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「わたしの王国はこの世のものではありません」ものみの塔(研究用)2018 | 6月
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「わたしの王国はこの世のものではありません」
「真理について証しすること,……このためにわたしは世に来ました」。ヨハネ 18:37
1,2. (イ)世界の分裂はどのように深まっていますか。(ロ)この記事ではどんな点を考えますか。
「子どものころから不公正ばかり見てきました。それで,国の政治体制を否定し,過激な思想に染まるようになりました。何年もテロリストの男性と付き合っていました」。こう述べるのは南ヨーロッパの姉妹です。アフリカ南部のある兄弟は以前,暴力を問題解決の正当な手段と考えていました。こう述べています。「自分の部族が最も優れていると信じていました。ある政党に入り,敵を槍で殺すよう教えられました。自分と同じ部族でも他の政党の支持者は敵でした」。中央ヨーロッパに住むある姉妹はこう言います。「国籍や宗教の違う人たちを憎んでいました。偏見がありました」。
2 この3人のような見方が世界中で広まっています。暴力的な独立運動が盛んになり,政治的な分裂が深まっています。多くの国では外国人に対する敵意も強まっています。聖書の予告どおり,終わりの日の今,多くの人が「容易に合意しない者」となっています。(テモ二 3:1,3)世界がますます分裂していく中,クリスチャンはどうすれば一致を保てるでしょうか。イエスが地上にいた時も,政治に関して様々な意見があり,分裂が見られました。イエスはどのように行動したでしょうか。3つの点を考えましょう。イエスが独立運動にかかわらなかったのはなぜですか。イエスは,クリスチャンが政治的な問題において中立を保つべきことをどのように教えましたか。暴力に訴えるのが間違っていることをどのように教えましたか。
イエスは独立運動にかかわらなかった
3,4. (イ)イエスの時代のユダヤ人は,どんな政治的な期待を抱いていましたか。(ロ)イエスの弟子たちは,周囲のユダヤ人の見方からどんな影響を受けていましたか。
3 イエスが良い知らせを伝えていたユダヤ人の多くは,ローマからの独立を望んでいました。当時,熱心党と呼ばれる国家主義的なグループが人々の独立心をあおっていました。そのグループには,ガリラヤ人ユダの考えに従う人が大勢いました。ユダは偽メシアでした。ユダヤ人の歴史家ヨセフスはこう述べています。「[ユダは]同郷の者たちを扇動して反乱を起こした。彼は,ローマ人に貢ぎを支払うことに同意……する者は臆病者だと言って彼らを厳しく非難した」。ユダはローマ人によって処刑されました。(使徒 5:37)熱心党の支持者の中には,目標を達成するために暴力に訴える人たちもいました。
4 一般のユダヤ人も政治的なメシアの到来を待ちわびていました。メシアがイスラエルに栄誉をもたらし,ローマの圧制から解放してくれることを期待していました。(ルカ 2:38; 3:15)彼らはメシアがイスラエルに王国を設立すると信じていました。そうすれば,離散していた大勢のユダヤ人は故国に戻れる,と考えていました。バプテストのヨハネもイエスにこう尋ねました。「あなたが来たるべき方なのですか。それとも,わたしたちはほかの方を待つべきでしょうか」。(マタ 11:2,3)ヨハネは,ユダヤ人の願いを実現させる人物がほかにいるのか知りたかったのかもしれません。エマオへの道で,復活したイエスに会った2人の弟子たちは,メシアに対する希望が実現していない,と述べました。(ルカ 24:21を読む。)その後,使徒たちも「主よ,あなたは今この時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」とイエスに尋ねました。(使徒 1:6)
5. (イ)ガリラヤの人々がイエスを王にしようとしたのはなぜですか。(ロ)イエスは彼らの考えをどのように正しましたか。
