは賢明なことではありません。1世紀当時の預言の成就は,極めて重要な意味を持っています。なぜでしょうか。そうです,ユダヤ人の体制の終結の期間に起きた戦争,飢きん,地震,疫病,迫害などは,「諸国民の定められた時」が終わる1914年以降,さらに大きな規模で再び起きることになっていたからです。(ルカ 21:24)今生きている多くの人は,この現代の成就が始まった時,第一次世界大戦の目撃証人でした。しかし,1914年以降に生まれた方も,イエスの預言が成就しているのを目撃してこられました。この20世紀の出来事は,今わたしたちがこの現在の邪悪な体制の終結の期間に住んでいることの歴然とした証拠です。
12 イエスによれば,わたしたちは今後さらに何を見ることを予期できますか。
12 これは,わたしたちの前途にマタイ 24章29節の「患難」が控えていることを意味します。その時には,想像を絶するような天界の現象が生じるでしょう。30節には,そのとき人々がもう一つのしるし,つまり滅びが差し迫っていることを示すしるしを見る,と記されています。並行記述のルカ 21章25節から28節によると,将来のそのとき『人々は,地に臨もうとする事柄への恐れと予想から気を失います』。さらにルカの記述によれば,そのときクリスチャンは救出が非常に近づいているゆえに頭を上げます。
13 かぎとなるどんな二つの要点は注目に値しますか。
13 『まあ,それはそれでいいでしょう。しかし問題となっているのは,この難しい時代をどのように理解し,どのように対処するかということだと思うのですが』と,あなたは言われるかもしれません。確かにそのとおりです。ここで考慮する一つ目の要点は,重大な問題を見極め,それを避ける方法を理解することです。それに関連して二つ目の要点は,より良い生活を現在送るために聖書の教えがどのように役立つかということです。この点について,ご自分の聖書のテモテ第二 3章を開いてください。そして,この困難な時代に対処するのに使徒パウロの言葉がいかに役立つか,考えてみてください。
現代に関する預言
14 わたしたちにとってテモテ第二 3章1-5節を考察することは有益である,と考えるのはもっともなことです。なぜですか。
14 神からの霊感を受けたパウロは,忠節なクリスチャン,テモテに多くの優れた助言を書き送りました。その助言は,テモテがより充実した,幸福な生活を送るのに役立ちました。パウロの言葉の中には,おもに今の時代に当てはまる部分があります。よくご存じの聖句だと思いますが,テモテ第二 3章1節から5節の預言の言葉をここで注意深く読んでみましょう。パウロはこう述べています。「このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,片意地な者,誇りのために思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです」。
15 テモテ第二 3章1節は今のわたしたちにとって特別な関心を引く聖句であるはずです。なぜですか。
15 全部で19の点が挙げられていることに注目してください。これらの点を調べて益を受ける前に,まず全体像をつかむことにしましょう。1節を見てください。パウロは,「終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます」と予告しました。どの「終わりの日」のことでしょうか。終わりの日と言ってもこれまでに幾度もありました。古代都市ポンペイの終わりの日や,王または支配者の家系の終わりの日などはその例です。聖書も,ユダヤ人の体制の終わりの日など,幾つかの終わりの日について述べています。(使徒 2:16,17)しかしイエスは,パウロの言及した「終わりの日」とは現代のことである,という点を理解するための根拠を与えておられます。
16 小麦と雑草のたとえ話は現代のどんな状況を予告していましたか。
16 イエスは,小麦と雑草のたとえ話の中でそうされました。小麦と雑草が畑にまかれ,共に生長します。イエスは,小麦と雑草が人々 ― 真のクリスチャンと偽のクリスチャン ― を表わしていると言われました。このたとえ話を引き合いに出すのは,邪悪な体制全体の終結までには長い期間があることがこのたとえ話から分かるからです。終結が到来する時に大いにはびこっているものがあります。それは何でしょうか。背教,つまり真のキリスト教からの逸脱です。その結果,邪悪な収穫物があふれています。聖書の他の預言は,これが邪悪な体制の終わりの日の期間に起きることを裏づけています。今はその終わりの日,つまり事物の体制の終結の期間なのです。―マタイ 13:24-30,36-43。
