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  • ベネズエラ
    1996 エホバの証人の年鑑
    • ルベン・アラウホは,ロペス姉妹の示した立派な手本の思い出を,こう語ります。「当時,私は十代でした。……ホセフィーナ・ロペスは4人の息子と二人の娘の母親で,ゴアス姉妹から学んでいた事柄に関してとても熱心でした。私はほとんど毎日放課後になると姉妹の家に行き,姉妹が真理に関して学んだ新しい事柄について話し合いました。ロペス姉妹は忙しい主婦でしたが,何とかやりくりして毎日,昼食がすんで夫と息子たちが再び仕事に出かけた午後,家から家の伝道に行ったり,聖書研究を司会したりしていました。姉妹は私たち皆の良い模範で,本当に開拓者精神を持っていて,伝道者として毎月平均60時間から70時間奉仕していました。40年以上たった今でも,カラカスには姉妹のための生きた推薦の手紙があります」。

  • ベネズエラ
    1996 エホバの証人の年鑑
    • 「それで,あなたたちはどのくらいとどまるつもりですか」

      1946年6月2日,ノア兄弟の訪問のあと間もなく,ベネズエラに任命されたグループの残りの宣教者が到着しました。ドナルド・バクスターとウォルター・ワンの二人です。カラカスには若いルベン・アラウホが出迎えに来ていました。きっと以前の宣教者のことが記憶に鮮明だったからでしょう,ルベンは疑い深そうに二人を見つめながら,片言の英語で,「それで,あなたたちはどのくらいとどまるつもりですか」と尋ねました。

      ルベンはあらかじめ「ものみの塔」研究を取り決めていました。それで宣教者たちが到着した当日に「ものみの塔」研究が開かれました。ルベンはフランズ兄弟から与えられた指示を実行しようとして最善を尽くしたのですが,それはワンマンショーのような研究でした。ルベンが質問を読み,それから自分で答え,節も自分で読みました。研究は1時間を超えてはならないことを覚えていたので,従順に時間を守って研究をやめました。とは言っても,17節まで討議しただけで,その週の範囲は全部終わっていなかったのです。経験を得るには時間と辛抱が必要でした。

      ルベン・アラウホは今日,最初の宣教者が突然去って行った時のことを振り返って,こう付け加えています。「それから少しして,二人の新しいギレアデ卒業生がその人の穴埋めをしてくれました。ベネズエラのマケドニアにいるわたしたちを助けるためにエホバの組織が与えてくれた,これらの宣教者という形の贈り物をどれほどうれしく思ったことでしょう。(使徒 16:9,10と比較してください。)バクスター兄弟はかつてノア兄弟から,「たとえそこで死ぬことになっても,任命地にとどまりなさい」と言われたことがありました。しかし,バクスター兄弟は死ぬようなことにはならず,50年近くたった今もベネズエラで奉仕しています。

  • ベネズエラ
    1996 エホバの証人の年鑑
    • 支部がニューヨーク州ブルックリンの本部事務所に送った最初の報告によると,伝道者の合計は19人で,そのうち宣教者が二人,正規開拓者が4人でした。4人の開拓者とは,エドワルド・ブラックウッド,ルベン・アラウホ,

  • ベネズエラ
    1996 エホバの証人の年鑑
    • [194ページの図版]

      ルベン・アラウホ,ベネズエラ人として最初にバプテスマを受けてエホバの証人になった人の一人

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