5 ガリラヤの人々がイエスを王にしたいと思ったのも,そのような期待を抱いていたからでしょう。イエスなら理想的な指導者になると考えたに違いありません。素晴らしい話をし,病気を治し,食べ物を与えることのできる人物です。イエスは約5000人の男たちに食べ物を与えた後,人々のそのような気持ちを感じ取りました。どうしたでしょうか。「イエスは,彼らが,自分を王にするためとらえに来ようとしているのを知り,再び山の中にただ独りで退かれ[まし]た」。(ヨハ 6:10-15)翌日,ガリラヤの海の対岸に集まった人々の気持ちは幾らか収まっていたことでしょう。イエスは,自分の最も大切な務めが何かを説明しました。イエスが地上に来たのは,食べ物を与えるためではなく,永遠の命を得るのに必要な事柄を教えるためです。こう述べました。「滅びる食物のためではなく,永遠の命へとながく保つ食物のために働きなさい」。(ヨハ 6:25-27)
6. イエスは,地上で政治権力を得ようとしていなかったことをどのように明らかにしましたか。(冒頭の挿絵を参照。)
6 イエスが亡くなる少し前のことです。ある弟子たちはイエスがエルサレムに王国を設立することを期待していました。それでイエスはミナに関する例えを話し,彼らの考えを正しました。その例えによると,「高貴な生まれの人」であるイエスはしばらくの間,旅行に行きます。(ルカ 19:11-13,15)またイエスは,ローマの総督ポンテオ・ピラトに対して,自分が政治的に中立であることをはっきり伝えました。ピラトはイエスに「あなたはユダヤ人の王なのか」と尋ねました。(ヨハ 18:33)ピラトはイエスが政治的な混乱を引き起こすことを恐れていたのかもしれません。イエスは,「わたしの王国はこの世のものではありません」と答えました。(ヨハ 18:36)政治に関与するつもりはありませんでした。天の王国で支配することになっていたからです。それでピラトに対し,地上での自分の務めは「真理について証しすること」であると述べました。(ヨハネ 18:37を読む。)
世界の様々な問題に気を奪われていますか。それとも神の王国に思いを向けていますか。(7節を参照。)
7. 独立運動を心の中でも支持しないようにすることが簡単ではないのはなぜですか。
7 わたしたちも自分たちの務めを理解していれば,政治的な独立運動を支持することはないでしょう。心の中でさえそうしないはずです。もちろん,それは簡単なことではありません。ある旅行する監督はこう述べています。「この地域の人々は,ますます強い意見を持つようになっています。ナショナリズムが広がっており,政治的に独立すれば生活が良くなると考えています。そのような中,兄弟たちはクリスチャンの一致を守り,王国の良い知らせを一生懸命伝えています。神が不公正を正し,様々な問題を解決してくださることを確信しています」。
イエスは政治的な問題にかかわらなかった
8. 1世紀のユダヤ人はどんな苦しい状況に置かれていましたか。
8 社会の不公正が政治論争につながることは少なくありません。イエスの時代,税金が大きな政治問題になっていました。ガリラヤ人ユダが反乱を起こしたのは,ローマが税を徴収するため人々に登録を求めたからです。ローマの支配下にあったユダヤ人は,商品や土地や家など様々なものに税金を課されていました。収税人の汚職も横行していました。収税人は競売で収税権を買い,税を多めに受け取って利益を得ていたようです。エリコに住む収税人の長ザアカイは,お金をゆすり取って私腹を肥やしていました。(ルカ 19:2,8)他の多くの収税人もそうしていたことでしょう。
9,10. (イ)イエスの敵たちは,イエスをどのように政治論争に巻き込もうとしましたか。(ロ)イエスの対応から何を学べますか。(冒頭の挿絵を参照。)
9 イエスの敵たちは,税の問題でイエスをどちらかの側に付かせようとしました。これは巧妙なわなでした。敵たちは「人頭税」の問題を持ち出しました。ユダヤ人は皆,1デナリをローマに払わなければなりませんでした。(マタイ 22:16-18を読む。)ユダヤ人は人頭税に不満を抱いていました。ローマに支配されていることを思い知らされたからです。この問題を持ち出した「ヘロデの党派的追随者」は,イエスがこの税を払うべきではないと言えばイエスを扇動罪で訴えられる,と考えたのかもしれません。逆に,イエスがこの税を払うべきだと言えば人々はイエスから離れていく,と思ったのでしょう。