17 テモテ第二 3章1-5節は,事物の体制の終結の期間に関して他の聖句と同様の,どんな情報を提供していますか。
17 ことの重大さがお分かりでしょうか。テモテ第二 3章1節から5節は,この体制の終結の期間,つまり終わりの日にはクリスチャンの周囲に見られる実が悪いものになるという,そのたとえ話と同様の点を示しているのです。パウロはここで,列挙された19の点が終わりの日の到来したことを証明するおもな手段になると言っていたのではありません。むしろ,終わりの日にわたしたちが何と闘わなければならないかについて警告していたのです。1節には,「対処しにくい危機の時代」とあります。この表現はギリシャ語に由来し,字義的には「猛烈な定められた時」という意味です。(王国行間)「猛烈な」という言葉は,今日わたしたちが直面している事柄を適切に表現していると思われませんか。霊感を受けたこの記述はさらに,今の時代に対する神の洞察を与えてくれます。
18 パウロの預言の言葉を研究する際,何に焦点を合わせるべきですか。
18 わたしたちはこの預言に関心を持っているゆえに,今の時代がどれほど危機的な,つまり猛烈な状態にあるかを示す悲惨な事例を幾つか指摘したいという気持ちになります。しかし,今考慮している二つの要点を思い起こしてください。(1)今の時代を難しくしている様々な問題を見極め,そうした問題を避ける方法を理解すること,(2)本当に実際的で,より良い生活を送るのに役立つ教えに従うことです。ですから,悪い面ばかり述べるよりもむしろ,この対処しにくい時代に住むわたしたちにとって,また家族にとって役立つ教えに焦点を合わせます。
豊かな益を刈り取る
19 あなたは人々が自分を愛する者となっている,どんな証拠を見てこられましたか。
19 パウロはまず,終わりの日に「人々は自分を愛する者」になると予言しました。(テモテ第二 3:2)これはどんな意味でしょうか。いつの時代にも,自分の利益だけを考える思い上がった男女がいたことは確かです。それでも,今日そのような悪徳が異常なまでに一般化していることに疑問の余地はありません。極端な例も多く,政治や商業の世界ではまるで当たり前のこととなっています。男性も女性も,権力や名声を得るためなら何でも犠牲にします。たいていの場合,犠牲になるのは他の人です。自分を愛するそのような人たちは,他の人を傷つけてもほとんど気にしないからです。すぐに他の人を訴えたり,だましたりします。多くの人がそれを“自己中心世代<ミー・ジェネレーション>”と呼ぶのも理解できます。協調性のない人や利己的な人が非常に多くなっています。
20 聖書の助言は,自分を愛するという一般に見られる態度とは対照的に,どのような態度を勧めていますか。
20 わたしたちは,「自分を愛する者」となっている人々と接した時の苦い経験を思い起こさせてもらう必要はありません。それでも,聖書が率直にこの問題を明らかにして,わたしたちの助けになっていることは事実です。なぜなら,聖書はこのわなを避ける方法を教えているからです。聖書はこう述べています。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく,へりくだって,互いに相手を自分よりも優れた者と考え,めいめい自分のことだけでなく,他人のことにも注意を払いなさい」。「自分を過大に評価してはなりません。むしろ,……慎み深く評価すべきです」。この優れた助言はフィリピ 2章3節と4節,ローマ 12章3節に記されており,新共同訳聖書ではそのように訳されています。
21,22 (イ)そのような助言は今日でも役立つものとなりますが,そのことを示すどんな明白な証拠がありますか。(ロ)ごく普通の人でも神の助言からどんな影響を受けていますか。
