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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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そうした増加に対応するため,ポーランド支部からルドヴィヒ・キニツキが旅行する監督としてハリチナとボルイニに遣わされ,宣べ伝える業を援助することになりました。兄弟の家族はハリチナのチョルトコフ出身で,20世紀の初めに米国に移住していました。キニツキ兄弟は米国で真理を学び,後に誠実な人々を助けるために故国に戻りました。多くの兄弟姉妹は,この熱心な奉仕者を通して得た霊的な助けを決して忘れないでしょう。1936年の秋,ポーランド語の「黄金時代」誌が発禁処分になり,編集者が1年の禁固刑を宣告されました。キニツキ兄弟は,発禁となった「黄金時代」の代わりに発行されるようになった「新時代」誌の編集者として任命されました。1944年,兄弟はゲシュタポに逮捕され,マウトハウゼン-ギューゼン強制収容所に連れて行かれ,そこでエホバへの忠実を保って亡くなりました。
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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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[137ページの図版]
熱心な奉仕者として多くの人の記憶に残るルドヴィヒ・キニツキは,ナチスの強制収容所でエホバへの忠実を保って亡くなった
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