10 イエスは税の問題で注意深く中立を保ち,こう言いました。「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。(マタ 22:21)イエスは収税人の汚職が横行していることを知っていました。でも,政治論争に巻き込まれて,大切な点を見失うことはありませんでした。問題を本当に解決できるのは神の王国だけであるということです。わたしたちにとって優れた手本です。たとえ特定の主張が正しいように思えても,政治論争に巻き込まれてはなりません。神の王国と神の義を求めます。不公正が見られても,ああすべきだとかこうすべきだと述べたりはしません。心の中でそう考えることもしません。(マタ 6:33)
11. 不公正をなくしたいという気持ちを,どうすれば正しい方向に向けられますか。
11 多くの兄弟姉妹はかつて政治に対して強い意見を持っていましたが,見方を変えることができました。英国のある姉妹はこう言います。「大学で社会学を学び,急進的な見方を持つようになりました。わたしたち黒人の権利を擁護したいと思いました。不公正なことばかり経験していたからです。議論で相手を打ち負かすのは得意でした。でも議論に勝っても気持ちは晴れませんでした。不公正をなくすには人の心から人種偏見を取り除く必要がある,ということに気づいていなかったのです。聖書を学んで,まず自分の心を変えなければならないことが分かりました。わたしを辛抱強く援助してくれたのは白人の姉妹です。今わたしは手話会衆で正規開拓奉仕を行ない,あらゆる人に良い知らせを伝えています」。
「あなたの剣を元の所に納めなさい」
12. イエスは弟子たちにどんな「パン種」を避けるよう警告しましたか。
12 イエスの時代,宗教は政治と結びついていました。「キリスト時代のパレスチナの日常生活」(英語)という本には,「ユダヤ人の宗派は政党のようなものだった」と記されています。イエスは弟子たちに「じっと見張っていて,パリサイ人のパン種とヘロデのパン種に気を付けなさい」と言いました。(マル 8:15)「ヘロデ」とはヘロデの党派的追随者たちのことでしょう。パリサイ人はユダヤ人がローマから独立することを支持していました。マタイの記述によると,イエスはこの時,サドカイ人についても警告しました。サドカイ人はローマの支配が続くことを望んでいました。彼らの多くはローマの支配のもとで政治権力を得ていたからです。イエスは弟子たちに,この3つのグループのパン種つまり教えを避けるよう強く警告しました。(マタ 16:6,12)イエスがこの警告を与えたのは,人々が自分を王にしようとしてから間もなくのことです。
13,14. (イ)政治や宗教の問題は,どのように暴力や不公正につながりましたか。(ロ)不公正を正そうとして暴力に訴えるべきでないのはなぜですか。(冒頭の挿絵を参照。)
13 宗教が政治と結びつくと,暴力事件が生じやすくなります。祭司長たちとパリサイ人はイエスを殺そうとしました。その理由の一つは,イエスが弟子たちに中立を保つよう教えたことです。祭司長たちとパリサイ人は,人々がイエスの教えに従い,自分たちから離れていくことを恐れました。そうなれば,政治上の権力や宗教上の権力を失うかもしれません。こう述べています。「彼をこのままほっておけば,みんなが彼に信仰を持つだろう。そして,ローマ人たちがやって来て,我々の場所も国民も奪い去ってしまうだろう」。(ヨハ 11:48)大祭司カヤファは率先してイエスを殺す計画を立てました。(ヨハ 11:49-53; 18:14)
14 カヤファは夜間に兵士たちを遣わしてイエスを捕らえようとします。イエスはその計画を知っていたので,使徒たちと最後の食事をした時,剣を手に入れるようにと言いました。使徒たちは2本の剣を持っていました。イエスが大切なことを教えるにはそれで十分でした。(ルカ 22:36-38)その晩,ペテロは暴徒の一人に剣で襲いかかりました。夜間にイエスを捕らえるという不公正に憤慨したのでしょう。(ヨハ 18:10)しかしイエスはペテロにこう言いました。「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです」。(マタ 26:52,53)この強力な教訓は,その晩イエスが祈りの中で述べたことと調和しています。弟子たちは世のものになってはならないということです。(ヨハネ 17:16を読む。)不公正を正すために戦うのは神です。