21 中には,『それは聞こえはいいが,実際的ではない』と言って反論する人もいるかもしれません。しかし,それは確かに実際的です。今日のごく普通の人々にとって実際的であり,事実役立っているのです。1990年にオックスフォード大学関連の出版社は,「分派主義の社会的様相」という本を出版しました。第8章のタイトルは「あるカトリック国におけるエホバの証人」で,ベルギーで行なわれた調査の結果がこのように記されています。「エホバの証人になる積極的誘因という点になると,回答者たちは,“真理”そのものによる誘因は別にして,この場合もしばしば複数の特徴を挙げている。……最も頻繁に挙げられた点は,温かさ,親しみやすさ,愛,一致であるが,正直さや,『聖書の原則をそのとおり実践する』点での一人一人の振る舞いもエホバの証人が大切にしている特質である」。
22 そうした概観は,広角レンズで撮った写真に例えることができるかもしれません。しかし,その代わりにズームレンズまたは望遠レンズを使うと,クローズアップ写真,つまり数多くの現実の経験を見ることができます。かつては身勝手で,威張り散らし,ひどく利己的だった男性たちが,今では温和になり,妻や子供や他の人に以前よりも優しい愛情や親切を示す夫や父親になっているのが分かります。また,かつては横柄で冷淡だった女性たちが,今では真のキリスト教の道を学ぶよう他の人を助けているのも見えます。このような例は何十万もあります。では,あなたの率直な意見はいかがですか。このような人たちと一緒にいるほうが,自分をまず第一に愛する男女といつも向かい合っているより,はるかに良いと思いませんか。そのほうが,この危機の時代に対処しやすいのではありませんか。ですから,このような聖書の教えに従えば,あなたももっと幸せになれるのではないでしょうか。
23 テモテ第二 3章2-5節にさらに注意を払うことには,なぜそうするだけの価値がありますか。
23 しかし,わたしたちはまだ,テモテ第二 3章2節から5節に記されている,パウロの挙げた事柄の最初の点しか取り上げていません。他の点についてはどうでしょうか。それらの点を注意深く調べることも,今の時代の主要な問題を見分けてそれらを避け,どんな歩み方をすれば自分と家族がより幸せになるかを理解するのに役立つでしょうか。次の記事は,あなたがそうした質問に答え,豊かな祝福を得る助けになるでしょう。
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神の教えどおりに歩みなさいものみの塔 1994 | 4月15日
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神の教えどおりに歩みなさい
「エホバの山に……上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」― ミカ 4:2。
1 ミカによれば,神は終わりの日にご自分の民のためにどんなことをされることになっていましたか。
神の預言者ミカの予告によれば,「末の日」つまり今の時代に,多くの人が積極的に神を求め,神を崇拝することになっていました。それらの人は互いに励まし合って,こう言うのです。「エホバの山に……上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」。―ミカ 4:1,2。
2,3 人々が金を愛する者になるというパウロの予言は,今日どのように成就していますか。
2 わたしたちは今回このようにテモテ第二 3章1節から5節を研究することにより,この「終わりの日」に神に教え諭されることの結果を理解することができます。前の記事ではまず,「自分を愛する者」とならないようにというパウロの警告を心に深く刻む人にはどんな益が及ぶか,という点に注目しました。パウロがさらに述べているところによると,今の時代の人々は「金を愛する者」ともなります。
3 この言葉が今の時代をいかに適切に表現しているかは,大学で現代史の学位を取らなくても理解できます。毎年何億円稼いでも満足しない資本家や企業の重役たちに関する記事を読んだことはありませんか。金を愛するこれらの人は,不法な手を使ってでも,さらに欲しがります。また,パウロの言葉は,裕福ではなくても,同じように強欲な,満足することを知らない今日の大勢の人にも当てはまります。あなたはご自分の住んでいる地域にもそのような人が多いことを知っておられるかもしれません。
4-6 クリスチャンは金を愛する者とならないようにしますが,それは聖書のどんな教えがあるからですか。
