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    2002 エホバの証人の年鑑
    • 初期の大会

      1926年5月,トランスカルパティア地方における聖書研究者の最初の大会が,ベリキー・ルチュキ村で開かれました。150人が出席し,20人がバプテスマを受けました。翌年,同じ地域にあるウジゴロド市の中央公園で屋外の大会が開かれ,200人が出席しました。程なくして,トランスカルパティア各地の町で大会が組織されるようになりました。1928年には,リボフで初めて大会が開かれました。その後,ハリチナとボルイニでも大会が開催されました。

      1932年の初めごろ,トランスカルパティアのソロトビノ村で大会が開かれました。会場は聖書研究者たちが定期的に集会を行なっていた家の裏庭でした。およそ500人が出席し,その中にはドイツから来た責任ある兄弟たちもいました。地元の会衆の長老であるミハイロ・ティルニャクは,こう述べています。「わたしたちは,ドイツとハンガリーから大会に来てくださった兄弟たちの,よく準備された話を大いに楽しみました。兄弟たちは目に涙を浮かべながら,来たるべき試練のもとで忠実を保つよう励ましてくださいました」。そして第二次世界大戦が始まると,確かに厳しい試練が始まりました。

      1937年,チェコスロバキアのプラハで開かれる大きな大会に出席する代表者たちのために,列車が丸ごと借りられました。列車はソロトビノ村を出発してトランスカルパティア全域を巡り,各駅に停車して出席者たちを乗せました。列車の各車両には,「エホバの証人の大会 ― プラハ」というサインがありました。それは地域の人々に対する優れた証しとなり,年配の人たちは今でもその時のことを覚えています。

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    2002 エホバの証人の年鑑
    • [129ページの図版]

      1932年8月,ハリチナのボリスラフという町での最初の大会

      [130ページの図版]

      1932年,トランスカルパティアのソロトビノでの大会

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