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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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ウクライナの姉妹たちに対する迫害
ソビエト政権によって迫害され,長期刑に処されたのは,兄弟たちだけではありません。姉妹たちも同じように過酷な扱いを受けました。例えば,マリヤ・トミルコは,第二次世界大戦中にラベンスブリュック強制収容所で真理を学びました。その後,姉妹はウクライナに戻り,ドニエプロペトロフスク市で宣べ伝えました。その宣べ伝える活動のゆえに,1948年,姉妹は懲役25年の刑を宣告されて収容所に入れられました。
収容所における20年の懲役を言い渡された別の姉妹は,こう述べています。「取り調べの間,わたしは多くの犯罪者と一緒に一つの監房に入れられました。しかし,わたしは恐れずにそれらの女性たちに宣べ伝えました。意外にも,みな注意深く聞いてくれました。監房は満員で,わたしたちは床でぎゅうぎゅう詰めになって寝ました。寝返りを打つには,かけ声と共に全員一斉にそうするしかありませんでした」。
1949年,ザポロージエ市のバプテスト派の指導者が,地元の保安局に5人の姉妹たちに関する不利な情報を提供しました。そのため姉妹たちは逮捕され,反ソビエト運動を扇動したかどで告発され,それぞれ25年の刑を宣告されて収容所に入れられました。所有物はすべて押収されました。恩赦が与えられるまでの7年間,姉妹たちはロシア北部の僻地で服役しました。そのうちの一人,リディア・クルダスはこう述べています。「わたしたちは年に2通しか家に手紙を書くことが許されず,手紙は徹底的に検閲されました。その期間中,文書はずっと手に入りませんでした」。それでも,姉妹たちはエホバへの忠実を保ち,王国の良いたよりを宣べ伝え続けました。
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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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ソ連で法的な登録を試みる
1949年,ボルイニ地方の3人の長老(ミコラ・ピャトカ,イリヤ・バビュチュク,ミハイロ・チュマク)が,エホバの証人の活動の法的登録を申請しました。その後まもなく,チュマク兄弟は逮捕されました。残った二人の兄弟の一人,ミコラ・ピャトカによると,最初に申請書を送ったときには返事がありませんでした。そのため,2回目の申請がモスクワに提出されましたが,その書類はキエフに転送されました。キエフの役人たちは兄弟たちの話を聞く機会を設け,エホバの証人が当局に協力する場合に限り登録できると告げました。兄弟たちはもちろん,中立の立場を曲げることには同意しませんでした。しばらくして,これら二人の兄弟も逮捕され,それぞれ収容所における懲役25年の刑を言い渡されました。
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