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    1987 エホバの証人の年鑑
    • 幾つかの聖書研究を通して,真の弟子が生まれました。テレサ・ベリーは最近次のように書きました。「私が司会を始めた中で最も際立っていた研究の一つに,メイベル・ギンとその家族との研究がありました。彼女と数分話した後に,彼女が次のように述べたことを今でも覚えています。『神様は私たちのためにとても沢山のことをしてくださったので,私たちは,神様のために何かできることはないかとずっと考えてきました』。私は彼女と研究を始めましたが,彼女はすぐに集会に出席するようになり,さらに奉仕にも出かけるようになりました。10人から成るこの家族は全員真理に入りました。今でもメイベルに手紙を書くことがありますが,彼女はあれから37年近くになる現在でもたいへん活発な証人です」。

  • トリニダード・トバゴ
    1987 エホバの証人の年鑑
    • 巡回監督たちは自らを費やす

      1946年の暮れに,キューバにいたギレアデの卒業生ジョシュア・スティールマンは,会長事務所の代表者としてトリニダード支部で奉仕し,さらに島々全体で兄弟たちの僕(巡回監督)の奉仕を行なうようにとの任命を受けました。スティールマン兄弟は,野外奉仕に出かけるよう伝道者たちを励ますのがたいへん巧みで,兄弟の奉仕したすべての会衆ではほぼ例外なく,伝道者は新最高数を記録しました。

      その翌年,バルバドスにある宣教者の家が閉鎖され,残っていた宣教者のベネット・ベリーは兄弟たちの僕に任命されました。ベリーの経験を書き記すとすれば,1冊の本ができることでしょう。交通手段と呼べるものはほとんどありませんでした。仮にバスがあったとしても,席に座ることは困難でした。乗客の中には,鶏や魚,それにやぎまでいたのです。それは何とも言えない体験でした。乗客はおしゃべりばかりしていました。特に山地では,道は狭く曲がりくねっていました。

      ドミニカ島でベリー兄弟は,ある会衆のところに行くために29㌔も山道を歩いたり川床を上ったりしなければなりませんでした。馬が1頭手に入ったこともありましたが,その馬は倒れて死んでしまいました。それでもベリー兄弟は,謙遜な兄弟たちがエホバとそのみ子およびエホバの組織との関係をますます深く認識するようになるのを見て,大きな喜びを味わいました。さらに,兄弟たちの必要に無私の態度で仕える時に,ベリー兄弟の霊性も向上しました。

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