4 パウロの述べている事柄は,人間の本質であってやむを得ない事柄なのでしょうか。聖書の著者によれば,そうではありません。その方はずっと昔に次のような真理を述べておられます。「金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根(です)。ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出,多くの苦痛で自分の全身を刺したのです」。神は『金銭があらゆる有害な事柄の根である』とは言われなかったことに注目してください。神は,「金銭に対する愛」が有害な事柄の根であると言われたのです。―テモテ第一 6:10。
5 興味深いことに,パウロの言葉の文脈を見ると,1世紀の立派なクリスチャンの中にも,財産を相続したにせよ働いて富を得たにせよ,当時の事物の体制の中で裕福だった人がいたことが分かります。(テモテ第一 6:17)ですから,聖書がわたしたちに,各々の経済状態がどうあれ,金銭を愛する者となることの危険を警告していることは明らかです。聖書は,広く見られるこの嘆かわしい悪徳を避けるようにという教えを,ほかにも与えているでしょうか。確かに与えています。イエスの山上の垂訓などがそれです。その中の知恵の言葉は世界的によく知られています。例えば,マタイ 6章26節から33節のイエスの言葉を心に留めてください。
6 ルカ 12章15節から21節に記されているように,イエスはある富んだ人について話をされました。この人は,より多くの富を蓄えようと常に考えていましたが,突然命を失ってしまいました。イエスの話の要点はどこにあったのでしょうか。イエスはこう言われました。「あらゆる強欲に警戒しなさい。満ちあふれるほどに豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じないからです」。聖書はこうした助言を与えると共に,怠惰を非とし,まじめに働くことの価値を強調しています。(テサロニケ第一 4:11,12)それでも,このような教えは今の時代には通用しないと反論する人もあるでしょう。しかし,それは通用します。効を奏しているのです。
教え諭され,益を受けている
7 わたしたちには,富に関する聖書の助言を首尾よく適用してゆけるという確信を抱くべきどんな理由がありますか。
7 様々な社会的また経済的階層の男女が,金銭に関する神の原則を当てはめており,多くの国にその実例が見られます。それらの人たちは,本人も家族も益を受けています。その益は,外部の人の目にも留まっています。例えば,プリンストン大学関連の出版社が出した「現代アメリカにおける宗教運動」という本の中で,ある人類学者はこう書いています。「[エホバの証人は]その出版物や会衆での話を通して,自分たちの身分が,新しい車,高価な衣服,ぜいたくな暮らしなどによらないことを思い起こさせられる。同時に,証人は毎日雇い主に対して適正な働きをし,全く正直でなければならない。……そうした特性は,多くの技術を持たない人をさえ有用な従業員とする。[米国]北フィラデルフィアの証人たちの中には,職場で相当の責任を委ねられる立場にまで昇格した人がいる」。明らかに,み言葉を通して神からの教えを受けてきた人々は,現状に対処するのを難しくするような態度を取らないよう用心深くなっています。彼らの経験は,聖書の教えがより良い,より幸福な生活につながることを証明しています。
8 「うぬぼれる者」,「ごう慢な者」,「冒とくする者」については,ひとまとめにして考えることができます。それはなぜですか。それら三つの語にはどんな意味がありますか。
8 パウロが挙げた続く三つのものはひとまとめにして考えることができます。終わりの日に,人々は「うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者」になります。この三つは同じものではありませんが,どれも誇りと関係があります。最初に述べられているのは「うぬぼれる者」です。ある辞書によれば,この言葉の元のギリシャ語には,「『自分を実質以上のものに仕立てる人』,または『果たせる以上の約束をする人』」という意味があります。ある聖書翻訳が「自慢する者」という言葉を使っているのもうなずけます。次に挙げられているのは「ごう慢な者」,字義的には「より上に現われている(者)」です。最後は,「冒とくする者」です。冒とくする者と言えば,神について不敬なことを言う人を連想するかもしれません。しかし元々の言葉には,人に対する有害な,中傷的な,もしくはののしりの言葉という意味が含まれています。ですから,パウロは神と人の両方に対する冒とくについて述べていたことになります。
