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    2002 エホバの証人の年鑑
    • トランスカルパティア出身のボイテフ・チェヒは,1923年にバプテスマを受け,その後ベレゴボ付近で全時間宣べ伝える活動を始めました。兄弟はいつも,文書の入ったかばんを片手に提げ,もう一つのかばんを自転車にくくり付け,さらに文書の詰まったリュックサックを背負って奉仕に出かけました。兄弟はこう回想しています。「わたしたちは,24の村から成る区域を割り当てられました。伝道者は15人だったので,文書を携えてそれらの村を年に2度回るには多大の努力が必要でした。毎週日曜日の朝4時に,一つの村に集まりました。そこから15㌔かそれ以上,歩いたりバスに乗ったりして,周辺の地域に行きました。通常,午前8時に家から家の宣教を始め,午後2時まで働きました。そして多くの場合,自分たちの家まで歩いて帰り,同じ日の晩の集会では,みんなと楽しく経験を語り合いました。天気が良いときもひどく荒れているときも,森を横切って近道をしたり,川を渡ったりしましたが,だれも不平一つ言いませんでした。創造者に仕え,その方の栄光をたたえることを喜びとしていたのです。兄弟たちが集会への出席や伝道のために40㌔歩くことさえ何とも思わないのを見て,まさに真のクリスチャンとして生きていることを人々は理解しました。

      「宣教ではいろいろな人に会いました。ある時,一人の女性に『神の国 ― 全地の希望』の小冊子を紹介しました。その女性は,受け取りたいのですが,寄付するお金がありません,と言いました。わたしはおなかがすいていたので,ゆでたまごと小冊子を交換できます,と言いました。女性は小冊子を受け取り,わたしはたまごを食べました」。

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    2002 エホバの証人の年鑑
    • [127ページの図版]

      ボイテフ・チェヒ

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