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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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現在クリミアで長老として奉仕しているフリホリー・メリニクは,こう語っています。「1947年に姉が逮捕された後,わたしはしばしば尋問のため当局に連れて行かれました。よく木の棒で殴打されました。壁際に16時間立たされたことも何度かあります。こうしたことはすべて,エホバの証人だった姉に不利な,虚偽の証言をするよう強いるためのものでした。わたしは16歳でした。姉に不利な証言をすることを拒んだため,地元の当局者たちはわたしが気に入らず,追い払いたいと思っていました。
「それで,わたしと二人の弟および妹は孤児だったにもかかわらず,1951年になるとシベリアへ流刑にされました。両親はすでに亡くなっていて,兄と姉は10年の刑に服していました。わたしは20歳で,弟二人と妹を養う責任を担っていました。
「わたしはよく,シベリアでの最初の2年間を思い出します。食べる物といえば,じゃがいもと紅茶しかありませんでした。当時カップはぜいたく品だったので,紅茶はスープ皿に入れて飲みました。でも,霊的にはとても元気でした。到着して数日のうちに,わたしは公開集会を司会し始めました。後に神権宣教学校も始まりました。弟たちや妹を養うため,非常に疲れる肉体労働をする必要があったので,そうした責任を果たすのは容易ではありませんでした」。そのような苦難の中でさえ,メリニク家はエホバとその組織に対する忠実を保ちました。
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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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[170ページの図版]
フリホリー・メリニクは20歳で,弟二人と妹を養う責任を担っていた
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