9 一般に見られる有害な態度とは対照的に,聖書はどんな態度を取るよう人々に勧めていますか。
9 パウロが述べたような人が職場の同僚,クラスメート,親戚にいたら,あなたはどう思いますか。そのために生活しやすくなるでしょうか。それとも,生活しにくくなり,今の時代に対処するのが余計に難しくなるでしょうか。しかし,神の言葉はそのような人と同じ態度を取らないよう教えています。例えば,コリント第一 4章7節,コロサイ 3章12節,13節,エフェソス 4章29節に述べられているような教えを与えています。
10 エホバの民は聖書の教えを受け入れることから益を受けています。どんなことを見ればそれが分かりますか。
10 クリスチャンは完全な人間ではありませんが,この優れた教えを適用することは,この危機の時代に生きる彼らにとって大きな助けになっています。イタリアの雑誌「ラ・チビルタ・カットリカ」によれば,エホバの証人が増加し続けている理由の一つは,「その運動が会員たちに明確で強い自己認識を得させていること」にあります。しかし,筆者は「強い自己認識」と述べることによって,証人たちが「うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者」になっていると言いたかったのでしょうか。いいえ,そうではありません。イエズス会のその雑誌は,この運動が「会員たちに明確で強い自己認識を得させており,会員が温かさや兄弟意識や連帯感をもって迎えられる場となっている」点に注目しているのです。エホバの証人にとって,教えられてきた事柄が助けになっていることは明白ではないでしょうか。
家族の成員が教えの益を受ける
11,12 パウロは,多くの家庭内に見られるようになる状況を,どのように正確に示しましたか。
11 次の四つのものは,ある程度関連があるので,ひとまとめにできるかもしれません。パウロは,終わりの日に多くの人が「親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,自然の情愛を持たない者」になると予告しました。このうち,感謝しない,忠節でないという二つの悪徳が至る所に見られることはお分かりでしょう。さらに,パウロがこの二つを「親に不従順な者」と「自然の情愛を持たない者」との間に置いた理由も容易に理解できます。これら四つは関連し合っています。
12 親に対する不従順が広まり,事態が悪化の一途をたどっていることは,観察力のある人であれば老若に関係なく,だれでも認めるところです。多くの親は,子供が親の恩に感謝しないと言って不平をこぼします。多くの子供は,親が子供のこと(あるいは家族全体)をほうっておいて仕事や娯楽に,つまり自分のことだけに没頭していると言って反論します。だれに責任があるのかを追及する代わりに,その結果に目を留めましょう。親子の間に不和があると大抵,子供は自分勝手な道徳基準,もしくは不道徳基準を設けます。どんな結果を招いているでしょうか。十代の若者の妊娠,中絶,性行為感染症の増大です。家庭内に自然の情愛が欠如していると,暴力行為の起きる場合が少なくありません。あなたが住んでおられる地域でも多分,自然の情愛が消えてなくなりつつある証拠と言える事件が起きたことがあるでしょう。
13,14 (イ)多くの家庭が崩壊している今,わたしたちは聖書に注意を払うべきです。なぜですか。(ロ)神は家族生活に関してどのような賢明な忠告を与えてくださっていますか。
13 かつては親族,また同じ氏族や部族や集団の者とみなされていた人々に襲いかかる人が増えているのも,そのようなところに原因があるのかもしれません。しかし,こうした事柄を取り上げるのは,今日の生活の悪い面を強調するためではないことを忘れないようにしましょう。わたしたちが知りたいと思っている二つの主要な点は,パウロが列挙した悪い特質に悩まされないようにするために聖書の教えは役立つのだろうかという点と,聖書の教えを生活に当てはめれば益が得られるかという点です。わたしたちは,はい,と答えることができます。そのことはパウロが挙げたその四つの点についても明らかです。