15,16. (イ)聖書を学び,憎しみを捨てることができた兄弟姉妹の例を挙げてください。(ロ)今の世界には,どんな対照的な状態が見られますか。エホバはどう感じておられるはずですか。
15 冒頭に出てきた南ヨーロッパの姉妹も同じ教訓を学びました。こう述べています。「暴力で不公正を正せるわけではありません。かえって怒りや憎しみが募るだけです。命を落とす人も大勢います。でもわたしは聖書を学んで,神だけが世界を本当に公正な場所にしてくださることを知りました。これまで25年間,そのことを人々に伝えています」。アフリカ南部の兄弟は槍を「霊の剣」である神の言葉に持ち替え,どの部族の人にも平和のメッセージを伝えています。(エフェ 6:17)中央ヨーロッパの姉妹はエホバの証人になった後,自分がかつて憎んでいた民族の兄弟と結婚しました。3人ともキリストに倣いたいと願い,考え方を変えることができました。
16 考え方を変えることは本当に大切です。聖書は人類を激しく揺れ動く海に例えています。そこに平和はありません。(イザ 17:12; 57:20,21。啓 13:1)政治的な問題は人々をかき乱し,分裂させ,暴力行為を引き起こしています。しかし,わたしたちクリスチャンは平和や一致を保っています。エホバは,分裂した世界の中でご自分の民が一致しているのを見て,うれしく思っておられるに違いありません。(ゼパニヤ 3:17を読む。)
17. (イ)どんな3つの方法でクリスチャンの一致を強めることができますか。(ロ)次の記事ではどんなことを考えますか。
17 この記事では,クリスチャンの一致を強める3つの方法を考えました。(1)神の天の王国が不公正を正すことを確信すること,(2)政治的な問題で中立を保つこと,(3)暴力を避けることです。しかし,クリスチャンの一致は偏見によって損なわれることがあります。次の記事では,1世紀のクリスチャンの手本に注目し,どのように偏見を克服できるかを考えます。
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エホバとイエスのように,わたしたちも一つになるものみの塔(研究用)2018 | 6月
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エホバとイエスのように,わたしたちも一つになる
「わたしは……お願いいたします。それは,彼らがみな一つにな[ることです。] あなたがわたしと結びついて……いるように」。ヨハネ 17:20,21
1,2. (イ)イエスは,使徒たちと共にささげた最後の祈りの中で,どんなことを神に求めましたか。(ロ)イエスが一致を気にかけていたのはなぜだと考えられますか。
イエスは使徒たちとの最後の夕食の際,一致を気にかけていました。使徒たちと共に祈った時,自分と父エホバが一つであるように,弟子たちすべても一つにしてほしいと述べました。(ヨハネ 17:20,21を読む。)弟子たちの一致は,エホバがイエスを地に遣わしたことの強力な証拠となります。愛はイエスの本当の弟子を見分けるしるしとなり,彼らの一致を強めます。(ヨハ 13:34,35)
2 イエスが一致の大切さを強調したのは適切なことでした。イエスは使徒たちの間に一致や調和が欠けていることに気づいていました。最後の食事の時にも,「自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか」という論争が起きました。そのようなことは以前にもありました。(ルカ 22:24-27。マル 9:33,34)ヤコブとヨハネはイエスに,王国でイエスのそばの目立つ立場を与えてほしいと求めました。(マル 10:35-40)
3. 弟子たちの間に一致が欠けていたのはなぜですか。これからどんな点を考えますか。
3 弟子たちの一致を妨げたのは,第一になりたいという願いだけではありませんでした。当時の人々は,敵意や偏見のせいで分裂していました。イエスの弟子たちもそうした感情を克服する必要がありました。この記事では,次の点を考えます。人々が偏見を示す中,イエスはどのように行動しましたか。イエスは,弟子たちが人々に公平に接し,本当の意味で一致できるよう,どのように助けましたか。イエスの教えはわたしたちが一致を保つうえでどのように役立ちますか。
