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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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1980年代後半になると,清い崇拝への反対は幾らか和らぎました。各地の会衆で伝道者が増え,兄弟たちはもっとたくさんの文書を入手できるようになりました。国外の親せきを訪ね,雑誌や書籍を持ち帰った証人たちもいます。とりわけソビエトの収容所にいた兄弟たちにとって,聖書出版物の原物を手にするのは初めての経験でした。一部の人たちは,自分たちが生きている間に「ものみの塔」誌の原本が鉄のカーテンをくぐり抜けるとは夢にも思っていませんでした。
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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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後にある兄弟たちは,隣国のポーランドで開かれる,1988年の地域大会に出席しようとしました。書類上では,友人や親族を訪ねることになっていましたが,大変驚いたことに,当局は国外旅行を許可しました。ポーランドの兄弟たちは,ウクライナから来た訪問者たちに惜しみなく文書を分け与えました。帰る途中,ウクライナの兄弟たちは国境で持ち物検査を受けましたが,ほとんどの場合,税関検査官は文書を没収しませんでした。こうして,兄弟たちは聖書や他の出版物を国内に持ち込むことができました。
もてなしの精神に富むポーランドの兄弟たちは,翌年,さらに多くの人をウクライナから招待しました。それで1989年には,ポーランドで開かれた三つの国際大会に大勢の人が目立たないように出席し,ウクライナにたくさんの文書を持ち帰りました。その同じ年,宗教省との合意により,エホバの証人は宗教文書を国外から郵便で受け取れるようになりました。ただし,各出版物は1回の郵送につき2部ずつと定められました。ドイツの兄弟たちは,書籍や雑誌の入った小包を定期的に送り始めました。地下壕や,夜遅く自宅の地下室でひそかに雑誌の写しを作る代わりに,兄弟たちは地元の郵便局を通して出版物を正式に受け取れるようになったのです。まさに夢のようでした。長年仕えてきた多くの証人たちは,流刑からエルサレムに帰還したユダヤ人と同じように,「わたしたちは夢を見ている者のようになった」と感じました。(詩 126:1)しかし,そのすばらしい“夢”はまだ始まったばかりでした。
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