14 次のように概括しても決して間違いではありません。心温まる円満な家族生活を送れるようにする点で,聖書の教えに勝る教えはありません。そのことは,家族が単に落とし穴を避けるのみならず,円満にやってゆくのに役立つ聖書の助言を一つ挙げるだけでも実証できます。コロサイ 3章18節から21節などは,そのよい例です。そのほかにも,夫,妻,子供に向けた,実際的な優れた言葉が数多くあります。こうした教えは今日,効を奏しています。もちろん,真のクリスチャンの家族にも難しい問題や面倒な問題は生じます。しかし全体的な結果は,聖書の教えが家族にとって非常に役立っていることを証明しています。
15,16 ある研究者はザンビアのエホバの証人を調査して,どんなことに気づきましたか。
15 カナダのレスブリッジ大学のある研究者は1年半をかけて,ザンビアの社会生活を調査しました。その研究者はこう結論しています。「エホバの証人は安定した結婚の絆を保つ点で他の宗派の会員よりも大きな成果を収めている。……その成功は,夫婦の相互的な関係が改められたことを物語っている。夫婦は,新たに見いだした,相手を脅したりはしない協力的な生き方により,互いの扱い方に関して,新たな頭首たる神に申し開きをすべき者となったのである。……エホバの証人の夫は,妻と子供の福祉のために責任を果たす,円熟した人となるよう教えられている。……夫と妻は貞節を守るよう鼓舞されている。……こうして貞節が極めて重要な事柄として要求されているため,結婚の絆は固くなる」。
16 これは数多くの実際の経験に基づいて行なわれた調査です。例えば,この研究者は次のように述べています。一般的な習慣とは対照的に,「エホバの証人の男性の場合,菜園で妻の手伝いをしている姿が多く見かけられる。地ならしの時だけでなく,植え付けや掘り起こしをも手伝っている」。このように,世界中の数多くの経験から分かるように,聖書の教えが生活に影響を及ぼすことは明らかです。
17,18 宗教的伝統と婚前交渉についての調査で,予期しなかったどんな結果が出ましたか。
17 前の記事では,「科学的宗教研究ジャーナル」に掲載された調査結果について述べられました。1991年に,同誌には「宗教的伝統と婚前交渉: 青年期の男女を対象にした全国調査の示すもの」という題の記事が掲載されました。婚前交渉をする人が多いことについては,多分あなたもご存じでしょう。年若い多くの人が情欲に負け,大勢の十代の若者が複数の相手と性関係を持っています。聖書の教えはこうした一般的な行動様式を変えることができるでしょうか。
18 この問題を研究した3人の准教授は,『より保守的なキリスト教的伝統の中で育てられた思春期や青年期の男女なら,婚前交渉をすることは少ないだろう』と予想していました。しかし,実情はどうだったでしょうか。全体的に見て,70%から82%が婚前交渉を行なったことがありました。一部の人々の間では「根本主義的伝統のために,婚前交渉の割合は[低かった]ものの,『十代の若者の婚前交渉』に関してはそうではなかった」のです。それら研究者たちは,宗教心の厚そうな家庭の若者の間でも,「主流派プロテスタント信者の場合と比べて,婚前交渉の可能性が著しく大きいことを示した」例がある,と述べています。―下線は本誌。
19,20 エホバの証人の中の多くの若者たちは,神の教えによってどのように助けられ,保護されてきましたか。
19 この准教授たちは,エホバの証人の若者の間では正反対であることに気づきました。エホバの証人の若者は「他と最も異なるグループ」に入っていました。なぜでしょうか。「経験と期待と実際の活動から生じる,献身と社会的統合性の度合いが……全般的に信仰上の原則を堅持する度合いをより強いものとしているのかもしれない」と述べられています。この研究者たちはさらにこう述べました。「証人たちは思春期や青年期の若者も,宣教の務めを果たすことが期待されている」。