人々がイエスや弟子たちに抱いていた偏見
4. 人々はイエスにどんな偏見を持っていましたか。
4 イエスは人々から偏見を持たれていました。フィリポがナタナエルにメシアを見つけたと言った時,ナタナエルは「何か良いものがナザレから出ることがあるだろうか」と述べました。(ヨハ 1:46)ナタナエルはミカ 5章2節の預言を知っていたと思われます。それで,メシアがナザレのような辺ぴな場所から出るはずはない,と考えたのでしょう。ユダヤの著名な人たちも,イエスをガリラヤ出身という理由でさげすみました。(ヨハ 7:52)ユダヤの人たちの多くは,ガリラヤの人たちを見下していました。イエスをサマリア人と呼んで侮辱したユダヤ人もいます。(ヨハ 8:48)サマリア人はユダヤ人と民族も宗教も異なっていました。ユダヤの人たちもガリラヤの人たちもサマリア人に敬意を持たず,交渉を避けていました。(ヨハ 4:9)
5. 人々はイエスの弟子たちにどんな偏見を持っていましたか。
5 ユダヤ人の宗教指導者たちもイエスの弟子たちを見下していました。パリサイ人は彼らを「のろわれた者たち」と呼びました。(ヨハ 7:47-49)ラビの学校で学んだことがなく,パリサイ人の伝統を守らない人は「無学な普通の人」だと考えていました。(使徒 4:13)このように,当時の人々は宗教や社会的立場や民族の違いのために分裂していました。イエスや弟子たちに偏見を抱いた人たちがいたのもそのためです。弟子たちも幾らか偏見を抱いていました。弟子たちは一致を保つため,正しい見方を持つ必要がありました。
6. 偏見はわたしたちにもどのように影響を及ぼすことがありますか。
6 今日,世界の至る所で偏見が見られます。わたしたちが他の人から偏見を持たれることもあれば,わたしたちが他の人に偏見を持つこともあります。オーストラリアのある開拓者の姉妹はこう言います。「アボリジニーが昔も今も経験している不公正について考え,白人を憎むようになりました。わたし自身もひどい目に遭い,白人に対する憎しみはさらに強まりました」。カナダ人の兄弟は,自分の抱いていた偏見についてこう述べています。「フランス語を話す人が優れていると考え,英語を話す人を嫌っていました」。
7. 人々が偏見を示す中,イエスはどのように行動しましたか。
7 偏見を捨てるのは簡単ではありません。イエスの時代もそうでした。しかし,イエスは偏見を全く抱くことなく,人々に公平に接しました。富んだ人にも貧しい人にも,パリサイ人にもサマリア人にも,収税人にも罪人にも良い知らせを伝えました。また,言葉と手本により,先入観や偏見を持たずに他の人に接するよう弟子たちを教えました。
愛と謙遜さによって偏見を克服する
8. クリスチャンの一致の根底にある原則は何ですか。説明してください。
8 イエスは一致の根底にある原則を教え,「あなた方はみな兄弟……です」と述べました。(マタイ 23:8,9を読む。)わたしたちすべてはアダムの子孫であるという意味で「兄弟」です。(使徒 17:26)でもそれだけではありません。イエスが述べたように,イエスの弟子たちはエホバを天の父と認めていたので兄弟姉妹でした。(マタ 12:50)神の家族の一部になり,愛と信仰によって結び合わされました。それで,使徒たちは手紙の中で,仲間の弟子たちのことをよく「兄弟たち」と呼んでいます。(ロマ 1:13。ヨハ一 3:13。ペテ一 2:17)a
9,10. (イ)ユダヤ人が民族的な誇りを持つべきでなかったのはなぜですか。(ロ)イエスは,民族的な偏見を克服するうえで役立つどんなことを教えましたか。(冒頭の挿絵を参照。)
9 イエスは互いを兄弟姉妹と見るべきであると述べた後,謙遜さの大切さを教えました。(マタイ 23:11,12を読む。)先ほど考えたとおり,使徒たちは誇りのために一致を保てなくなることがありました。民族的な誇りという問題もあったでしょう。多くのユダヤ人は,自分たちがアブラハムの子孫であることに強い誇りを抱いていました。しかし,バプテストのヨハネは彼らにこう言いました。「神はこれらの石からアブラハムに子供たちを起こす力をお持ちになるのです」。(ルカ 3:8)