20 ですから,聖書の教えがエホバの証人に良い影響を与え,不道徳を避ける助けになっているということです。その結果,性行為感染症から守られます。性行為感染症の中には,治療の不可能な病気や,かかると必ず死ぬ病気もあるのです。また妊娠中絶を迫られるようなこともありません。聖書の教えでは,中絶は殺人に等しいのです。若者は清い良心を持って汚点のない状態で結婚生活を始めることができます。そのため,よりしっかりとした土台の上に結婚生活を築くことができます。このような教えこそ,物事に対処するのに,つまりより健康で,より幸福になるのに役立つ教えであると言えます。
積極的な教え
21 パウロは今の時代に関してどんなことを正確に予告しましたか。
21 では,テモテ第二 3章3節と4節に戻って,パウロが述べた,現代を対処しにくい時代にしている他の要素に注目しましょう。もちろん,多くの人にとって対処しにくいとしても,すべての人にとって対処しにくいわけではありません。「[人々は]容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,片意地な者,誇りのために思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者[となります]」。何と正確な描写でしょう。それでも,聖書の教えのおかげで,わたしたちは保護され,対処する,つまりうまく乗り越えることができるのです。
22,23 パウロは列挙した点の結びとして,どんな積極的な勧めの言葉を述べていますか。それにはどんな意味が込められていますか。
22 使徒パウロは一連の点を積極的な語調でしめくくり,最後の点として,わたしたちに計り知れない益をもたらす神の命令を述べています。パウロは「敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない」者に言及し,「こうした人々からは離れなさい」と書いています。一部の教会では,婚前交渉を行なう若者の割合が実際に平均より高かったことを思い起こしてください。教会に通うそれらの若者の不道徳がたとえ平均レベルだったとしても,それは彼らの崇拝の方式が無力であることの証拠ではないでしょうか。さらに,宗教の教えは,仕事をする際の人々の行動,部下の扱い方,親族に対する接し方などを変化させているでしょうか。
23 パウロの言葉は,わたしたちが神の言葉から学んだ事柄を実践すべきことを示しています。キリスト教の真の力を明白に示すような崇拝を行なっているべきなのです。パウロは,無力な崇拝の方式に従っている人々について,「こうした人々からは離れなさい」と述べています。これは明確な命令であり,わたしたちに必ず益をもたらします。
24 啓示 18章の勧告はパウロの助言とどのように類似していますか。
24 どのように益をもたらすのでしょうか。聖書巻末の書には,大いなるバビロンと呼ばれる象徴的な女,すなわち娼婦が描かれています。証拠によれば,大いなるバビロンは偽りの宗教の世界的な帝国を表わしており,エホバ神はそれを審査し,退けられました。しかし,わたしたちまで共に退けられる必要はありません。啓示 18章4節はこう勧めています。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい」。これはパウロが述べた,「こうした人々からは離れなさい」という言葉と同じではないでしょうか。神の教えから益を受けるためには,従うことも必要なのです。
25,26 エホバ神の教えを今,受け入れて当てはめる人たちには,どんな将来が約束されていますか。
25 神は間もなく人間の物事に直接介入されます。神はすべての偽りの宗教と現在の邪悪な体制の残りの部分もぬぐい去られます。その時には歓びがわき上がります。そのことは啓示 19章1節と2節に示されています。地上で神の教えを受け入れ,それに従う人々は,この危機の時代の様々な障害物が過ぎ去ってからも神の教えに引き続き従うことができるでしょう。―啓示 21:3,4。
26 その回復された地上の楽園での生活は,確かに想像以上に喜ばしいものとなるでしょう。神はそれが可能であると約束しておられ,わたしたちは神に全幅の信頼を置くことができます。ですから,神から与えられる役立つ教えを受け入れ,それに従うべき理由は数多くあるのです。では,いつ従いますか。危機の時代である今,神の約束しておられる楽園<パラダイス>に入ることを目指して神の教えに従いましょう。―ミカ 4:3,4。
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