10 イエスは民族的な誇りを持つべきではないことを教えました。律法に通じた男性が「わたしの隣人とはいったいだれでしょうか」と尋ねた時のことです。イエスは1つの例えを話しました。あるユダヤ人が旅の途中で強盗に襲われ,道に倒れていました。ユダヤ人たちは無視して通り過ぎましたが,サマリア人はその人をかわいそうに思い,親切に世話しました。イエスは最後に,このサマリア人のようになりなさいと言いました。(ルカ 10:25-37)本当の隣人愛についてサマリア人から学ぶよう勧めたのです。
11. (イ)キリストの弟子たちが外国人に対して公平な見方をする必要があったのはなぜですか。(ロ)イエスは弟子たちが公平な見方を持てるようどのように助けましたか。
11 イエスは昇天する前,弟子たちに「ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで」伝道する務めを与えました。(使徒 1:8)弟子たちはこの務めを果たすために,誇りや偏見を克服する必要がありました。イエスは以前から外国人の良い特質に弟子たちの注意を向け,この務めを果たせるよう備えさせていました。例えば,外国人の士官の際立った信仰を褒めました。(マタ 8:5-10)故郷のナザレでは,エホバが外国人に親切を示したことを話しました。ザレパテに住むフェニキア人のやもめや,重い皮膚病にかかったシリア人のナアマンについてです。(ルカ 4:25-27)イエスご自身,サマリア人の女性に伝道しました。サマリア人がイエスの話に関心を示したため,サマリア人の町に2日間滞在することさえしました。(ヨハ 4:21-24,40)
1世紀のクリスチャンは偏見を克服するよう努力した
12,13. (イ)イエスがサマリア人の女性を教えた時,使徒たちはどんな反応を示しましたか。(冒頭の挿絵を参照。)(ロ)ヤコブとヨハネは十分に教訓を学んでいませんでした。なぜそう言えますか。
12 使徒たちにとって,偏見を克服するのは簡単ではありませんでした。彼らはイエスがサマリア人の女性を教えているのを見て驚きました。(ヨハ 4:9,27)ユダヤ人の宗教指導者たちは,公の場所で女性と話したりしませんでした。道徳的に良くない評判のあるサマリア人の女性ならなおさらです。使徒たちはイエスに食事をするようしきりに勧めました。でもイエスは空腹を忘れるほどその女性との話し合いを楽しんでいました。サマリア人の女性を含め,人々に伝道することは神のご意志であり,イエスにとって食物のようなものだったのです。(ヨハ 4:31-34)
13 ヤコブとヨハネはこの出来事から教訓を学んでいませんでした。イエスと共にサマリアを旅していた時,弟子たちはサマリア人の村で宿を探しました。サマリア人が宿を提供してくれなかったので,ヤコブとヨハネは腹を立て,天から火を下らせて村を滅ぼすのはどうかとイエスに述べました。イエスは2人を強くしかりました。(ルカ 9:51-56)もし2人が故郷のガリラヤ地方の村で同じ経験をしたら,そのような反応をしたでしょうか。そこまで憤慨しなかったかもしれません。怒りに燃えたのはサマリア人に対する偏見のせいだったのでしょう。使徒ヨハネは,後にサマリア人への伝道で良い反応が見られた時,自分がかつて怒りを表わしたことを恥ずかしく思ったかもしれません。(使徒 8:14,25)
14. 使徒たちは言語に関係したと思われる問題をどのように解決しましたか。
14 西暦33年のペンテコステの後間もなく,会衆内で差別の関係した問題が生じました。貧しいやもめたちに食物を分配する際,ギリシャ語を話すやもめたちが見過ごされていたのです。(使徒 6:1)言語に関係した偏見が一因だったのかもしれません。使徒たちはすぐに問題を正しました。資格のある兄弟たちを任命して食物を分配させたのです。彼らは皆,ギリシャ語名を持っていました。気分を害していたやもめたちは,そのような兄弟たちが援助してくれることを知って安心したでしょう。
15. ペテロはすべての人に公平に接する点で,どのように進歩しましたか。(冒頭の挿絵を参照。)
15 西暦36年以降,様々な国の人々に伝道が行なわれるようになりました。使徒ペテロはそれまでユダヤ人とだけ交友を持っていました。しかし,クリスチャンが公平であるべきことを神から知らされた後,ローマ人の兵士コルネリオに伝道しました。(使徒 10:28,34,35を読む。)ペテロは,ユダヤ人ではない信者との食事や交友を楽しむようになりました。ところが後にアンティオキアでは,ユダヤ人ではないクリスチャンと食事をするのをやめてしまいました。(ガラ 2:11-14)ペテロはそのことでパウロから戒められました。ペテロはその戒めを受け入れたようです。小アジアのユダヤ人と異邦人のクリスチャンに宛てた最初の手紙の中で,仲間の兄弟全体を愛するよう勧めているからです。(ペテ一 1:1; 2:17)
16. 初期クリスチャンはどのような評判を得ていましたか。
16 使徒たちはイエスの手本に倣い,「あらゆる人」を愛するようになりました。(ヨハ 12:32。テモ一 4:10)時間はかかりましたが,考え方を変えることができました。初期クリスチャンは,互いを愛する人々という評判を得ていました。西暦2世紀の著述家テルトゥリアヌスは,クリスチャンではない人が次のように述べたと書いています。「彼ら[は]愛し合[い],互いのためなら死をも辞さぬことを……固く覚悟している」。「新しい人格」を身に着けた初期クリスチャンは,すべての人が神の前で平等であると考えるようになりました。(コロ 3:10,11)
17. どうすれば自分の心から偏見を取り除くことができますか。例を挙げてください。
17 わたしたちも,自分の心から偏見を取り除くには時間がかかるかもしれません。フランスの姉妹はこう述べています。「愛とは何か,与えるとはどういうことか,あらゆる人を愛するとはどういうことかをエホバは教えてくださいました。他の人に対する偏見を克服するため,今も努力しています。難しいと感じる時もあります。ですから,いつも神の助けを祈り求めています」。スペインの姉妹もこう述べています。「ある民族の人たちに対する悪感情がわき起こってくることがあります。大抵はそのような感情を抑えることができますが,闘いは続いています。でも,エホバのおかげで,一致したクリスチャンの家族の中で交友を楽しんでいます」。わたしたちも自分を正直に分析しましょう。この姉妹たちのように,偏見を取り除くために闘う必要がありますか。
愛が成長すれば偏見はなくなる
18,19. (イ)わたしたちが互いを迎え入れるべきなのはなぜですか。(ロ)そのためにどんな努力ができますか。
18 わたしたちは皆,かつては「よそ者」つまり外国人であり,神から遠く離れていました。(エフェ 2:12)しかし,エホバはわたしたちを「愛の綱をもって」引き寄せてくださいました。(ホセ 11:4。ヨハ 6:44)キリストも不完全なわたしたちを親切に迎え入れてくださいました。神の家族の一員になれるよう,扉を開いてくださったのです。(ローマ 15:7を読む。)そのことを考えれば,偏見を抱いてだれかを退けることなどできないはずです。
エホバに仕える人は上からの知恵を表わし,愛によって結び合わされる。(19節を参照。)
19 邪悪な世の終わりが近づくにつれ,人々の分裂や偏見や敵意はますます強まるでしょう。(ガラ 5:19-21。テモ二 3:13)しかし,エホバに仕えるわたしたちは上からの知恵を表わすように努力します。上からの知恵は公平で,平和を促進します。(ヤコ 3:17,18)他の国の人たちとの友情を築きましょう。文化の違いを受け入れてください。その人たちの言語を学ぶこともできます。そのような努力を払うなら,平和は川のように,公正は海の波のようになるでしょう。(イザ 48:17,18)
20. 愛にはどんな力がありますか。例を挙げてください。
20 「真の知識の水門がわたしの前で開かれました」。先ほどのオーストラリアの姉妹はそう言います。聖書を学ぶことで大きく変化できました。こう述べています。「思いも心も新しくなりました。偏見や憎しみがみるみる消えていきました」。先ほどのカナダの兄弟はこう述べています。「ある人たちに偏見を抱くのは,その人たちについてよく知らないからです。人の性質は生まれた場所で決まるわけではありません」。兄弟は英語を話す姉妹と結婚しました。こうした例が示すように,クリスチャンの愛は偏見を克服します。愛はわたしたちを強い絆で結び合わせるのです。(コロ 3:14)
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